000:俺は人間を辞めるぞぉぉぉ!!
晴天の空からの木漏れ日が射すその森を天宮司暁熄は進んでいた。
辺り一帯にはどこか心安らぐ緑の植物が所狭しと埋め尽くされ、時折その隙間から姿を現す愛嬌のある小動物たちがまるでそこにいるものを歓迎しているかのように、可愛らしい鳴き声と好奇心に満ちた眼を向けてくる。加えて、空からの陽光のおかげで、瞼を閉じればすぐにでも眠りについてしまうであろうほどにポカポカと気持ちの良い環境であった。
そんな和やかな状況に包まれているにも関わらず、暁熄の顔つきはぞっとする程にゲッソリとしており、歩き続けてはいるが、その視線はどこともつかない虚空へと向けられている。その姿は、彼の腹の虫が周囲の音すべてを掻き消すかのように泣き続けていることを除けば、まるで何かの呪いにかけられているかのようにも見えた。
「 なぁ、主よ。そんなにも腹が減っているのなら、いい加減頑固なプライドなど捨てて私を”使ったら”どうだ? 」
「 ・・・うるさいぞ”グーラ”、誰がようもなく”使う”ものかよ・・・・それにな、人ってのは数日くらいモノ食わなくても生きていけるんだよ 」
「 ほぉ、して主よ。主は何日間モノを口にしていないのかな? 」
「 ・・・・20日くらい? 」
「 人の限界などとうに超えておるわ、このド阿呆 」
彼の背後を腰まで伸びている長髪を靡かせながら歩く、ドレスに似た造りの赤いワンピースを身に着けた黒髪の幼女ー”グーラ”が「やれやれ」とため息をつく。暁熄の半身ほどの身長であるその少女は、しかし、その幼い外見とは違ったどこか大人びた雰囲気を全身から醸し出しており、妖艶という言葉が似合う不思議な存在感を表していた。
「 全く、感謝してほしいぐらいだ。分かっているのか?主よ。私を”装備”していなければ、今頃”餓死”しているんだぞ 」
「 え?”かし”?菓子あるのか!!?それくれ!!さぁ、早く!!! 」
「 ・・・とうとう幻聴まで聞こえるようになったか、ド阿呆 」
「 ・・・・なんだ、ないのかよ 」
背負った登山用のものと同種の巨大なバックの重量をしみじみと感じながら、深く溜息を漏らす。
失敗だった・・・見事に判断を誤った。
この森に足を踏み入れる前日、次の目的地までは歩いて2日半ほどの距離であることを確かに確認し、それに備えて、4日分の食糧も用意した。旅に出てすぐに「付近に宝の匂いがする」というグーラの一言がなければ、20日間もの迷子になることはなかっただろう。
いや、今現在迷子なんだけどね・・・
「 言っておくが私は悪くないぞ。私は確かに『気のせいかもしれない』と付け足したし、その後も何度となく主に引き返せと忠告した。それを無視して前進し続けたからこの結果なのだ・・まぁ自業自得というところだよ、主よ 」
「 だってお前、お宝だぞ!!?見つけたらその瞬間から大金持ちで、ウハウハなんだぞ!!? 」
「 その浅はかな思考の末の現状であろう?このド阿呆 」
「 あぁ、もう!!うるさいなさっきから阿呆阿呆って!!阿呆って言った奴が阿呆なんだよ!!! 」
「 私は主にそんな言葉をいったつもりはないぞ?この”ド”阿呆!!! 」
「 はぁぁぁぁん!!?いい度胸だ、このクソ悪魔!!お前なんてな・・・うぅ 」
再び腹の虫が盛大に泣き出し、それによって喉元まで出かかっていたモノが、穴を空けられた少し萎れた風船から空気が抜けていくかのように、力なく漏れる。
もはや言い合いをするのも煩わしい。
暁熄はその日で何十回目かの溜息を漏らし、ぐったりと歩みを続けた。
「 ・・・ふふ、そんなに腹が減っているのなら主よ、ほれ、そこに食べられるかもしれない生き物がいるぞ?ほれほれ 」
グーラが不敵な笑みを浮かべ、隣に位置する木を這っている甲虫の幼虫であろう蟲を指差す。
こいつ完全におちょくってやがる・・・俺に蟲を食えってのか?・・・ん?いや・・・
「 ・・・食えるかも 」
「 は? 」
一つの思考が定まると共に進んでいた足がピタッと止まり、蟲から視線を外すことができなくなる。無意識にゴクリと唾が飲み込まれた。
「 あ・・主よ、い、今の発言は冗談だぞ?む、蟲は食べることはできないんだぞ、聞いているのか、主よ!!!・・・・ 」
確か、蟲という生き物はタンパク質が豊富で、サバイバル食としては極めて優秀だと、聞いたことがある。
つまり・・・これは立派な食べ物!!食糧なんだ!!!
「 あ、主?わかった、私が悪かった!!悪かったから早まるのは止せ!!私と主とは感覚の一部と味覚とが共有されているのだぞ!!?・・・・ 」
「 ・・・・あぁ、主!!止せ!!!止すんだ!!!今すぐ掴み取ったその蟲を棄ててくれ!!!それを口にしてはいけない!!人間としての尊厳を失ってはいけない!!! 」
手の中で蠢いているそれは、旅に出る前であったのなら気持ちが悪いという一言で表現することができたものであっただろう。しかし、今の彼は違った。
空腹による軽い幻覚、とにかく何かを食べたいという衝動。気味の悪いはずであったそれさえも今の暁熄にとっては、”食べられるかもしれない”ということからくる愛らしさのようなものさえ感じられていた。
もはや悲鳴を上げているかのように必死に静止の言葉を続けるグーラの言葉など、全く彼の耳には届いていない。
ゆっくりと瞼を閉じる。そして・・・
「 この世の全ての食材に感謝を込めて・・・ 」
「 いや、某少年漫画の美食家みたいな言葉を吐かなくていいから、さっさとその蟲を棄てるんだ、主!!! 」
「 ・・・うぉぉぉぉぉ!!!俺は美食家を辞めるぞぉぉぉぉ、グーラァァァァァ!!!! 」
「 だっ、だめぇぇぇぇぇぇぇ!!!! 」
それからの数分間の出来事は彼にとってあまり思い出したくはない記憶の一つとなった。
しかし、そんな不幸な一日が彼の人生を大きく左右させ、止まっていたはずの全ての”戦い”を動かし始めるなど、今の暁熄には知る由もなかった・・・
次話の投稿は7月11日になります。