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虎と狐  作者: ミズノ
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2

2.

 次の日から青山は休み時間のたびに僕に絡んでくるようになった。青山は、クラスの中でも選りすぐりのうるさい輩とばかり一緒にいた。一方の僕は、常にクラスの端っこでいるのかいないのかも良く分からない感じだったから、クラスメートの大半は僕と青山を何事かと不可解に感じていたことだろう。僕はなんだか、テレビに出演した、いわゆるシロウトみたいな居心地の悪さを味わっていた。話はだいたいモンスターの育成法の話、そして青山は僕の持ち物や服装をやたら馬鹿にしてくる。余計なお世話だ。

 そういうわけで、電車での一件があった次の日はやけに落ちつかない日になった。放課後、相変わらず利用者がひとりとしていない図書館のカウンターについて、ようやく一息ついたところだった。柳は一足先に図書館に来ていた。書架で本を漁っていたと思ったら、僕がカウンターについたのを見てこちらにやってきた。となりの椅子にひょいと腰掛ける。

「暇そうだな、今日も今日とて」

 柳は、なんだか不自然に身を乗り出している。僕の方に。

「谷口君はいつもよりも楽しそうだったね」

 楽しそうな一日。

「そんなふうにみえたか」

「そんなふうにしかみえなかったけど」

 柳は青山のことを聞きたくてしかたがなかったのだろう。教室での柳は、基本的に他の助詞のグループに混じっていて僕とは関わらない。

 昨日の、電車の中からハンバーガーショップで別れるまでの顛末を話そうと思ったが、面倒くさくなってやめた。

「あいつはゲーマーなんだ」

「ほうほう、それで」

 僕は黙った。

「えっ、説明終わり?」

 柳は僕の両肩をもってガタガタゆらした。柳は僕の事を壊れたガチャポンか何かと勘違いしているのだろう。いくらゆすろうと、出ないものは出ないのだ。

 しばらくゆすられて、気分が悪くなってきたあたりで、来館を知らせるベルがひとつ鳴った。珍しいことだ。放課後に、図書館を利用する人がいるなんて――。

「あれ、うちのクラスの図書委員は、仲が良くて楽しそうね」

 僕は思わず柳から離れた。柳も「珍しいなあ」なんていいながら突然よそよそしい態度になる。それもそのはずだ、来館したのは、青山にはおよそ似つかわしくないキーホルダーを送った本人、一宮さんその人だったからだ。

 一宮さんを前にして、柳は急におとなしくなった。それは僕とて同様なのだが。

 

 一宮さんはカウンターのほうまでやってきた。柳は猫を被ったようにおとなしい。そして僕は自分の思考がオーバーフロー気味になっているのを感じていたが、どうにもならなかった。

「知り合いがいてラッキーだったよ。教えて欲しいんだけど、ここの映画とか演劇の脚本を指南してくれる本は置いてないかな」

 僕が答えられずにいるところに、

「文化祭の準備ね」

「そうそう。劇を作りたいって人がいなさそうだからさ、私がやることになるかも」

 僕には話が飲み込めなかったが、二人の間には通じるものがあるらしい。柳は、目の前のパソコンの書籍検索ソフトを立ち上げ、何かの書名を打ち込むと、蔵書番号が記された容姿をプリントアウトして一宮さんに手渡した。

「あのへん」

 と奥の書架を指さすと、一宮さんはこくりとうなずいて本を探しにいった。

「何の話だ、演劇って」

 柳沢はあきれたように肩をすくめてみせる。洋画めいたわざとらしさが腹立たしい。

「何も聞いていなかった君に、しっかり説明してあげよう」

 柳は、僕のホームルーム時の態度を逐一非難しながらも教えてくれた。今日のホームルームで、二か月後に迫った文化祭の出し物を決めたこと。投票の結果、演劇をやることになったこと。脚本の担当を誰もやらず、司会者を担当していた一宮さんが引き受けることになりそうなこと、などだ。

さっきのホームルームの時間、A4用紙を八等分したわら半紙が前の席から回ってきた。手遊びで折っているうちに回収されてしまったが、あれはそういうわけだったのか。

「あちゃー、話を聞いていないばかりか。白票だったんだ、民主国家、日本国民の風上にもおけないね」

「支持するべき政党がないというもの、立派な意思表示の一つだ」

「そもそも投票があったことすら知らなかったんでしょ……」

 と、一宮さんが、両手に本を抱えるようにしてカウンターにやってきた。重い荷物を解放するように、一宮さんはどさりと音を立ててカウンターに本を置く。貸出手続きをすると、パソコンの画面には利用冊数限界の表示が出た。期間内に、こんなに読み切れるのだろうか心配になるが、

「ありがとう。じゃあ、またね」

 僕はあいかわらず声が出ず、獅子脅しみたいに、コクコクと機械的にうなずくことしかできなかった。

 借りた本を鞄につめ、一宮さんはもう一度ベルをならして去っていった。あとには、僕と柳だけが残った。

 唐突に、僕の目の前に、僕の顔が現れた。いや、これではややこしい。つまり、柳が僕の前に手鏡を差しだしたのだ。

「何だよ」

「手鏡」

 見ればわかる。

 僕は鏡が嫌いなのでそっぽを向いた。

「あの屁理屈を、一宮さんの前でも披露して欲しいわ」

 柳は、周りくどい言いまわして僕を非難した。


 実をいうと、僕と一宮さんは同じ中学の出身だ。そして偶然にも同じ高校を受験し、同じクラスになった。正直言って嬉しいと思った。なんで嬉しかったかというと、それは中学時代にあった、ある散文的な出来事がきっかけだ。器量が

 僕の中学時代は非常に凄惨なものだった。思い出すのも苦痛だ。誰もが僕を遠巻きにし、僕もあえて近寄っていく気力が起きなかった。どんな社交的な生徒も僕の前では表情を曇らせた。

 だが、一宮さんだけは、他の生徒と一緒にいるときと変わらないような様子で、僕と関わってくれたのだ。大したことを話したわけではない。テストがあるとか、文化祭がどうのとか、とりとめのない話ばかりだった。だがそれは、僕の大きな支えなった。このことは、誰にも話すつもりはない。


 柳は、面白いことを知ったというように、にやにやしている。

「でも青山くんと付き合ってるんでしょ」

 絶望的なことをさらっと言ってのける。

「知ってる」

「嘘、なんで。クラスの出し物のことも知らなかったのに」

「青山本人から聞いたよ」

 柳はますます面白そうな表情をする。

「いつ?」

 柳は、なんだかワイドショーのレポーターじみてきた。せっそうのない感じが。

「昨日」

 ハンバーガーとポテトを挟んで向かい合い、

「一宮からもらった」

 と言った青山が思い出される。結局、僕は昨日のことをあらかた柳に話してしまった。

「ふーん、面白いこともあるもんだねえ」

 やっぱり面白がっていやがった。

「でも」

 柳は何かを思い出すように、視線を宙にさまよわせた。

「私、青山くん苦手なんだよねえ……」


 類は友を呼ぶ、とよく言う。多くの人間がこのことわざを無暗に信じていることは間違いない。全く大したことのない人でも、付き合っている人が凄い人ばかりなら、そいつも何かしら凄いんじゃないか、と思う。有名な高校に通っているから、有名な大学に通っているから、有名な会社に勤めているから、その人はきっと有能だろうし、人格的に優れているに違いない――だが、所属している団体とか、付き合っている人間から、その能力とか人間性を推定するのは、必ずしも適当ではない。いわゆる”ハロー効果”という奴だ。

 そしてそれは、青山と話すようになって以来の僕のことだ。

 休み時間とか、放課後、クラスメートがときどき僕の机のところにやってくるようになった。

「谷口くんさ、俺の名前わかる?」

 と聞かれたときは困った。わからなかったからだ。新しいクラスが始まって数カ月、僕はまだクラスメートの名前を覚えきれていなかった。他にも、宿題を回収するときだとか、英語の授業でペアを組むときだとか、以前感じていた壁みたいなものが消えた気がする。青山のようなひとりの人間の存在で、他人と態度がここまで変わるものなのだ。なんだか、僕が被害妄想だっただけのような気がしてくるほどだ。

 そうこうしているうちに、クラスメートに話しかけられるのにも慣れてきた。肩を張らずに応対できるようになるまで、そんなに長い時間かからなかったように思う。


 ホームルームが終わって、帰宅の準備をしていたときのことだ。

机の上にヒト型の影が落ちる、

「谷口くん、このあと、少し時間あるかな」

 僕はちょっと返事に窮した。僕は平均より少し背が低いくらい、そして相手方は女の子にしては高い方。僕と一宮さんが向かい合うと、真正面から互いの目をみる形になってしまうからだ。

 一宮さんは僕の机に手を置く。すると、肩からさげた通学用鞄がずれるのにあわせて、キーホルダーがぶらぶら揺れる。なんだか、どこかでみたことのある光景だった。

「良いよ、今日は、後は家に帰るくらいしか用事がないから」

 自分でも意外なくらい、すらすら言葉が出てきた。くだらない言いまわしにも、一宮さんはニコニコ笑ってくれる。目の縁のしわと、えくぼがすごく無防備だ。たぶん、僕が言葉に詰まってしまうのはこのせいだろう。

「ありがとう、帰りは電車だよね? 帰りながら話そう」


 一宮さんと連れだって校舎を出る。だが、僕は何か悪い事をしているような気分になって、

「青山のことを待ったりはしないの」

 一宮さんは面白いことを聞いたように笑った。だが、さっきのような無防備な感じはなかった。

「そういうのはいい、って言われちゃってさ」

「そうか、あいつも結構、変わっているな」

 一宮さんは意外そうな顔をした。

「私もそう思っている。青山君を変わっているって言う人、私意外にいるとは思わなかった。青山くんには、わからないところがたくさなる」

 そう言った一宮さんは遠くを見るような目をしていた。しかしすぐに、頭の中で始まりかけた空想を断ちきるように、

「ごめん、そうだ。そんな話じゃなかったね。少し、相談したいことがあって」

 関係ない話題を振ったのは僕のほうなのだが、やはり一宮さんは良い人なんだなと思った。僕はつい、改まって背筋をしゃんと伸ばしてしまった。

「聞きたいんだけど、谷口くんは、脚本とか書いたことはないかな」


 図書委員になり、そして柳と知り合ったことで、僕は多少本に触れる機会が増えはしたが、まさか自分で何か作ろうなんて考えたこともなかった。

「悪いけど、全然ないな」

 一宮さんは一転、残念そうに目を伏せた。

「そっか、谷口くんは、なんだか詳しそうにみえたから」

 協力できるのであればしたいと思う。だが、安請け合いして妙な期待をさせるのはどうだろう。

 二人して駅の改札を通り抜ける。電車が来るまでは、まだ時間があった。僕はふっと思いつく。

「もしかしたら、柳が詳しいかもしれない」

「柳さんが?」

 僕はうなずく。

「あいつ、この前一宮さんが本を探してきたとき、すぐに場所を答えてただろ」

 一宮さんは思い出すように視線を宙にやる。

「そうだね」

「それと、あいつは仕事中、あれ読めこれ読めって僕に勧めてくるんだ。かなりの本好きだから、書く方にも関心を持ったことがあるかもしれない」

 いつのまにか、一宮さんは身を乗り出すようにして僕の話を聞いていた。癖なんだろうか。そして、その目の大きさがさっきの二割増しくらいになっている気がする。僕はちょっとたじろいだ。こういうのを「目を輝かせる」と表現するのだろう。

 一宮さんは僕の動揺など構いもせず、今度はずいと一歩踏み出してきた。そして僕の左手を取って両手で包むと、祈りを込めるようにぎゅっと握った。温めたマシュマロのような優しい感触に、僕は正気を失いそうになる。

「谷口くん」

「お、おう」

「ありがとう。明日、柳さんに聞いてみるよ」

 駅のホームに電車が流れ込んできた。僕は、酸素が不足した金魚みたいに口をぱくぱくさせていたが、ようやく

「電車、来てるよ」

 これだけは、何とか言えた。

 一宮さんはあわてて電車に乗り込むと、動き出した電車の窓から手を振ってくれた。僕も、ぎこちなく返事を返してみる。

 そうして、僕は人のいなくなったホームに取り残された。左手には、心地よい温かさがまだ残っていた。


 手合わせは二週間ぶりだった。電車での一戦以来、青山は着実に進化していた。それと、今日の僕はなんだかふわふわした気分でいたから、苦戦を強いられるのは当然だったともいえる。

「くっそ、やっぱり強いな」

 今日の僕らはカラオケボックスにきていた。この対戦で勝ったほうが、代金を持つことになるという重要な勝負だ。さらに、相手に任意の曲を歌わせることもできる。さんざん渋ったが、放課後、暇を持て余した僕はおしきられる形でここまで来て、対戦に興じている。

 僕は、自身の画面に表示された”YOU WIN”の二単語をみながら、青山の歌う美女ゲーの主題歌を聞いていた。うん、結構うまいな、もしかして、プレイ経験があるんだろうか。

「こういうのもたまには面白い」

 たぶん、クラスメートと遊びに行く時は、選曲にも気を配っているんだろう。

 その後は各々が、適当に曲を転送していく。青山は、まさにいまどきといった感じのロック調の曲が中心で、やたらうまい。

 二人だけで順番を回していたから、疲れるのも速かった。予約時間もまだ三十分は残っていたが、喉が痛くて声を出すのも辛いくらいだった。

「なあ谷口」

 青山の声もがらがらで、よく耳を澄まさないと何を言っているのかわからない。

「今日の対戦は、絶不調だったな、どうかしたのか」

 僕は正直に話すことにした。

「一宮さんに脚本の手伝いを頼まれて」

「ほう」

「詳しそうな柳に丸投げした」

 青山は豪快に笑いそうになったが、喉に何かが引っかかったみたいで、むせた。

「っ、いい人選だと思うぞ」

「詳しそうっていうイメージだけで推薦したんだけど」

 来週にでも本人に聞いてみないといけない。場合によっては一宮さんに謝らなければならない。

「それより、俺の方が問題だ」

「と、いうと」

「監督を任されてしまった」

 それは問題なのか。

「頼りにされてるってことだろう」

「そういう見方もできるな」

 なんだか弱気な発言だ。

「期待してるんだろ、みんな」

「期待か、お前はやっぱりいい奴だよ」

 青山はソファの背もたれに体を預けた。

「文化祭がうまくいくことを期待している奴ばかりじゃないんだ。お前みたいにさ」

 僕とて、別に青山に期待しているわけではない、単純に興味がないだけだが、わざわざいうほどのことではあるまい。

「ああ、青山の作る演劇はこの程度なんだな、って思われるのが許せないんだ」

 クラスをまとめあげる能力を持っていて、いつも楽しい事の中心にいて、スポーツもできる。だけど、こういう文化系の方面はさっぱりなんだな、という評価。こいつにも、駄目なところがあるんだなあという慰め。まあ、そういうことを考える奴がいないとは言い切れないが、考え過ぎな気もする。

「青山は、一体何と戦ってるんだ」

「そうだな……」

 カラオケの機器から流れてくるCMがうるさい。それでも、そしてガラガラ声にも関わらず、青山の言葉ははっきりと聞き取れた。

「誰かと個人というより、仮想敵だな。俺のやることなすこと全部に、いちいちいちゃもんをつけてくるクソヤローだよ」

 優秀なやつは大変だなあ、なんて月並みな感想しか僕には浮かばなかったが、そう思われることすら青山には心外なのかもしれない。仮想敵、か。

 壁にかかった呼び出しのコールが鳴った。もう終了時間だ。

「じゃ、帰ろうか、次は絶対勝つからなー」

 青山はそうやって宣言して、約束通りきっちりと代金を出した。数週間前、駅の構内で話が盛り上がったときのことを思い出した。あの時の青山からは、なんだか輝かしい光みたいなものが放出されているようみえたけれども、それは僕の気のせいだったかもしれない。

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