第3発 ~憎悪の芽生え~
「おい、ミヤリ。どうした」
声をかけてきたのは、高校の同級生かつ大学の先輩 (ミヤリは一浪のため)、久保坂大和であった。大学に入学するまで殆ど交流のなかった相手だが、同じ高校の同級生で同じ大学に入ったという縁で、最近は会話するようになっていた。
「どーしたもこーしたもないよ。俺、ヤバいサークルに強制入部させられちゃってさあ」
「ヤバいサークル?『美味キッチンかなた』?それとも『思想サークルred』か?」
「なんだそれ…違うけど、、ヤバいサークルって色々あるんだね…俺が入らされたのは『童貞連合』とかいうやつだよ」
ため息混じりに吐き出したそのサークル名を聞いた久保坂の目には憐れみと軽蔑が一瞬はっきりと現れた。
「あー。。まあ、童連はパッと見ヤバいけど、慎んで生活すれば害のない奴等だし、案外面白いかもよ、はは」
他人事だと思って、と仏頂面をしてミヤリは歩きだした。
「久保坂は、文芸サークルに入ってるんだろ?」
「そ。文芸サークル『てにをは』。楽しいぜ?おまえも入ったらいいんじゃねえの?」
「えっ…でもあそこはたしか…」
「あー、お前富沢にフラれてんだっけ」
ぐっ。ミヤリは心臓を貫かれたように苦痛の表情を浮かべる。
そう、文芸サークル「てにをは」には、ミヤリが高校時代に思いを寄せていた片想いの相手、富沢が入っているのだった。
「いいじゃん、はいっちまえよ。なんなら俺が富沢との仲を取り持ってやるぜ?ははは」
「で、でも…彼女はたしか、先輩と付き合ってたし…」
「あー、別れたって聞いたぜ、あの二人」
しれっと、なぜか含み笑いを見せつつ話す久保坂にミヤリは少し驚いたが、希望が見えてきたような感覚を覚えた。
「ほ、本当…?なら、入っちゃおうかな…」
ピポポポポポ…
ミヤリのケータイが唸った。
「げっ!童貞連合の隊長から呼び出しだ…すぐに本部拠点前に来いって…」
「はは、とんだブラックサークルだな。まあ、頑張ってこいよ。くくく…」
ありがとう、と一言おいて、ゆっくりと立ち去って行くミヤリの丸い背中を、久保坂はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべて見送った。
「やーっくん!」
背後から、白く細い腕がのび、久保坂の身体を抱きしめた。
「おう、沙里。」
「講義終わったの!一緒に帰ろう?」
「へへ…勿論さ」
久保坂は沙里と呼ばれた可憐な女性の手を取り、夕焼けの中へと歩き出した。
童貞連合本部拠点前。
忘れられた古びたサークル棟の前には、かつて実習で使われていたと思われるこれまた古びたガラス張りの温室と、腰ほどの高さの茂みがある。温室は本部拠点の隣を使用しているサークル『自然研究同好会』が、怪しい動植物を飼育するのに使っている。
「こんな夕方に呼び出して、用件は何ですか。隊長。」
明らかに不機嫌なミヤリに対し、悪びれることなく、その威風堂々たる太った腹を張り、『隊長』が声を発する。
「やあ、来たかね、虫けら童貞。」
相変わらず酷過ぎるコードネームだ。
しかし、社会的抹殺を恐れて、ミヤリには文句ひとつ言うことが出来ずにいた。
「虫けら童貞。君は、今年度入隊した隊員達の中でも、最も優れた素質を持った、童貞の有望株だ。そこで今回は、この童貞隊長が、君に直々に、童貞の"闘い"というものを教育してやろうと思ってね。」
童貞の有望株って、童貞の闘いって、なんだそりゃあ。
と、喉元まで出かかったが、社会的生存のためにこらえたミヤリは、できるだけ柔らかい表現を心がけて言葉を選ぶ。
「僕は一体、何をすればよろしいのですか」
「なに、簡単だ。今回はただ、我々の"闘いかた"を見て、感じてくれればそれでよい。」
なんのことやら、と思ったが、まあ、見ているだけでよいのであれば特に気を張る必要もない。ミヤリは少し肩の力を抜いて、隊長の次の言葉を待った。
「虫けら童貞君。君を高校時代にフった富沢さんは今、学内でも有名なヤリチンクソ男と付き合っている。」
「は?…はぁッ?」
一転。ミヤリの顔は強張り、心中は一瞬にして混乱した。なんだ?この目の前の男は何をいっているんだ?
「それだけではない。そのヤリチン男は、彼女の他に現在進行形で三人の女子と肉体関係を続けている。」
「な…」
ミヤリは頭を金槌で殴られたような錯覚を覚えた。思考は完全に停止していた。しかし、ミヤリの中には言い様のないドス黒い感情が、瞬時にして沸き起こっていた。
「虫けら童貞。君は、そのヤリチン男に、報復を受けさせたくはないか?」
今のミヤリには、なにかを考える余力などない。突然襲いかかった現実を受け入れることで精一杯であった。しかし、彼の中の、言い知れぬ感情の暴走が、彼の口を動かした。
「ど、どうやって…」
童貞隊長は口角を上げ、フッ、とニヒルな笑みを溢し、
「それでは我々の"やり方"をお見せしよう」
と呟いて右手を掲げた。
パチン、と隊長が指を一鳴らしすると、庭の茂みがガサリと音をたて、二人の男が忽然と姿を現した。
「ご苦労だったな、探偵童貞、忍者童貞。進行状況を報告したまえ。」
「はっ。それでは、私探偵童貞より、目標の情報を開示いたします。」
探偵童貞と名乗った男は、探偵帽にくわえパイポ・ロングコートに身を包み、まるでシャーロック・ホームズを思わせる、まさしく探偵という風貌をした男だった。
「虫けら童貞君。お初にお目にかかります。私が、諜報兼偵察・情報収集を生業としている、童貞名探偵童貞と申します。」
「こちらが、君が片想いをしていた富沢さんと、その富沢さんを含め何名もの女性を毒牙にかけている男の写真です。」
探偵童貞から一枚の写真を提示されたミヤリは、言葉を失った。
顔面を蒼白に染めながら、ミヤリはわなわなと震えた。
「く、久保坂大和…」
そう。
その写真に写っていたのは、愛しの富沢沙里女氏と腕を組んで嬉しそうに歩く、先程まで仲良く会話していた、あの久保坂大和であったのである!
「そうだ、虫けら童貞。麗しの富沢女史を落とし、なおかつ複数名の女性に同時進行で股をかけるその男とは、君のよく知る同期の男・久保坂大和なのだよ。」
ミヤリは大きく目を見開いたまま、膝から地面に崩れ落ち、うずくまって大粒の涙を地面に落としたのだった。