都市へ
僕は、街のはずれにある父さんのアトリエにやってきていた。
お父さんとの思い出の地で待っているよーー
その言葉は、僕にとって頭の中を更に混乱させるのに十分だった。だって、この街には、父さんとの思い出が沢山詰まっているから。
貸し家を安く買い取った煉瓦建築の外観は古ぼけていて、場所によっては苔や蔦が絡みついている。見る人によっては、みすぼらしいと感じるだろう。
扉を開けてあたりを見渡す。アトリエは日が当たらない場所にあったので、部屋の中はひんやりとしていて気持ちよかった。ここに来るまでにかいた汗が冷えていく。
ここはかつて、僕と父さんの自宅でもあった場所だ。アトリエの奥にはキッチンと寝室が隣接している。
アトリエの床には埃が溜まっていて、もうずっとここに誰も踏み入れていない事がわかる。
父さんの不在に耐えきれず、僕はここから逃げ出した。
それからずっと来ていない。
僕の居場所はもうここにはない。ここは父さんの残り香が多すぎて、ここにいるのはつらかった。
今の宿舎で暮らす事にしたのは親方の計らいだ。その頃の僕はぼんやりしていて、流されるままにこの家から立ち去った。
ーーお父さんとの思い出の地で待っているよ。
その言葉を、もう一度頭の中で、繰り返した。
どうして、鷹野さんは父さんの事を知っていたんだろうか。
当てずっぽうで、待っている、なんて流石に言えないだろう。それに僕が掴みかかった時に見せた表情には、打算などは含まれていないように見えた。
やっぱり僕には鷹野という男が、悪い人には見えなかった。
でも記憶の中をほじくり返してみても、僕は昔あの人に会っていたのかは、全く検討がつかない。
アトリエを見渡す。
そこには未完成の絵が残っている。
空想科学の画家だった父さんだが、遺作となったのはなんてことない風景のスケッチだった。そこに描かれていたのは、奇しくも僕がさっきまで歩いていた防波堤沿いの道路で、どこまでも続く地平線、そしてその中央にはコンクリートの隙間から弱々しく咲いている一輪の陳腐なガーベラの花が描かれていた。
父さんはこの絵を病院には持って行って最後まで仕上げる気だったけど、結局それは叶わなかった。もうその時点での父さんには、筆を握る筋力さえ残されていなかったからだ。
「ねえ。父さん。僕は真実知るべきなんだろうか」
思わずキャンバスに話しかける。描き掛けのキャンバスは色がすすけていて、半年という時間の経過を感じさせる。
色のついていないガーベラが、ここにいたはずだった父さんの不在を強く決定づけていた。
思い返してみると、この半年間、僕は何かを自分で決断したことがあったのだろうか。ただ、周りの状況に流されているだけの日々の中で、何かの選択にしなければいけない、そんな時があったのだろうか。
このまま何も出来ないまま、僕は大人になっていくのかもしれない。
ずっとこの街で、古代機械サルベージの仕事をしていればいい。きっとそこには真実なんて必要ない。誰かの言われるがままに働くのは、楽だ。そんな生き方だってあるはずだ。
僕は楽になりたいのかもしれない。何もかも忘れて。父さんも未羽も忘れて。
だけど、ひとつだけわかる事があった。
親方に仕事を休めといわれてから、僕はずっと過去を振り返っていた。この先どうするか、そんな事は全くわからなくて、途方に暮れていた。
そんな時間のなかで、幼少期の出来事を、父さんとの思い出を何度も思い返した。
思えば僕は子供の頃、ずっと父さんを振り回していた。父さんは僕の無茶な要求に笑顔で応じたり、時には戒めてくれた。
そうだ。あの頃の僕は、自分の気持ちに対してもっと真っ直ぐだった。
「あのころは、楽しかったな……僕はいつもわがままで……」
それが許されたのは父さんがいたからだろうか、それとも僕が子どもだったから……?
ーー陸さん。楽しいですね!
ふと少女の事が頭をよぎった。父さんに甘えてばかりの昔の僕の姿と、少女の面影が重なる。
未羽は、ありとあらゆる意味でまだ子どもだった。この街の事、海の事、あの子は何も知らなくて、何でも新鮮そうだった。
もしかしたら、僕は未羽が羨ましいのだろうか。
でも、あの子と僕の何が違うというのだろう。
逃げたい。
あの頃に返りたい。
父さんに会いたい。
そうやって僕は、心の中で何度も繰り返している。
僕は、感情を表に出さなくなったで、いまでも昔の子どものままだった。心が幼いまま、身体だけが大きくなっていて、なんだか凄く、ちぐはぐな気持ちを抱えていた。
この気持ちを断ち切るためには、どうすればいいか。僕はもっと大人になりたかった。父さんのように。
部屋には、まだ油絵の溶剤の匂いが漂っていて、僕はふと、少し前に見た夢を思い出した。
ーー僕らは、同じ風景を見ていると思いこんでいるだけで、本当はみんな違う風景を見ている。心のフィルターを通してね。
あの夢で見た光景は、父さんとの思い出の中でも特に大切な日だった。湖の都市。そして何より、あの日はーー
「棺の少女……!」
すべてが繋がったような気がした。あてが外れてもいい、あそこに行くことが今の僕には必要な気がした。
「今は、自分に何が出来るかわからないけど……」
とにかく行動してみよう。ここで立ち尽くしているよりは、きっとましだ。
そうして僕はアトリエの裏手に向かったのだった。
*
砂が被った編み込みのカバーを外す。
そこには僕がゴミ捨て場から拾ってきた木炭バイクがあった。後部付いた木炭を入れるガス発生炉がやたらと大きくて無骨で不格好な代物だ。
手に触れながら状態を確認していく。
駆動系は潤滑油を濡れば平気そうだ。
頻繁に点検しないとすぐ駄目になるんだけど、父さんが亡くなるまで、しっかり点検していた甲斐があったのか、状態は悪くない。
「あとはエンジン……気化器とガス発生炉は、エンジンをかけてみないとわからないけど……」
ラジエーターに水を入れて、木炭を入れれば恐らく走るだろうか。
僕は手早く作業をした後、ガス発生炉を手動で回した。
さすがに半年使っていなかったから一発でエンジンが起きることはなかった。
「動け……!」
何度も何度も回すが。エンジンには反応がない。
「頼む……!」
懇親の想いでもう一度発生炉を回すと、ものすごい音を立ててエンジンが嘶いた。もくもくと煙が上がり始める。
「よし!」
エンジンは生きていた。チェーンが少したるんでいるのかシャカシャカという音がする。でも次の街で点検すれば問題ないだろう。
こいつで行ける所までは行ってみよう。父さんとの思い出の地へ。
そこで真実を知る覚悟があるかどうかは、正直まだ決断できないけれど、それでも向かうことに価値があると、僕は信じたかった。
部屋にあった父さんが使っていたリュックに、木炭をパンパン詰めるとそれを背負って、僕はバイクにまたがった。
そして、北西に向かって走り出したのだった。
*
僕は一本道を木炭バイクで走り続けていた。
次の街までは、あと1時間くらいだろうか。道路の南側はずっと花虫のハザード地区で、煉瓦の高い壁によって囲われている。
僕が生まれるずっと昔、この煉瓦の向こうには街があったと聞いている。
でも津波によって陸地や川まで流れ着いた花虫が、全てを破壊した。花虫が汚染した陸地は、植物が異様に繁殖し、かつその植物はみな巨大化、奇形化したそうだ。それは人が食べる為に栽培していた作物も同じ事で、それを口に含んだ人たちは、原因不明の心身不全を起こして、みんな死んでしまったらしい。
バイクを走らせながら左手の煉瓦を横目で見ると、その隙間から見たことのない赤紫色の植物が、こちら側に入り込もうと顔を覗かせていた。
僕らにとって、この煉瓦の向こう側は地獄だ。人が生きていけない土地だ。
でも、いつかはこんな煉瓦も無意味になって、人々は住む場所がなくなるのかもしれない。僕らがやっている事は徒労に終わるのかもしれない。
それは僕たちにとっては、地獄でも、植物達にとっては楽園と呼べる場所なのだろう。
食物連鎖から人が消えて無くなった世界。
ここは、この国は、ずっと昔に世界中から放置されて、「JP」という記号だけを与えられた島国。国として機能はほとんどしていなくて、実際は街ごとに自治されているだけの仮初めの国家。
でも本当のところは、どうなのだろうか。
そして、僕に真実が知れたとして、何が出来るのだろうか。
そんなことを考えながら、僕は次の街へとスロットルを回し続けた。




