1
1.
ドリブルの音と振動が体育館をいっぱいに満たしている。キュッとシューズが床をこする音。入り乱れる人の中、ひときわ背の高いそいつは、ディフェンスのすきまに素早く入り込み、味方からのパスを受け取った。そして、受け取ったバスケットボールを、流れるような動作で、宙にぶら下がるわっかの内側に放り込んだ。
スコアボードがめくれるのと、終了の笛が鳴ったのは同時だった。一瞬の静けさの後、味方の席からは割れんばかりの歓声が湧き上がってコートを包みこむ。スコアは43-42。試合間際の奇跡のようなプレーで、我らが1-Aは5月の球技大会で優勝を果たした。
コートの中央、ひときわ背の高いそいつ、青山のもとにクラスメートたちが駆け寄っていく。「やったな!」「おめでとう」クラスメートたちの祝辞は絶えることなく、最終的に、青山は感極まったクラスメートの手によって何度も宙を舞った。
そして、僕は目の前で起こっていることすべてに興味がなかった。
「すごかったね」
柳は、脚立の下から僕に本を手渡しながらそう言った。
「試合間際の見事なプレーだった。奇跡かと思ったよ」
受け取った本を書棚の一番上に並べながらそう答える。放課後の図書館、僕らは、返却された書籍を正しい場所に戻す作業に従事していた。僕は脚立の上、柳は下で、台車に積んだ本を一冊ずつ手渡してくる。
と、本を受け取ろうと手を伸ばして、バランスを崩しそうになる。柳が、僕が受け取る直前に数センチほど手を引っ込めたからだ。
「危ないな、なんだよ」
「谷口くん、全然心にもないことを平気で言うよね」
「何を言っているのか分からない」
僕は体勢を立て直すと、さらに手を伸ばして柳の手から本を奪い取るように受け取った。
「みんなが勝利の喜びでいっぱいになっているときに、どうしてあんな顔していられるわけ」
あんな顔、と言われても。
「僕は普通にしていただけだ。普通に」
「私の手鏡、貸してあげたいわ。ああいう場で、嘘でも喜ばないのはマナー違反よ」
柳は妙な言いまわしを好んで使うくせがある。
「そんなマナーは聞いたことがない。あんまり、興味がなかったんだ」
柳はやっぱりと言ったような顔をしてくる。なんだか腹立たしい気分になるが。
「まあ、私も球技大会の勝敗なんて心の底から興味ないけどさ、青山君がシュート決めた時に黄色い歓声をあげる準備くらいしているよ、常に。そういうこときちんと意識してないと、いつまでたっても仲良しの友達なんてできないよ」
心の底から、か。クラスメートの前でも同じことを言ってみろと言い返したくなるが、面倒だ。
「そんなめんどうくさいことをするくらいなら、友人なんていらない」
「またまたあ」
柳はその笑みをいっそう深くする。速く仕事を片付けてしまいたいと思って、僕の作業はおのずと効率的になる。
図書委員の仕事が終わって校舎を出ると、西の空はすでに赤く染まっていた。校庭の葉桜が、少し湿り気を帯びた風になびく。夏が近づいている。校庭を占領していた運動部は片付けを始めていて、弛緩した空気がグラウンド全体に漂っていた。柳は、先生に質問があり職員室に寄っていくという。熱心なことだ。
校門を出て、最寄りの駅までは直線で五分ほど。僕と同じ制服の生徒がちらほらいる。駅のホームには、まだあまり人がいなかった。時間が悪いと、ホームはわが母校の生徒でいっぱいになってしまうのだ。
電車はすぐにやって来て、乗り込む。僕は適当な座席に腰掛けて、通学用かばんからポータブルゲーム機を取りだした。近年のポータブルゲーム機の進歩は目覚ましく、ワイヤレス通信によって近くにいる誰かと通信することができる。この機能によって僕は、手塩にかけて育成したモンスターたちを、名も知らぬ強者と戦わせることができるのだ。
通信機能をオンにすると、対戦相手はすぐに見つかった。僕はえりすぐりの三対を戦闘に投入し、戦いが始まった。一方の相手は、確かに良く育成してあるメンバーだった。だが、それだけでは僕に勝つことはできない。相手は、種族と技の構成、メンバーの組み合わせがよくない。ただ単純に強いモンスターを投入するだけでは駄目なのだ。どんな強いモンスターにも、必ず弱点が存在する。それを補うことができるようにパーティを組まなければならないのだ。
それでも、そこそこ鍛えてあるパーティだけあって、殲滅には少々の労力が必要になった。想像以上に、相手は食い下がってくる。最後の一体を撃破したときには思わず、「っし」とガッツポーズをしてしまった。
目の前で立っていたサラリーマン風の男が、明らかに何かを軽蔑するような色を帯びていた。ほんと、気楽でいいよなあ高校生は、とでもいいたげだ。良い歳してゲームだなんて、と柳にも馬鹿にされそうだ。
「くっそ、強いな」
その声は、僕の隣から聞こえてきた。見ると、手には僕と同じポータブルゲーム機。そして同じ高校の学ラン。だけれど僕とは違って、第一ボタンは開けてあったり、ちょっとダボっとしたズボンが垢ぬけてみえたりする。足元には、どこかでみたことがあるようなブランドもののスニーカー、鞄についたやたら可愛いキーホルダー、胸ポケットから覗くスマホのカバー、ひと目みて、僕の苦手なタイプの人だと思った。そして、そのいで立ちにはなんとなく覚えがあったが、顔をみたらすぐにわかった。青山だ。
僕がぽかんとしているのに気づいたようだった。
「これってもしかして、谷口?」
青山は手に持ったゲーム機の画面と僕とに交互に目をやる。
そうこうしているうちに、電車が終点についた。
「そうだよ、いい勝負だった」
僕がそう言って立ち去ろうとすると、青山は僕の方を掴んで引きとどめた。力が強い。
「待て、お前のパーティ、良く見せてくれよ」
青山はとても面白いものをみつけた子供のような嬉しそうな表情だ。ああ、だからこいつは人から好かれるんだなと思った。
終点は、市電のターミナル駅になっている。いろいろな路線がこの駅から伸びていて、地方にしては人がたくさん集まるほうだ。だから、最近はちょっと駅の構内や周辺で開発が進んでいて、商用施設が結構な数ある。
僕と青山は、改札を出てすぐのところで、ハンバーガーとポテトを挟んで向かい合っていた。僕は青山にゲーム機を手渡して、Mサイズのオレンジジュースをすすっていた。
「クラスに、このゲームの良さが分かるやつがいて良かった。探していたんだ、誰もやっているやつがいなくて」
「僕も、意外だったよ」
手合わせし、話してみてわかった。こいつ、なかなかできる。
しばらく、ゲーム内で捕獲したモンスターの育成法やパーティの組み方、技の構成について話し合った。いや、話し合ったというのは違う。青山が聞き、僕が答える。ほとんど僕が話しっぱなしの状態だった。僕はそんなに口数が多い方ではないのだが、相槌と質問に乗せられていろいろと話してしまった。ああ、こいつは人を会話に乗せるのも上手いのだ、なんだか怖くなってきた。
ふっと一息ついて、残りのハンバーガーに手をつける。青山はビッグマックをほとんど平らげた。フライドポテトのラスイチは僕がもらった。おごってくれるという。
さて、そろそろ帰ろうかなと思ったところで、青山もそうと察したのか立ちあがるようなそぶりを見せた。こいつは、やはり相手のことをよく見ている。たぶん、僕は時計か入口の方に視線をやってしまったのだろう。
「なあ、もうひとつ聞いていいか」
青山はひとさし指で一を作ってそう言う。まるで、俳優がポーズを決めているようにみえるから不思議だ。
「今日の俺のプレーどうだった」
「感動した、奇跡かと思った」
青山は表情を変えない。
「本当にそう思うか」
声がきつめの調子を帯びる。その目をまっすぐ見ていると、まるでこちらの心の内が読みとられてしまいそうな気さえする。放課後、柳とした会話をそのまま思い出した。
「って、柳が言ってた。ごめん、そもそも僕は、その瞬間を見てなかった」
そうなのだ、僕が見ていたのは、青山がデュフェンスに切りこんでいくところまでだ。そのときちょうど、壁にかかった時計が目に入って、速く終わって欲しいと思っていた僕は、その短針にくぎ付けになってしまったのだ。ゴールが決まったのは、突然湧き上がった歓声から推測した。
青山は明らかに相好を崩した。気分を害するどころか、むしろ面白がっているようにみえる。
「谷口、面白いな。話しかけてよかった」
青山は、あの歓声の中心にいてなお、クラスメートひとりひとりの表情を把握していたというのか。そして、そいつらが何を考えているかのあたりをつけている。もしかしたら、青山が同性愛者か何かで僕に惚れているという可能性もあるが、そんな感じはしない、気がする。前者のほうがありえそうだ、と感じさせてしまうそのカリスマが恐ろしい。いや、僕がよっぽど悪目立ちしていただけかもしれない。柳から、手鏡を貸してもらう必要がありそうだ。
「僕も、ひとつ聞いていい」
「いいよ、なんでも聞いてくれ」
僕は、青山の手首にまかれたカラフルな輪っかと、鞄に着いた可愛らしいキーホルダーをさして、
「それ、誰からもらったの」
青山は悪戯を見つかった子供のような笑みを浮かべる。相手が相手なら、何をやっても許されそうだ。
「これは、一宮からもらったんだ。やっぱり、男がつけてると違和感あるよな」
そう言ってキーホルダーをぶらぶらさせる。一宮さんは、背が高くモデルみたいな女の子で、僕らのクラスメートのひとりだ。
「なんで」
なんとなく察しはついていたが、どうして聞いてしまったのか。
「俺と一宮、付き合ってるんだよ、ちょっと前から」
僕は目の前が真っ暗になった。




