聖域はたゆたい、君を迎え入れる 2
目を開けると、そこには満天の夜空が広がっていた。
均衡感覚を無くしそうになるほど、高い夜空。
潮のにおいがする。眠ってしまったのだろうか、と和秀は考えた。
しかしやたらと甘美な匂いがするのは何故だろう。
潮の匂いが、いつもよりもなんだか甘いような気がする。
和秀は周りを見渡した。
するとそこは、先ほどまで寝転がってた高い防波堤の上ではなかった。
「なんだ……ここ……」
そこは砂浜だった。
「JP」の海岸はどこも防波堤で覆われているから、和秀は砂浜を見たことがない。どこまでも続く砂浜を、なんと形容したらいいかわからない。
和秀が戸惑っていると、砂が波で流れる音に混じって、しゃり、しゃり、と音が聞こえてくる。
その音がする方へ振り返ると、幼い少女が立っていた。単調なパターンの織り方がされた白いワンピースが風に揺れる。
「こんばんわ」
少女はそう言うと、笑みを浮かべた。
幼いながらも端正な顔つきの少女。
それはどこか上品で、その世代の少女特有の無垢さとはかけ離れていた。まるで、母親が赤子に微笑みかけるようなーーそんな笑みを浮かべて立っている。
「君は……それに、ここはいったい……」
和秀は、困惑した表情を少女に対して浮かべる。
「あなたが、あの子を受け入れてくれたから、生まれた場所。あなたの脳の中に生まれた海……」
幼い少女の口調は、やたらと大人びていた。
「脳の中……」
和秀はさっきの出来事を思い出す。沢山の痛覚情報。なだれ込んでくる歴史。そして、赤子の泣き叫ぶ声。
僕は彼女を受け入れることができたのだろうか。彼女の深い痛みは癒されたのだろうか。
そして、その結果が、この世界なのだろうか。
「……僕は夢を見ているようなものですか?」
気づけば、この理知的なしゃべり方をする少女に対して和秀は敬語を使っていた。彼女にはそうさせる要素が、自分よりもずっと長い時を生きてきたかのような部分が少女にはあった。
「察しの良い子ね。その通り」
少女は砂を蹴って海沿いを歩く。
「ここは夢よ。でもねーー」
そして艶のある長髪をなびかせ、今度は怪しげな笑みを浮かべ、言った。
「夢はいつだって現実と地続きだわ。舞台装置に選ばれる場所は、どんな時でも現実の世界が少なからず反映されているの」
今度はうふふ、と無邪気に笑う。
コロコロと表情が変わる少女だった。
今度は、幼い身体が近づいてきて、珍しい玩具を眺めるように至近距離で和秀を様々な角度から観察してきた。他者との聖域が限りなく狭い和秀は、思わずのけぞってしまう。
少女は興味深いものを見るかのように、
「ふぅーん」
と唸った。
「なんですか……」
じっと、和秀をみつめる。
「あなた、名前は?」
「高崎、和秀です」
「落ちついているのね。あれだけの量の情報が入ってきたというのに。疑問などは無いのかしら?」
疑問は山ほどあった。ただーー
「正直、どれが虚構で、なにが現実なのかわかりません。それに、あれはほとんど物語の類だと、僕は思いました」
実際、和秀に流れ込んできた情報には情緒的な要素が強すぎた。頭の中をうまく整理整頓する機械が働きかけでもしない限り、情報の選り分けは難しいだろう。
それに、和秀はあの情報体が抱えていた痛みそのものに強く共感を覚えたのだ。それ以外は正直どうでも良い思っていた。
「あなた、あまり動じない子なのね」
「よく、言われます」
「あら。素直な子。でも、虚構と現実の境目なんてものが、本当にあるとでも思っているの?」
少女の会話が、急に哲学めいてきた。
「……そんなの、よくわかりません」
正直な言葉だった。元々和秀は虚構の中を生きているような所があった。だから、何が現実と虚構なのかなんて考えた事もなかったのだ。
「なら、何故、私たちを受け入れたりしたのかしら」
少女が、「私たち」と言った事が和秀には疑問だったが、まず問いに答えることにした。
「……独りは寂しいと、思ったからです」
「寂しい……ね。それは、あなたが寂しいということかしら?」
「……どちらも、ですね。でも、これは僕の推測なんですけど……」
和秀は、少し頭の中を整理してから、言った。
「たぶん、僕と『あなた達』が接触したのは何かの誤作動なのではないでしょうか?」
その言葉に、少女は「あら」と、あっけにとられた。
「……本当に偉く賢い子ね」
そう言うと、和秀の頬に優しく触れてきた。
感触がやけに生々しい。夢の中の出来事とは思えないほどに。
「そうよ。あなたはたまたまあの子に接続しただけなの。君が、あんな場所で、ぼーっと、していたから」
「あの子とは、あの、泣いていた彼女の事ですか……」
「ええ。彼女の意識はまだ生まれたばかりなの」
和秀の想像は当たっていたようだ。
「私たちの、新しい意識」
そうだ、と和秀は思った。まるで赤子のように泣き叫ぶ声、そこに何か切実なものを感じたからこそ、和秀は彼女を受け入れたのだ。
「だからあなたには、本当に感謝しているわ」
感謝されたことなんて初めてだった和秀は、その言葉にどういう反応をしていいかわからない。
「感謝ついでに、お願いをひとつしてもいいかしら?」
少女は傲慢だった。
自分に何が出来るのかいまいちわからなかったが、和秀は無言でうなずいた。
「あなたは、この島が置かれている状況を理解している、という認識を持ってしまってかまわない?」
「……一応、答え合わせをしたいです」
「そうね。いいでしょう」
少女は少し間を空けて、言った。
「もう、世界中どこを見回しても、人類は君の住む島以外には残っていないわ。それは、私たちを通してわかったわね?」
和秀はうなずく。
流れ込んできたこの世界の史実は、和秀が本で読んだものとは違った。
人類文明は一度滅んでも、しぶとく生き残った人類にとって、この「JP」という国は、その連合国の植民地。
そして昔、花虫のハザード拡大によって他国から放棄された島国。
だから地名には記号しか与えられていない。
放棄されたから、どの国とも貿易していない。どの国も近づこうとさえしない。
そう言い伝えられてきた。
しかしーー
「私たちが守ったこの海。そして、それを覆うこの島以外は、世界から人類はいなくなった。それが真実」
和秀は先ほど入り込んできた情報をまとめながら、少女の話を聞いていた。
人類の文明は崩壊した。それは間違いではなかった。
しかし、今まではその過程が明らかではなかった。それはきっと、長い年月の中いつのまにか闇に葬られた歴史だった。
人類は徐々に衰退していったのだ。
何か特別大きな出来事があったわけではない。
地球の温暖化。沢山の災害。燃料の枯渇。そして、それに伴う燃料の奪いあい。
戦争。
地球はいつのまにか、人類が住むのに適さない場所になっていた。
実際は、この国が他国に放棄されたのではなく、人類そのものが地球から見放されたようなものだ。いや、人類は自分で自分の首を絞めただけなのかもしれない。
「この島国だけが、危機をどうにか切り抜けた。人類って愚かだとは思わない? 地球からいらないと言われたのに、それに逆らって、こんなことまでして」
こんなことーー
それがどんなことだか、彼女達と繋がった今だからわかる。
少女がまた海岸を歩きだした。和秀はそれに無言でついていく。
そして少女が言った。
「地球環境隔離システム、ALTERNATE PRESETーー」
「地球環境隔離……」
和秀は錯乱する頭の中から、情報を一つずつ広い集めていく。
「歴史にかみ合わない、沢山の物語があなたの中に入っていったでしょう?」
「はい。だから、僕はどこまでが歴史なのかが判断がつかないんです」
「ねえ、人はなんで生きているのだと思う?」
「そんな事、僕にはわかりません」
なんでそんな事を今聞いてくるのだろう。そう和秀は疑問に思った。
「あなたはボーッとしてるからわからないのかもね。あのね。人には物語が必要だとされていた時代があったのよ」
「物語……ですか」
「ええ、私たちは気づかないうちに物語の中に取り込まれているのよ。それがどんなチープなものでもかまわない。平凡な日常さえも、人と二人もいれば物語となる。そして、物語によって人の心は揺れ動く」
この会話さえも、物語の一種なのよ、そう少女は言った。
和秀の頭の中で、なだれ込んできた沢山の物語達が浮かんでは消える。
「物語によって人の心動かされる時、つまり泣いたり笑ったり、感動したりする時ね。その人の脳中ではものすごい量のエネルギーが発生するの。それはとある機械で増幅すれば、物理現象さえもコントロール出来る程にね」
「想像力豊かな子供の脳であれば特に……ね。あなたが接触したのは、その物語自動生成機であり、地球環境隔離システムである『ALTERNATE PRESET』の核の部分」
ありえない事のように思えるが、和秀になだれ込んできた情報が全ての裏付けになっていた。
「人は命の恵みである海さえ無事なら、どうにか生きていく事が可能だと、当時は考えられていた。だから、この国の人類は、海を一つの脳と捉えた。そして私たちをその脳の核として、そうね……それは神経細胞のようなものだけれど、あなたや今の人類は「花虫」と呼んでいるみたい……それをこの島の内海中に張り巡らせた。海そのものをシェルター化させたのね。海中の疑似的な脳が疑似神経細胞に信号を送って、海の中や大気までもコントロールした」
そんなことが可能なのだろうか、そう和秀は少し考えたが、そもそも彼女が和秀にアクセスした事事態が異常な事だった。
「その道具として私たちは選ばれたのよ」
他国が餓死状態になりつつあるのを、この国だけが安穏と傍観していた事。
そして、そのころには、他国には戦争して『JP』から何かを奪う余力さえ残されていなかった事。
和秀はもはや何の相づちもしなかった。彼女の話を、ただ黙って受け入れていた。
「……その神経細胞も、今となっては変質して汚染物質に成り代わってしまったけど」
でもね、と少女はこちらへ振り向いた。
「外海が今、どうなっているか教えて上げるわ」
その瞬間、景色がスライドするように入れ替わった。
緑豊かな大地。
大昔の建造物に張り巡らされた植物。
人類がいなくなった場所で自然を享受する沢山の動物たち。
そして、マリンブルーの海ーー
それは、和秀が見たこともないものばかりだった。
「人類がいなくなった地球は、こんなにも豊かに戻っているのよ」
「これが、地球ーー」
和秀は感嘆詞しか思い浮かばない。自分が知っている、少しづつ破滅に向かうだけの世界とは、全く真逆の美しい世界ーー
「納得してくれたかしら」
こんな景色を見てしまった今では、和秀は納得せざる負えない。
だからね、と少女が肩の荷を降ろしたように言った。
「もう私たちがいなくても、大丈夫なのよ」
また景色が入れ替わる。さっきまでの砂浜に戻っていた。
「で、お願いの話に戻るわね。私たちはあなたが住んでいる地区の海中に沈んでいるわ。沢山の接続機と、その本端末がね。そこに、あの子がいるの」
「あの子とは、あの泣き叫んでいた彼女の事ですか?」
「ええ。もう、私たちの役目は終わった。あとは、あなた達人類の生き残りたちが選択、決断すること。わたしからの願いはね」
「あの子を、救い上げてほしいの」
また、景色が移り変わる。
そこには少女が眠っていた。祈るように眠る少女は、今そこで優しげな笑みを浮かべていた少女そのものでーー
「私たちの核はね、まだ生きているの。それが例え機械に近い疑似的な意識だとしても、人の形をして生きているのよ」
奇跡みたいな話でしょ、と少女は軽口を叩くかのように言った。
「どうかしら」
「わかりました」
と、迷わず声をだしていた。
あの世界が、この地球のどこかにあるのだと思うと、和秀は希望がわいてくる気がした。
濁りのない、透明な世界ーー
それは彼が望んでいた場所だったから。
「それと、謝らなければいけないことがあるわ。あなたの脳は、さっきの情報体の負荷に耐えられない」
「そう、でしょうね……」
和秀はその事になんとなく気づいていた。あれは人ひとりに与えるには大きすぎる情報だ。頭の中が混乱しているのが、夢の中でさえ理解できる。
「あなたの脳はきっと、少しづつ機能しなくなる」
「死ぬ、ということですか」
「ええ。ごめんなさい」
なんの悪びれもなく、少女は謝った。
「別に、かまいませんよ。どのみち、生きていても良いことなんてなかったんだから。僕はかえって感謝したいくらいです」
「……あら、何故?」
「少なくとも、生きる意味が出来た気がします。生きているうちに、やれるだけの事はやってみます」
「ありがとう。きっと、もう会うことはないだろうけど、あなたのこれからの生に、幸あらんことをーー」
そう言うと、少女は胸の付近で祈りをきった。
「最後に、ひとつだけ、いいかな」
「なぁに?」
「君は、あの少女を引き上げた時に、いま、ここにいる君はどうなるの?」
また、少女がうふふと笑う。
「わたしはね、バグなのよ」
「……バグ?」
「そう、だからあなたにこうやってアクセスできたの。多分、彼女が次に目覚めた時、わたしは消えるわ」
「そんな……」
「悲しい目をしないでちょうだい。わたしは旅先案内人みたいなものなのよ。感情移入しないのがお約束というものだわ」
そういうと、少女は踵を返して立ち去ろうとした。
「待って! まだ君の名前もっ……!」
少女が振り向いて、手を降った。
「じゃあ、よろしくね」
その言葉を最後に世界が暗転した。
覚醒した和秀がみたのはいつも通りの夕焼けに染まる紅の海だった。




