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生徒の長

 女子寮のとある一室。

 聞けば上機嫌とわかる鼻歌が浴室一杯に広がっている。

 その声の主は。


 亜麻色の長い髪、一糸纏わずその主張を増す胸部。高校生としてはいささか大人びている顔立ちに、すらりと立ち姿の映えるプロポーション。

 一部の者のみが知る小悪魔的性格という一点を除けば文武両道に容姿端麗。誰もが羨む麗人。


 誰あろう生徒会長、序列第八位の九十九夜であった。


 時計は間もなく深夜零時を指し示し、日をまたぐという頃。

 九十九夜は生徒会長の仕事を終えようやく一息つけたところなのだった。

 滴る雫が彼女の全身を伝い、排水口へと吸い込まれていく。そんなどうでもいい様子を九十九夜はぼんやりと眺めていた。体に残った泡もつられるようにして九十九夜の肢体を流れ、透き通る彼女の柔肌を一層輝かせる。役目を終えた最後の一滴が零れ、シャワーが止まった。

 長い髪を梳くように艶やかな亜麻色をその五指に絡ませていく。絡んだ髪は元に戻ろうと残った露を振り払うようにしてその存在を主張した。


 普段であればいくら多忙な会長と言えども日付が変わるまで仕事に追われることは少ない。事務仕事においても他の追随を許さない九十九夜は並の仕事量では屈しないからだ。そんな九十九夜でも今の時期、新入生の加入時期は鬱屈と感じられる程度には忙しい。けれどそれも九十九夜の前には処理すべき単純作業の繰り返しでしかなく、ようは彼女を悩ませるのは数の沙汰ではないのだ。


「はぁ……」


 無理して上機嫌にふるまった反動は大きかったようで大きなため息をつく。本来ならば入浴とは多忙な九十九夜にとって心安らぐ、憩いの時間だ。けれど今はそんな様子は見られない。


 もしこの学園で何か起こるようであれば真っ先に矢面に立たなければいけない。生徒会長とはそういう立場だ。

 多くの権限を持っている反面、多くの義務も背負わなければならない。それが学園長のやり方で、教師という今では希少な存在が少ないこの学園のシステム。学生自治と言えば聞こえは良いが、実際はやむを得ずの手段であることは自明な話だ。


 浴室から出てバスローブを纏った。洗面台の前に座った九十九夜は一瞬怪訝そうな表情を浮かべ。


「あはは、ひどい顔」


 繕っていた生徒会長という仮面は剥がれ落ち、ただの十七歳の少女がそこには映っていた。生徒の代表ではない九十九夜はこの学園における教師よりも稀有な存在で、自分自身にすら見せない。寄る辺なき姿をからかうように笑った。


 軽く髪を乾かし、トリートメントに手を掛ける。しかしポンプ式のボトルからは空気を吐き出す音のみが響く。替えの買い置きがあったかと探すことになり肩を落とした。


 戸棚や洗面台の付近を捜しながら九十九夜はため息をつく。こんな些細なことで感情を揺れ動かすことは労力の無駄遣いだ。それを理解した上で自身の感情をコントロールできないことに嫌気がさしたのかもしれない。


 いつ何が起こるかわからない。


 そんな憶測と事実の狭間で生じた幻が九十九夜を束縛する。常識的に考えれば、今わかっている程度の情報であるかもわからない脅威におびえるのは愚かだといえる。考えすぎだと笑い飛ばすことが出来る。

 けれどそんな楽観をしているのはいつも傍観者だ。自分が当事者になることはないと分かっている第三者の意見だ。自身に被害が及ばないとわかっているからそんなことが言える。軽口を叩いて当事者を嘲ることが出来る。


 だが、当事者である九十九夜はそんなわけにはいかない。彼女の双肩には学園の命がかかっている。彼女が誤った判断を下せば、人は死に。彼女が判断を下しあぐねれば人が死ぬ。

 常に最悪の可能性を念頭に置いて、ことに当たらなければ取り返しのつかないことになる。九十九夜はそれを痛いほど自身に理解させている。


 だからこそこの緊張。どんな些細な可能性でも捨てきれない潜在的な恐怖。

 このまま何も起こらなければと、杞憂だったと言えるのが理想。


 だが。

 そんな理想は。

 いとも簡単に打ち砕かれる。


 突如、轟音が鳴り響いた。

 

 地響きと共に訪れたそれは部屋を揺らす。戸棚からいくつか物が落ちた。

 驚き、立ち上がった拍子にバスローブがはだけて、九十九夜の体を露わにする。しかし、九十九夜にそれを気にかけている余裕はなかった。


「……襲撃、なの……?」


 どう考えても、夜中に自然に発生するはずのない轟音に奇しくも九十九夜はすぐに感づいてしまった。


 懸念していた、頭を悩ませていた原因がたった今起こってしまった。そしてこの一瞬後には自分が対策に動かなければならないということを。


 理解するまではほんのゼロコンマ数秒。

 けれど、彼女の体は動かない。


 風呂上がりの火照った汗とは違う。つまるところの嫌な汗が全身から噴き出していた。

 先ほどの轟音、それを生み出すほどの火力で気功士を殺しに来ているという事実。

 気功士であれば、それも学園第八位ともなれば戦う力もその経験も備えている。

 けれどいざ有事になったとき、それを発揮できるかは別。

 自分の力を信じられなくなるのは当然の反応。死にたくないと思うのはなお当然。


 ただの人であればきっとこの壁を越えられない。自身の生存本能に抗えない。

 けれど。


「……よし」

 

 九十九夜ははだけてしまったバスローブをしっかりと着なおし、部屋を飛び出した。

 寮の至る所に悲鳴と恐怖と困惑が満ち満ちている。その中を九十九夜は迷うことなく走り抜けた。


「みんな落ち着いて! 生徒会の指示に従って迅速に避難を!」

 

 先ほどまで硬直していた九十九夜の姿はどこにもなく、皆をまとめる生徒会長、第八位としての姿があった。


 恐怖はある、今も体は震えている。

 だが、それ以上に生徒を守らなければならないという意志が彼女を突き動かしていた。

 自分が死ぬことよりも深い絶望は自分が死なせてしまうこと。そう信じているから九十九夜は誰よりも早く動ける。この事態を収束させる力が自分にあると確信して。


 パニックになりかけていた生徒たちは九十九夜の声を聞き、僅かに落ち着きを取り戻す。混乱の最中だからこそ自分より圧倒的に優れた人間がいることがどれほど心強いか実感していた。

 これが生徒会長九十九夜のカリスマ。本来第二位の役職であるはずの会長の席。代理として名が挙がり、現在務めている所以。


 大まかな音の方向から、九十九夜は女子寮の端、学園の最北端に位置する棟を目指していた。

 すると。


「うっ……」


 目的の棟に入った瞬間、九十九夜は眉を顰め、口元を手で覆った。

 火の手が上がっているのか、煙が充満しており、それは爆発源がすぐそばにあるということを示していた。足取りが慎重なものに変わる。


「……か、会長!」


 すると、中から一人の女子生徒が走ってきた。


「っ!? 貴女、何をしているの、早く逃げなさい。生きることが最優先よ」


 真っ先に避難すべき場所に人が残っていたことに九十九夜は驚きを隠せなかった。避難を促す声音が少し厳しいものへと変わる。


「ち、違うんです! あの子が、新しく入ってきた一年生がいないんです!」

 

 中から人が出てきただけでも予想外の九十九夜にさらなる驚愕が継ぎ足される。

煤だらけになった二年生と思しきその生徒は必死に訴えかける。


「点呼を取ろうと思ったら姿が見えなくて……、だから気流操作のできる私が探しに来たんです。それで部屋を聞いたらそこが爆発のあった部屋だったみたいで、それで……」

「わかったから、それは誰なの?」


 焦りからか、経緯から話す生徒に九十九夜は手短に聞いた。今は一秒だって惜しい。


「えっと、名前は確か、そう松風さんです。気功が使えない一年生だって」

「っ! わかったわ。私が何とかするから貴女は早く逃げなさい。向こうで生徒会が誘導してるわ」


 お願いします。そう言ってその生徒は九十九夜の来た方向へと走って行った。

 それを確認した九十九夜は一度呼吸を整えてから奥へと進んだ。


 ゆっくりと、暗い廊下を伝う。けれど明らかに先ほどよりも九十九夜は焦っていた。

 爆発源の部屋、唯の部屋へと歩を進めた。当然のことながら距離を詰めるほど煙は濃く、熱は強くなる。

 すでに人体に危害を加えるだけの危険性は十二分にあるところまで来ている。けれど、九十九夜の足は止まらなかった。


 部屋に一歩足を踏み入れる。すると、待ち構えていたかのように九十九夜の元へと炎の壁が襲い掛かる。

 白い部屋を黒く塗り替えた高温が九十九夜を包み込んだ、その一瞬後。


 ひときわ強い風が、部屋の中から外へと薙ぎ、部屋を照らす炎をまとめて消し飛ばした。


 行ったのは当然ながら九十九夜。気功を用いて部屋に漂う微風を増幅してはじき出す。風という定義の曖昧な事象を操る第八位の力だった。

 反気功団体によって破壊されたであろう唯の部屋の壁。そこから外の様子を見通せるようになってしまっている。そんな中に九十九夜は声をかける。


「唯さん! 松風唯さん! いるなら返事をして!」


 だが、返事はない。うすうす理解していたとはいえ、緊張が高まる。

 九十九夜は次に気功の探知を試みる。こちらも反応はない。


 一抹の不安が過る。安否がわからないことに生徒の長としての責任が重くのしかかる。


 けれど、止まっている時間はない。九十九夜はかろうじて原形をとどめる壁から外を見据えていた。

 まだ近くに犯人がいる。九十九夜はそう確信していた。

 爆発音の発生からまだ五分弱。生身の人間ではたいした距離は稼げない。反気功団体の根城と思しき場所は当然ながら舗装されていない。学園から向かうとなれば起伏のある丘と森を抜けなければならない。車両を使うことも困難だ。

 それどころか、襲撃が一度切りという保証はどこにもない。


 どうするべきか、九十九夜は立ち止まる。唯の捜索に手を尽くすべきか。この襲撃の犯人を捜すべきか。

 九十九夜は悩んだ末に部屋を飛び出した。

 天秤にかけるのは唯の命と、学園の命。ここまで短絡してしまってはもう、選択に余地はないだろう。

 常に最悪の可能性を考え続ける。もう一度襲撃が起こっては今より多くの被害が出る。それだけは阻止しなくてはならない。生きていることを信じて。偶然部屋にいなかったかもしれないという淡い理想に期待して。


 夜中の冷風に九十九夜の体が曝される。薄布一枚程度では防寒にもならないだろう。

 けれどそんなことに構ってはいられない。時間が経つほど状況はわからなくなる。可及的速やかに元凶を見つけなければならない。


 向かう方角は南。島の中心部方向。学園から見れば裏手に当たる。

 九十九夜は周囲を警戒しつつ、迅速に歩を進めていた。幸い月の光は強く、視界に困ることはなかった。一般人相手に気功の探知はほとんど意味をなさない。頼れるのは強化された己の五感だけだ。


 緩やかな上り坂を強化された脚力で駆け抜ける。丘を登りきると少し先に森が見える。暗い森の中では月の光も遮られ追うのは困難になるだろう。九十九夜に残された索敵可能時間は長くない。それまでに見つけられなければ学園に戻って警戒に当たることを余儀なくされる。


 だから、今回の九十九夜は幸運だったと言える。

 夜風の吹き抜ける、森への道。一面を見通した九十九夜の視界は捉えた。


 先日の学園長の招集時、石動が持ち帰った反気功団体の写真。

 そこに映っていたものと同じ、黒ずくめの姿を。

 数は四。今まさに森へと侵入しようというところまで来ている様子。


 九十九夜の体に強い緊張が走る。いた。見つけてしまった。

 頭では完全に理解していたはずなのに。心の中ではまだ、何かの間違いであると思っていたかった。キッチンかどこかでのボヤ騒ぎだった、なんて。

 けれどもう、見てしまったのでは覆しようがない。学園は間違いなく、反気功団体の襲撃を受けたのだということを。


 九十九夜は立ち止まり、考える。ここで彼らを捕らえるのであればおそらく交戦は免れない。大きな危険を伴うだろう。相手は一般人。本来なら、人の身を超越する気功士の敵ではない。少なくとも丸腰であるならば。けれど女子寮の壁の破壊跡を見るに、鉄筋コンクリートの壁に大穴を開ける爆薬なり武装なりを持っている。そして何より、それを使うことを厭わない。


 この場で戦うのは無謀か、栄誉か。


 相手はまだ九十九夜に気付いていない。そしてこのままいけば逃げていくだろう。それを確認すれば少なくともこれ以上学園に危険が及ぶことはない。


「深追いは危険、かな」


 ぼそりと自分に言い聞かせた九十九夜は守りを選択した。必要以上に危険を冒すことはないと。それは学園も、自分自身も。


 そうして九十九夜は去っていく反気功団体と思しき黒ずくめを静観しようとしたその時だった。


「……あら、良いところにいるじゃない」


 感じたのは一際強い気功。

 そしてそれは森の方角から。

 目を凝らすとそこには、九十九夜が最も頼りにしている後輩の姿があった。偶然などではない。彼はまっすぐに黒ずくめの方を見つめている。


 何故そこにいるのか。どうやって先回りしたのか。聞きたいことは山ほどある。だが、そんな疑問はどうでもよかった。


「そうね、君はそういう子よね」


 ぽつりと呟く。気功を使うために、最大限に意識を集中させながら。


「じゃあもう少し、お姉さん頑張ろうかなっ!」


 情報を逃さないという彼の無言の指示に従うことにした。


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