第2発 ~期待の童貞爆誕~
彼は、何故ここにいるのか。
その答えを一番欲しているのは紛れもなく彼自身であった。
彼は確かに未だ人生において「性行為」というものを経験したことがない。
恋愛と言っても数回の片思いの経験しかない。
しかし、「恋愛消極化」が叫ばれる昨今、彼のような20代男性はさほど珍しくはないであろう。
女性に対する興味は人並みに在るけれども、巡り合わせや相互関係の構築不良でたまたまそういう関係になった事がない。
いわゆる恋愛経験がないなどと言うのはただの運の悪さに起因する結果であるに過ぎないのであって、運が向いてくれば誰だってどう転ぶかわからないではないか。
だのに何故。
この、自身で麗しの乙女と交際する事を端から諦めて嫉妬や僻みに身を焦がし、夜な夜な異性へのぬめぬめとした欲情を膨らませるたびにそれを欲しいままにする美男子達への怒りの炎を燃やし、世界を恨み、カップルを恨み、己のやり場のない感情を不幸にも彼らの目に映ってしまった憐れな彼氏彼女に「報復」などと称してテロ活動を行う、醜い男汁の塊のような集団の本拠地に、今、彼は足を踏み入れてしまったのか。
ここは田舎県駅弁市某所にある非理亜大学西側サークル棟の一角。
他の華やかなサークルの集う東側棟とは異なり、普段は学生も教授陣もほとんど寄り付かぬ「忘れられたサークル棟」である。
蔦の巻き付いたひび割れだらけの壁に、雨漏りのする天井、そして無駄に広い部室内。
なんでも、かつては数部屋あった部室の壁をぶち抜いて一部屋にしてしまったらしく、大講義室並みの広さを誇るという部室こそが、其の忌まわしき集団の本拠地であった。
入口にはデカデカと「童貞連合本部拠点」の厳つい字体の立て看板が屹立し、禍々しいオーラを放っている。
彼ら、「非理亜大学童貞連合」の居城はまさに怨念の怪物共が根城にするに相応しい城であった。
この、「童貞連合本部拠点」と呼ばれる一室では、週一回の「定例集会」が行われ、今日は記念すべき20xx年度最初の集会であるとのことであった。強制新入隊員である彼 ―三槍アキラ― は、本部拠点の門をくぐるやいなや恐ろしく個性的な「隊員」達に口々に歓迎の言葉を投げ掛けられた。
成る程童貞連合というだけあって、どの隊員の顔を見ても、パッとしないというか、イケてないというか、皆隠しきれぬ負のオーラを身に纏っており、彼らの雰囲気はまるで1週間履きっばなしの後部屋に脱ぎ捨てられ未洗濯のまま放置された発酵ブリーフのようにおぞましい何かを感じた。
「君が、童貞に対して絶対的な嗅覚を持つ『スカウト童貞』が見つけてきた『逸材』、ミヤリくんか!」
「確かにタダ者じゃない童貞オーラを身にまとっている…!宜しくね、ミヤリくん」
初対面の人間に向かって会話一発目に「童貞オーラが出ている」などという意味不明な雑言を浴びせるような奴らの巣窟に迷い混んだことを心底後悔しながら愛想笑いで軽く受け流していると、黒板の前に立った一人の太ましい眼鏡の男が突然大きな声を出した。
「童貞諸君。グーテンモルゲン。
私がこの童貞連合300と85人の長を務める、童貞名『童貞隊長』こと、闇井和彬だ。」
醜さ余って顔面凶器のデブメガネがいきなりドイツ語で挨拶をしたかと思うと、先程まで騒ぎ散らしていた周りの童貞達がしんと静まり、この顔面凶器、もとい隊長とやらのほうに体を向け、真剣に話を聞く体勢に入った。この全くもって興味のそそられない肥えた豚のような男の話に耳を傾けるのはミヤリにとって癪なことではあったが、そんな態度を出した瞬間に周囲の童貞どもから物理的並びに社会的に完膚なきまで叩きのめされ、童貞の群衆のなかで童貞のまま息絶えるという男として死んでも死にきれぬ最後を迎えそうな予感を察知したため、黙って耳を0,05度ほど傾けた。
「諸君。今年も、我々にとっては精神の安定が損なわれる恨むべき季節がやって来た。春。そう、春だ。青い春?笑わせるな。青春などという言葉は、盛りのついた糞オス猿メス猿どもが、欲情の赴くままベタベタベタベタと、吐き捨てたガムもかくやと思うほどに粘着し合い、挙げ句の果てに肉欲目的の繁殖行為に走るおぞましき輪廻の始まりを告げる季節を美化したあまりに現実とかけはなれた古びた神話のような言葉だ。」
一同の目がつりあがる。血走った眼で人を睨み殺せそうなほどの憎悪を発している者もいる。
「我々は、いつも被害者である。
世に溢れる男女の番は我々童貞を『ださい』だの『醜い』だのと罵りあざけ笑う。我々の純粋な片想いで終わる恋のことも『ストーカー』『キモいんだよ』等と罵る。童貞を表現する例として知られる文章などを見ると『童貞は1度も城に攻め込んだことのない兵士、処女は1度も攻め込まれたことのない城である』等と処女崇拝童貞非難のいわば『処尊童卑』の風潮がはびこる。
世界は我々童貞を常になじり、痛めつけ、嘲笑う。我々はいつだって、被害者である。
だからこそ、私は声を大にして言いたい。
童貞とは人を斬ったことのない日本刀のようなものだと。汚れなき白刃なのだと。人を傷つけることなく輝く、価値ある一振りの刃なのだと。
我々は劣等種等ではないと!」
拍手の渦。暴風雨。嵐。
あるものは涙を流し、あるものは唇を噛み締め、あるものは頭に青筋をたてながら手を叩く醜い男達。
ミヤリは恐ろしくなった。憎悪だ、憎悪の塊だ。この男達は、嫉妬と憎悪の化け物達だ。
「ミヤリくん。隊長のすばらしい御言葉を聞いたかい?我々童貞には青春などというものはないが、誇りがある。それだけは捨ててはいけない、と隊長はそうおっしゃっているのだ」
隣にいた、迷彩柄のゲリラのような服を着た気味の悪い男が言葉をかけた。
「急に話しかけてすまない。私は童貞名『戦士童貞』というものだ。」
肩から巨大なガスガンをぶら下げ、迷彩服・迷彩ヘルメットを纏ったまるでベトコンゲリラのような男が名乗った。
「ミヤリくん。童貞連合に入ると、全員一人一人に、隊長より童貞名を与えられる。私は戦士童貞。君をスカウトしてきた男はスカウト童貞。隊員は一人一人の個性にあった童貞名をつけていただけるのだ」
「あ、、あまり有り難くないですね…」
「そんなことはない。数々の戦果を挙げてきた隊長につけていただく名だ。ありがたいものさ」
童貞連合の隊長であるという壇上の男の話が終わると、一人のこれまた冴えない男がマイクをもって壇の前へと進み出た。
「えー、それでは20XX年第1回童貞連合新規隊員紹介ならびに命名式に移らせていただきます」
司会の男がそう告げると、戦士童貞なる男がミヤリを壇上に上がるよう急かした。
とてもこの陰惨な群衆の晒し者になりたくはなかったが、ここで逆らっても後々このイカ臭い童貞達に社会的抹殺という報復を受けるだけだと理解し、ミヤリは半泣きで壇上へと上がった。
壇上には、ミヤリの他にも、やたらと背も肩幅も腹回りもでかい男と、背は低く筋肉質で長髪髭面の強面の男と、顔の長い見るからに憎らしい餓鬼のようなニヤニヤした男が立っていた。
「それでは新隊員を紹介していく。先ずはむかっていちばん左、横も縦もでかい童貞。彼の名は原山ヨーイチ。柔道から萌えアニメまで心得たエリートな童貞だ。高校時代は女子の多い部活に属すも、恋愛経験は皆無だ。彼の童貞名は『巨人童貞』に決定した。」
隊長が大男を指差し淡々と告げた。会場からは拍手が上がる。おいおい、このコードネーム、ただのパッと見じゃないか、と心中で呟きつつ、ミヤリは自分のコードネームがいかなるものになるのか不安を覚えた。
「続いてこの老け顔の童貞。こう見えても彼は現役合格、正真正銘の18歳だ。名前を壱太純一という。彼はスポーツもでき、オタク知識に明るく、また野草を摘んで喰うほどの野生児でもある。彼の童貞名は『野生童貞』に決定した。」
二番目の男はミヤリには、全く年下には見えない、とても厳ついおとこだった。成る程、ワイルド系の男だ。コードネームは納得である。
「次にこの面長の童貞、名を宅橋 ヨシヒロ。彼は兎に角、悪戯の達人だ。人をからかう事を生き甲斐とし、人を怒らせることで飯を食い、人の不幸で自らの幸福を感じる、我々童貞連合のリア充爆発部隊の有望株だ。彼の童貞名は『クズ童貞』に決定した。」
何故だ?何故、クズなんて悪口にしか聞こえぬコードネームをつけられるんだ?あの男は?
ミヤリは首をかしげる他なかったが、まあ彼の「悪戯好き」な性格からそう名付けたのだろうか、となんとか納得しようとした。
「それでは、最後の新隊員を紹介する。」
遂に、童貞隊長とやらがミヤリの隣に立った。
穏便に、手早く済ませて欲しい。そして、変なコードネームはやめてくれ。
ミヤリは心で祈りながら流れに魅を委ねた。
「彼こそは、我が童貞連合が調査した新入生の中でも最も童貞としての素質を秘めた童貞の中の童貞、その原石であると思われる男だ。名は三槍アキラ。生まれてから現在まで純粋培養の非モテ、非リア、培われてきたコミュ障パワー。虫好きという女子受け最悪の趣味。とにかく彼は逸材だ、10年に一人の童貞!私はそう信じている。いずれは私の名を継いでもらおうとすら考えている。しかし彼はまだ新人。彼の童貞名は、かつて在籍した偉大なる先輩童貞『昆虫童貞』の名にあやかり、『虫ケラ童貞』と命名する!」
ミヤリは遠い目をしつつ空を仰いだ。魂が抜けていくような感覚と目眩を覚えて、彼は深い漆黒の闇に放り込まれる感覚に身を任せて、残酷な運命を呪ったのであった。