聖域はたゆたい、君を迎え入れる 3
和秀の頭の中に、巨大な物量の情報体が、そして少女の意識が流れ込んできてから数ヶ月が過ぎようとしていた。
あれから、和秀は人が変わったように活動的になった。
まず、彼は自らの殻に閉じこもることをやめた。
孤高を、捨てた。
自分が長く生きられないということを知ったという事もある。しかしなによりもあの、自身を『バグ』だと答えた少女との出会いが彼を変えたのである。この、ゆっくりと終末に向かう海の向こう側にあの世界が、人がいない場所で育まれた楽園があるのだと思うと、彼の心は休らいだ。たとえ、彼が生きているうちにあの景色にたどりつけないとしても、いつか誰かが、あの最果ての地へ、青い海と砂浜の地へ辿り着く者がいるかも知れないと思うと心躍った。
せめてあの少女の願いを叶えたい。そのために自分に出来ることは何だろうか。
和秀は必死に考えた。
異質な才能をもって生まれた青年がやれることは、さほど多くはなかった。和秀は、感受性は高くても、それを生産に結びつけるような事は、いままでなにもしてこなかったからだ。
せいぜい本の内容を模写したり、絵を描いたりすることぐらいが、彼に出来る事だった。
だが、和秀はあきらめなかった。
とにかく自分にできる事をやってみよう、そう和秀は思ったのだった。
まずは第一歩。
彼は絵を描いては、それを市場で売りにだした。
それが少女の為になるものなのかはわからないが、和秀はまず人と交流する必要性を感じていた。幸い『CS』は海辺の街だ。海の男たちが沢山いるから何か情報が見つかるかもしれない。
しかし、絵ははじめの頃、売れるどころか地区の人々に見向きもされなかった。和秀はまだ『何を考えているかわからない青年』というレッテルを貼られ恐れられていたのだ。彼が急に活動的になった事は、そのイメージに拍車をかけてしまった。
しかしめげずに彼は幾日も絵を描き続けた。毎日の頭痛に悩まされ、時には四肢がうまく動かない日もあった。人々が集まる市場は和秀にとって不快感が感じる場所だったから、何度も吐きそうになった。
それでも彼は絵を描き続け、人混みの中で絵を売った。
絵の内容の基盤になったのは、あの日頭の中に降り注いできた、混沌とまざりあった現実と虚構の数々だった。
人が宇宙を目指していた時代。
あの、高い星空に辿りついた人々。
時には古くの戯曲、いたずらな妖精に魔法をかけられた花嫁。
父の幽霊に出会い、王に復讐を誓う王子。
幻想と空想が折り合う作品達に、少年を畏怖していた人々の目の色は、徐々に徐々に変わっていった。
いつのまにか、地区の人々は和秀に対して友好的になった。
例え和秀が理解不能な恐ろしい才能の持ち主であったとしても、人を感動させる事さえ出来るのであれば、それは憧憬に変わるのだと、徐々に身体が弱りゆく青年は思ったのだった。
三十を過ぎた頃の鷹野と知り合ったのは偶然だった。
それは和秀にとって、なにかの星の巡り合わせのように思えた。そのころ鷹野は花虫の研究者のひとりで、海で花虫を採掘、なお駆除をしていた際に、少女の接続機だと思われるものを発見していたのだ。
その頃、『古代機械』と呼ばれた海から引き上げられた機械群達の研究は、一切進んでいなかった。
それはキューブのようなものだったが、複雑な幾何学模様が烙印されている以外は何の特徴もなく、押しても叩いても何の反応も示さなかった。 なので彼らは、たとえこれが何か用途があるものだとしても、現代においてはオーバーテクノロジーに値するものもしくはガラクタ同然であると判断し、研究を放棄した。それよりも彼らは優先すべき事があったのだ。
花虫の研究及び、その駆除だ。
珊瑚が突然変異した汚染物質だとされている花虫は、この『JP』という小さな島国で猛威を奮っていた。防波堤の設置が間に合わなかったは海辺の地区は、花虫によって汚染、そして放棄され、人々は徐々に内陸へと追い込まれていった。
花虫の問題が深刻化するに伴い、その忌まわしき植物の研究は更に優先されていった。結果的にバイオテクノロジーの分野において都市は発達したものの、メカニカルな分野の解析、研究はまだまだこれからで、分解するためのナットさえ表面にはない古代機械群は完全にお手上げだったのだ。
研究者鷹野は、たまたま絵画鑑賞が趣味だった。
そして、たまたま和秀が路肩で売っていたひとつの絵画を購入した事で交流が始まったのだ。
それは和秀があの夢の中で、見た景色の一部を絵にしたもの。
海底で沈んだ棺、物語の眠り姫のようにいつまでもうたた寝を続ける少女の絵を。
題名『棺の少女』だった。
鷹野がこの絵に興味を持ったのは全くの偶然で、まるで引力に引き寄せられるようにこの絵を手にし、魅了されていた。まさかこの絵によって十数年後、この絵画を描いた青年の息子が本当に少女を海から救い出す事になるとは、和秀も鷹野も考えもしないだろう。
二人はその後、鷹野がこの地区に立ち寄る度に和秀を絵を買っていくという形で交友、というよりは売り手と買い手という関係性が続いていった。
きっかけは、鷹野が和秀にその絵画『棺の少女』を描いた理由を説明した時の事だった。
*
「にわかには、信じがたいな」
若きの日の鷹野は、恐ろしく研究熱心な男で、みなが古代機械の研究をやめた後も、古代機械の研究を人知れず続けていた。
といっても、この分解も出来ないこの物質は鷹野もお手上げだった。鉄も溶ける1538℃の高温でも溶けず、機械でプレスする事も出来なかったのだ。
それにしても、この色白で痩せぎす青年が話した世界の真相は、あまりにも論理を飛躍していた。海底に沈んでいる古代機械が頭の中に入り込み、直接語りかけてくるなんて、正気で言っているとは思えない。
なにより、この島を人だけを残して、人類がはるか昔に滅んでいるだなんて。
だが、彼がそんな嘘をつく理由が鷹野には全くわからなかった。だから鷹野は和秀を研究室に招き入れ、詳しく話を聞こうと思ったのだ。
「簡単に信じてもらえるとは、思っていません。でもーー」
「でも、なんだい」
「僕は、彼女を救いたい」
それは、あの日、まっさらな砂浜の上で自称『バグ』の少女に頼まれた事であり、そして彼自身が決断したことだ。
「君の何がそこまで必死にさせるのか、僕にはまだわからないよ」
「それは……」
和秀は言いよどんだ。彼は既に左手の感覚がなくなりつつあった、あと何年生きていけるかわからない。
鷹野と出会えた事は本当に幸運だったのだ。
「そう、言われてもね。人類がこの島以外いないだなんて」
確かにこの国は長い間外交をしていない。とはいえ、連合国は地図上では存在している。鷹野が生まれる数十年前の史実上は、外交もしていた事になっている。
話が矛盾している。
彼の話が本当なら、いつからか史実が書き換えられていることになる。
花虫の汚染が始まったのはいつからだろう。驚異の汚染物質と叫ばれたのはいつからだろう。
鷹野は記憶を探ろうとした。
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ERROR
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BACK VIEW POINT
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違和感。
記憶が欠損しているかのように、その史実が思い出せない。
彼は研究者だ。
確かに鷹野の研究は、花虫の歴史よりも、その生物そのものの生態や、周囲の環境に与える影響を考証するような事が主だった。
それに しても、史実がわからなくなっているのは明らかにおかしいのだ。いままでおかしいと思っていなかった事自体、何かが狂っているようにしか思えない。
鷹野は花虫という存在を、生まれてきてから当たり前のように感じていたが、それはいつから?
鷹野はそんな疑問を感じながらも、誰かに操られているように全く別の疑問を和秀に返した。
「ラジオから、他国語の放送が聞こえてくる事もあるのだがね。それはどう解釈しているんだい」
和秀は返答した。それは彼が答えたというよりは、彼の脳が反射的に回答を導きだしたようだった。
「あれは、鷹野さん達の言う古代機械がジャミングのような機能を起こしているにすぎませんよ。ALTNATE PRESETはあくまで物語を司る機械群です。それ以外の機能は副産物に過ぎません」
「ふむ……しかしラジオを電波ジャックしてどうする。わざわざ他の言語まで使って」
「そうとは思っていませんよ。彼女達は」
「ほう。では何故」
「古代機械は機械でありながら、ひとつひとつが人類の脳が核となっているバイオテクノロジーです。そしてこの島は拡張された四肢であり、僕らはその小さな細胞のひとつでしかない。
この島は、古代機械という名の沢山の子供達と、その女王たる親機が守り抜いた人類最後の砦……いやそれは籠の中の鳥のような……そんなものです。僕らは天災という驚異を、母親の子宮の中で生き延びた子供なんですよ」
和秀は様々な比喩を用いてそう答えた。
そして、確信を喉元に掴むようにして、言った。
「彼らは人類の亜種、なんですよ」
「この機械が、人だと?」
「そうです。だからきっと、ずっと前から僕らとコミュ二ケーションをとろうと思っていたんです」
ふむ……とまた鷹野は押し黙る。
「ごめんな和秀くん。君の熱意は伝わった。しかし、わたしも研究者の身だ。和秀くんの言うことが本当であったとしても、その仕組みを理解してみない限りはなんとも言えない。これだけは、いくら僕が君の絵に惚れ込んでいても話が別なんだ」
和秀には和秀なりの事情があるように、鷹野という研究者にとって、彼の話を全面的に信じる事は越えてはいけない一線を越えるようなものがあった。それが和秀の話を理解することにためらいを覚えていた。
わかりました、と決意の目をした和秀が言った。
「僕に考えがあります。ペンと紙を貸してください」
そう言うと、部屋の隅にあったものを指さす。オブジェのように置かれていたそれは、四角いキューブ状の形をした古代機械だった。
「今から、あの機械の内部構造を描写します」
ペンを持つと、脳が導くままに和秀はスケッチを始めたのだった。




