棺の少女
ガス灯もついていない真っ暗闇の海沿いの道を、僕はランタンを片手に歩いていた。
夜も更けるような時間帯に、海沿いを出歩こうという輩は、この港町『CS』にはいない。街の人たちは、みんな寝静まっているだろう。
だから誰かに見つかる心配はない。
むしろ不安だったのは、波の高さだ。港は、この高い防波堤の海側にある。
波が高いと、この防波堤の向こうは地獄のような場所になる。
汚染物質だらけの海水に飲み込まれるのは、流石に勘弁したい。
幸い、防波堤の向こうから聞こえる波の音は穏やかだ。
それにしてもーー
「なんで僕はこんな事をしているんだろうか……」
港へ向かう為に防波堤に取り付けられた梯子を登りながら、僕はふと我に返った。
自分の行動に、自分自身が驚いていた。
まともじゃないと思う。
そんな自覚があっても、あの棺ような古代機械の事が、頭からこびりついて離れない。
ここで家に帰ったらきっと後悔するのは、目に見えていた。
港へ向かい、防波堤の梯子を淡々と下っていく。
「……着いた」
港に留めてある自分たちの船を見つけると、甲板に乗り移る。
まだあの棺は船の室内に保管されているはずだ。
親方はいつも鍵はかけていない。
金目のものもないし、古代機械を使って金儲けしようとするやつなんているわけない。
ましてや、大した事件も起こらないこんな牧歌的な街で。
「古代機械の中を確認したら……そしたら帰りますから……すいません親方」
僕は古代機械が置かれている部屋の扉を、眠っているだろう親方に懺悔しながら、開けた。
*
棺のような古代機械は、月夜の光も入らない場所に、サルベージした後と同じように置かれていた。
鼓動が高鳴るのを感じる。
僕は、古代機械に近づいた。そして同時にランタンを可能な限り近づける。古代機械には細かいレリーフが刻まれていて、それを記憶の中の絵画と頭の中で照らし合わせていく。
やっぱり、そっくりだーー
それは確信に近かった。幼い頃の記憶が鮮明に蘇ってきて、父さんと都市へ出かけたあの日を、まるで昨日のように思い返せる。
そして、『古代機械に触れてはいけない』という業務規則に逆らい、迷路のような幾何学模様のレリーフに、手を触れた。
「冷たいーー」
無意識のうちに呟いたのは、なんとも的外れの一言だった。
まるで、さっきまで冷却されていたみたいだ。
その時だった。
「っ!!!」
古代機械のレリーフの内側から眩い光が発生して、周りが何も見えなくなった。
あまりにも眩しくて、僕は後ろへ飛び退く。
そのまま発光は収まらず、棺のシルエットさえおぼろげにしか見えない。
「……何が……起こっているんだ……?」
顔を腕で覆いながら、発光している方向を薄目で捉えようとした。
棺のレリーフは、発光していた内側の部分が外側に盛り上がるような形に変形していた。
「開いてる……?」
僕は、ゆっくりと光のほうへと、向かっていく。
棺にスリットのようなスキマが出来ていた。これなら手動で開けられそうだ。
上蓋のようなものを持ち上げた。それ程重くもなく、簡単に上蓋をどかすことが出来そうだと思ったが、実際にはなかなかずらすことが出来ない。
手が、震えていた。
「はは……緊張してるんだな……」
もし、あの絵画のように、あの女の子ーー死んでいるのか生きているのかわからないような表情で眠るあの子に出会えるのだとしたらーー
僕はきっと、あの時から絵画の中の少女に恋をしているようなものだったのかもしれない。
どうにか上蓋を横にずらす。
すると、また空気が抜けるような音がして、棺の中から蒸気が噴出した。
中身が露わになった。
「……なんだ……これ……っゴホッ……」
強烈な薬品のような臭いに、僕は咳き込んだ。
視界に入り込んできたものは、強烈な死の香りを纏っていたーー
それは、少女だった。
だけど目が潰れるほどの鮮やかな茶髪じゃなくて、漆黒の長髪。
透明感のある肌の少女は、つるつるした素材の病院服のようなものを着ている。
少女の身体中は、沢山の管でつながれていた。管の先には、見たことのない緑色の画面に、数式……のようなものが敷き詰められ、絶えず何かを計算しているようだ。
ユリの花束なんて、どこにも無かった。
そしてーー
「……すぅ。……すぅ」
こんなに死の臭いを孕んでいるというのに、少女は息をしていた。
恐怖を感じた。
僕はその場から踵を返して、甲板に続くドアに向かって走り出した。
あれは見てはいけないものーーそんな気がした。
絵画の世界なんてあるわけないんだと思った。
あの子は確実に息をしていた。古代機械のなかで、だ。
そんなことありえない。だってあれは、確実に、僕があの赤黒い海の中から引き上げたもので間違いないんだ。
僕はこんなものを望んでいたんじゃない。
古代機械にはいつも通りガラクタで、絵画の中の少女は、僕の記憶の中で綺麗なまま存在し続けて、きっとそれでよかったんだ。
「っっっ!!!」
カラン、コロン、と地面を何かが転がる。
その時の僕は完全に錯乱していて周りが見えていなかった。ランタンを落としていたのだ。
「うわっ!」
誤ってランタンを足で蹴飛ばしてしまって、その勢いで尻餅をついてしまった。
「なんだよこれ……散々だよ……」
でも、痛みで僕は少しだけ冷静になれた。
逃げ出すにしても、古代機械が開いた状態のままなのはまずいと思った。
親方とマナさんなら、今日の会話内容から古代機械を開けた犯人が僕だと勘ぐられる可能性がある。
こいつを元のままの状態にして、明日には何事もなかったかのように振る舞う必要を感じた。
僕は恐る恐る、あの少女の方へと近づいていった。
「やっぱり……女の子だ」
改めて見ても異様な光景だった。何かのシステムはまだ動き続けているし、少女はやっぱり呼吸をしている。
さっきより恐怖を感じなかった。
棺の中で眠る少女の寝顔がとても愛らしかったからだろうか。
初見ではその長い黒髪と敷き詰められた機械に目がいってしまったので、まじまじと顔を見ることができなかったけど、少女のとても整った、人形のような顔立ちは、口に付いた透明なマスクの上でも確認できた。
僕は、少女の透き通るような頬に手を伸ばし、触れた。
柔らかな感触が、彼女は確かにここに存在していることを決定づける。
黒い髪にも触れてみる。薬品みたいな匂いが髪にもついているのだろう、髪を梳くとさっきよりも、匂いがきつくなる。
僕は、何か別の繊維に触れているような気分になった。
その時、少女の瞼が開かれた。
やたらと黒目が大きくて……
………
……
…
「おなかすいた…」
透明なマスクの中から、透き通るような声がした。
それが僕と彼女ーー未羽という少女との出会いだった。