消えた日常1
「ーーおい」
バシンッ。
「ーー痛っ!」
怒鳴り声と左頬の痛みで僕は目覚めた。
ものすごい力で叩かれて左頬がヒリヒリと痛い。この遠慮のなさから、頬を叩いてきた人物は、目をあけなくても容易に特定することができる。
「おはようございます。マナさん。あの……おかげさまで直ぐ目覚められたのですが、起こすにしても加減ってものを考えて欲しいんですけど……」
きっと今、僕の頬は赤くなっているに違いない。
「加減なんて考えてられるか。精々皮膚でも強くすることだな」
「そんな無茶な。にしても、朝の弱いマナさんなのになんでこんなに元気なんですか?」
「そりゃあおまえ、寝てないからに決まってんだろ!」
「はぁ」
酒の匂いを漂わせながらそんな事を自信満々に言われても困ってしまう。
そういえばこの人、一体何歳なんだろう。寝ないでも体力とか大丈夫なのだろうか。と僕は割と失礼な事を考える。そして寝ぼけ眼をこすりながら昨日の出来事に思いを巡らせた。
雨が降ると行われる祭り「祝雨祭」の後、未羽とマナさんは僕や轟木さんが住む宿舎にやってきた。マナさんが飲み直す為だったので、マナさん宅に居候中の未羽も必然的についてきたのだった。
乱痴気騒ぎの絶頂、眠くなってしまった未羽に僕は自室を貸すことにした。しかし未羽は飾ってあった僕の父親の絵に興味を示して、なかなか寝ようとしなかった。
父親の事を未羽に聞かれた僕は、父がもうこの世にはいないこと、そして父との思い出を語った。
僕の過去を語り終えた後、僕は代わりの寝床を探すために宿舎共用のリビングに向かった。しかしそこにはマナさん含む祭りの狂騒冷めやらぬ人々がたむろしていて寝るどころでは無かったので、僕はリビングからなるべく離れた通路に置いてある、くたびれた皮のソファで横になることにしたのだった。
「そーいや、ガキはどこだ」
「ああ、彼女なら昨日は僕の部屋に泊めました」
「おいおい『彼女』だってよ。わたしらがはしゃいでた間にしっぽりしてた訳か」
「しっぽり、だとーーーー!!!!」
泥酔していた轟木さんが急に叫んだ。
というか、いつのまに廊下で寝ていたんだろう。
「しっぽ……ん……ぐがー」
寝言だった。
顔色は昨夜の土気色とは打って変わりいつもの健康的な褐色だったので、放って置いても問題なさそうだ。きっと酔いが回るのも覚めるのも早い体質なんだろう。
腕時計を見る。朝の8時。今日も仕事だからそろそろ支度しないと。
「僕、未羽を起こしてきますね」
立ち上がって伸びをすると僕の部屋に向かって歩き出した。
さて、今日は彼女をどうしたものか。いつまでも仕事場に連れて行くわけにはいかないよな。
廊下を歩くて自室へと向かう。そういえば雨音がしない。どうやら雨は止んだようだ。
鍵のついていない自室の扉を開ける。立て付けの悪そうな扉がキイ、と鳴く。
「あれ?」
ベットの上は無人だった。
ちゃんと戸締まりしたはずの窓が何故か開いていて、カーテンが風になびいている。
「まさかここから出た訳じゃないよな」
窓に近づいて外を見る。雨は上がっていて、水滴のついたクワの葉が朝日で照らされていてやけに綺麗だ。
「うーん……起きてリビングに向かったのかな」
「おい、どうした? 窓なんてのぞき込んで」
マナさんが扉のフレームに寄りかかり話しかけてきた。この先にある洗面所に顔でも洗いにきたのかもしれない。
「いや、ここで寝てたはずの未羽がいなくて。リビングにいませんでしたか?」
「いんや。まあ大方、また港にでもいっちまったんじゃねーの?」
昨日の行動からするとあり得る話だ。
とにかく、宿舎の人たちにも話を聞いてみよう。
*
ほとんど宿舎の人たちに未羽の事を見なかったか聞いてみたが、彼女を見かけた人はひとりとしていなかった。
未羽の顔を知っているのは昨日マナさんたちと飲んでいた花虫駆除班の人達だけだ。でもこの共用宿舎に女性は寝泊まりしていないから、もし動き回っていれば誰かしらが見ているはずだった。
そのあては外れたようだ。
そもそも轟木さん達はマナさんに酔いつぶされて、意識が朦朧としていたようだったから信用できない。
宿舎の隣に住んでいるここのオーナーにも聞いてみたけど、そんな子は見ていないと首をふられ、酒を飲むのは自由だが程々にしなさいと柔らかく注意された。きっと騒ぎが外にも漏れていたのだろう。
考えられるのは、まだ人が動き出す前の明朝に動きだしたか、もしくはーーいや、好奇心旺盛な未羽の事だ。
昨日の一人で勝手に港に行っていた例もあるし、マナさんが言うように今回も港か街にでもいったのかもしれない。
そう思ったから、昨日の朝のように僕が焦ることはなかった。
とにかく、僕は港に向かうことにした。
*
港にも未羽はいなかった。
それでも僕は焦らなかった。街をまだ見ていなかったし、お昼にでもなればお腹を空かせてひょっこり戻ってくるかもしれないと思ったからだ。
それに仕事はしなくちゃいけない。古代機械が見つからない日には、古代機械の探索はマナさんに任せて僕は花虫の駆除の手伝いをしていることもあるから仕事はいつだってある。どんどん増え続ける花虫は、どれだけ駆除しても足りないくらいなんだからーー
………
……
…
結局太陽が沈む間際になっても、未羽は港に現れなかった。
流石におかしいと思った僕らは終業したあと、花虫駆除班の轟木さん達も加わり街や海沿いなどを手分けして探した。
「おーい! どうだ。嬢ちゃんはいたか」
街の西側を探していた親方と、街の中央広場でたまたま合流した。たれ下がっている太い眉毛がさらに下がっているところから、未羽が見つからなかった事がわかる。
「いえ、僕は南の方に言ったのですが、誰も見てないって」
「んふぅ……子供の少ない街だ。すぐに見つかりそうなものだが……」
ため息をついた親方が顎に手を置いて聞いてきた。
「なにも手がかりがないのが痛いな……祭りの後に何かに興味を持ったりはしなかったのか?」
「うーん、僕の父さんの絵に興味を持ったくらいです。あとは何も」
父さんのギャラリーは当時のまま街の外れに残っているけど。未羽には場所どころかギャラリーがあることさえ教えていない筈だ。
「一度、いなくなった陸の部屋を確認した方がいいかもしれないな。何か手がかりがないと探しようがないし、もし誰かにさらわれたとすればその痕跡があるかもしれない」
「わかりました」
「一応、ラボの鷹野さんにも連絡しておこう。あの人が嬢ちゃんをさらった可能性は少ないはずだからな」
「それはどうなんだじじい」
背後から高圧的な声がする。僕が振り向くと、マナさんが怪訝な表情をしていた。マナさんは港付近の海沿いを探していたはずだけど、一通り回って中央広場に戻ってきたのだろう。
「あいつも研究者なんだろ。前は油断させておいたって可能性は考えられないのかよ」
僕にはそんな風には見えなかったけど。確かに何を考えているかわからない部分はあった、でもどこか懐かしい気分ーー父さんに近い雰囲気を鷹野という人物からは感じていたくらいだ。
「いや。後で電話で聞いたが、どうやら鷹野さんは嬢ちゃんに普通の暮らしをさせることが望みだったようだからな」
普通の暮らしをさせることが望み……どういうことだろうか。未羽の入っていた古代機械は、エネルギーになるーーそんなことを言っていたけど、それと未羽に普通の暮らしをさせることに関係性があるとは思えない。
「まぁその話はまた後だ」
「そうですね。今は一刻も早く未羽の手がかりを見つけましょう」
未羽がいなくなった。
言い訳になるかもしれないけど、未羽のあまりに自然な姿に彼女が『古代機械の中にいた、特殊な待遇の子』だということを、いつのまにか僕も、周りのみんなも意識しなくなっていたんだと思う。
まだ出会いから3日しか経っていないというのに、だ。
宿舎に戻って、僕の自室を調べた。
この時ほど、自分の注意力のなさを悔やんだことはなかった。
自室の窓からみた、雨上がりのぐちゃぐゃの地面ーーそこには明らかに未羽のものではない大人の足跡が複数ついていたのだからーー




