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そっとピアノの赤いカバーをのけると、白と黒の世界が現れた。
続いてピアノのそばに座り込む。月明かりだけを頼りに、真黒なランドセルの中身をあさる。光はカバンの奥の方までは照らしてくれない。まるで闇をすくっているような、変な感覚に襲われる。
ぬめりとした黒が僕の手を包み込み、指の間をすり抜ける。時通り手を出し、窓の方に向ける。本当にそれがまだ僕の手首にくっついているのか心配になるのだ。
真夜中の音楽室。一棟三階。五線譜の弾かれた特別な黒板の前にたたずむピアノ。もちろん、それは急に鳴りだしたりしないし、教室の後ろにかかっているベートーヴェンは睨みつけてきたりしない。
七不思議、なんてものはこの小学校にもあるけれど、もういろんな人がいろんな不思議を作りすぎて八十八不思議くらいまでになっている。家庭科室で包丁が飛ぶとか、校庭の真ん中に立つと幽霊が見えるとか、そんな鉄板的なものから、夜二宮金次郎が「あー肩こった―」と湿布をはりだすやら、理科室の骸骨が盆踊りしながら学校中を歩き回るやら、冗談としか思えないものもたくさんある。
女の子たちの噂話を飛び回る「不思議もの」は、本当なのか嘘なのかは分からないまま消費され、もてはやされ、日常生活の中に溶けていく。
『ねー黒田クン、知ってる?』
今日の昼休みのことを思い出す。
頭の中で、女の子たちは自分の考えた不思議を勝手に、あたかも元からあったかのように話しだした。
キンキンするような声。
くすくす笑い。
まるで僕を責め立てているようだ。
ああ、うるさい。一人にしてくれ。
触らないで。
話しかけないで。
僕の願いとは裏腹に、いつの間にかのっぺらぼうになっていたショートヘアの口がうごめく。
『最近、音楽室に出るらしいよぉ。え、何がって? そりゃあ、幽霊に決まってるじゃない……』
「ばかばかしい」
と、頭の中のイメージをかき消すように僕は言った。
何か喋っていないと、暗闇にのまれそうな気がしてならなかった。
「そう思わない? 女の子たちって、どうしてあんなに噂話が好きなんだろう。君も、僕も、こうしてちゃんと存在してるって言うのに」
机を全て後ろに引いて、一つだけ残した椅子に座る彼女に話しかける。そうだね、と、鈴のなるような声がピアノの向こう側から聞えてきた。その声を聞いて、僕はほっとする。
大丈夫。今日も、大丈夫。
ランドセルの中に手を突っこんだまま、彼女にたずねる。
「今日は何、弾いて欲しい?」
「……シューベルト」
か細い声に、了解、と返事をする。持ってきた大量の楽譜の中から、かろうじて「シュー…」と読めるぼろぼろの用紙を取り出す。題名は英語で書かれていて、僕には読めない。
えっと、最初は――




