5
『黒田くんってさ、ちょっとだけ、みんなと違うよね』
プールでの、クラスの女の子の台詞が頭の中で木霊する。
『なんていうかさ、一人だけ大人っぽいっていうか。小学生ぽくないっていうか』
ほら、それに――
女の子は珍しく少し言葉にすることををためらうように口を開いたり閉じたりしてから、声を発した。
『あの二人と、仲良かったじゃない。亡くなった――ソラ君・・・と、サクラちゃん』
『そうでしょ? 黒田くん。黒田ユキ・・・・くん』
僕は、悪くなんかない。
あいつが――ソラが、サクラが好きだなんて、言いだすから。
僕は、何もしていない。
去年の夏、プールの底で足を滑らせてそのまま沈んでいった奴を、ただ眺めていただけだ。
奴は助けを求めて手を差し出したが。
僕は、何もしなかった。
これでいいと。これでいいのだと。
プールにはもう入りたくないな、とだけ思って。
けれど、違ったのだ。
僕は、ソラがいなくなれば全てがよくなると思っていた。
まさか――サクラが飛び降りるなんてこと、思っていなかった。
彼女はソラの訃報を聞いた瞬間、授業をやっていた音楽室から飛び降りた。頭を地面に思い切りたたきつけるようにして。決して死に損ねるなんてことが、ないように。
僕は一人になった。
でも、彼女は還ってきた。ソラだけを求めて。僕のことなど、忘れて。
だから、僕は混乱する彼女に向かって言ってやったんだ。
「何言ってるの、サクラ。僕だよ。ソラだよ……まさか、忘れちゃったの?」
ふうっと息を吸って、はいて。ソラが持っていた楽譜を睨みつけて。僕はまた、「ソラ」を始める。奴ほどピアノはうまく弾けないけれど、彼女が騙されてくれているのだから問題ない。
音が流れ出す。題名は知らない。楽譜を読むので精いっぱいだ。和音、和音、和音。ああ、ソラはこんな曲を弾いてたのだろうか。どこか物悲しげ。つたなさの見え隠れするピアノでも、それくらいは伝わる。
「ベートーヴェン。ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調「月光」 第1楽章……」
サクラの透き通った声が、闇に溶けていく。
僕はサクラを手に入れた。僕だけを見てくれる、僕のサクラだ。
危なかった。今夜は本当に、危なかった。
後、危険なものは。
ふっと、頭の中で、ショートヘアの女の子が浮かぶ。自然と、眉がよる。
『なんかね、私、怖いの。黒田くんが』
茶色の、ちっともきれいじゃない瞳が僕に黄色い声を飛ばす。
でも、なんで怖いのか分からないの。七不思議の七つ目を、勝手に実は……と話し始める感じ?
ぞくぞくする。
楽しいの。
『だから、こうして話しかけているのだけれど』
ねえ、黒田くん、とクラスメイトはにっこりと微笑んだ。彼女にとっては天使の微笑みのつもりだったのだろうけれど、僕にとっては鬼女にしか見えなかった。
『七不思議、作ろうよ。ソラくんとサクラちゃんの。きっと面白いよ。ソラくんとサクラちゃんが、本当はお互いのことが好きで、音楽室でピアノを弾いているとかどう? みんな、怖がってくれるよ。黒田くんがいれば、ううん、ユキくんがいれば、みんな本当のことだと思うよ。ねえ、やろう?』
背筋が震えた。
駄目だ。そんなことさせちゃ駄目だ。
サクラは僕だけのサクラなのに……また、ソラにとられてたまるものか。
サクラの気持ちがどうであろうと。
サクラは、僕のサクラだ。
そんな、幾多もある「不思議」の中に、彼女を埋もれさせて――たまるものか。
「……じゃまだなあ」
と、僕は呟いた。ピアノの音に、悪意が混じっていく。月光が、闇にのまれていく。
どうしたの? と聞いてくるサクラに、僕は何でもない、と答える。
「次は、プールで泳いでみようかと、思って」
二度も偶然がおこるわけがない。
だから……僕が。
今度こそ、プールは閉鎖になるだろうか。
クラスメイトのあの子は、死んだら幽霊にでもなるのだろうか。
「今度こそ呪い殺される……かも、なんて」
ばかばかしい、と。
僕はぽつんと椅子に座る少女には聞こえないように、小さく、でも確かに呟いた。




