少年と宇宙船2
「わぁー! ふかふかですね!」
未羽は、ベットの上で、麻素材の青灰色をしたシーツに頬ずりをしながら、身体をコロコロと転がしている。ベットリネン類はここに越して来たときに、僕が自分で調達したものなのでまだ新しい。
シーツと布団が、一昨日干したばかりのもので本当に良かった……。別にやましい意味があるわけではないけど、自分がいつも寝ている布団で、女の子が一夜を過ごすなんて初めての事だったから仕方がない。
ーーあれ? 陸さんの布団、なんか変な臭いがしますね……なんでしょう興味深いです。教えて下さいこれは何の臭いですかあぁわたしなんか変な気分にーー
なんて言われた日には、どうしようかと……
「ねえねえ陸さん」
ベットの上を転がっていた未羽が急にこちらを向き、抱きしめた枕にあごを埋めながら、上目遣いで訪ねてきた。静電気で細くて長い黒髪がくしゃっとしている姿はとても無防備だ。変な妄想をしてしまった僕は、とっさに
「えっ! 変な臭いとか……する?」
と聞かれてもいない事を訪ねてしまった。
「……何のことです?」
言っている意味がわからなかったようで、未羽は首を傾げる。
「いや、何でもないならいいんだけど……どうしたの?」
「えっとですね……」
未羽の瞳が大きく開かれてこちらを見てくる。この二日間でなんとなくわかってきた。何かを思いついたり、その旺盛な好奇心で聞かずにはいられない事がある時に、未羽はこんな表情をいつもしている。
僕はまた帰るタイミングを失ってしまったようだった。折り畳んであったパイプ椅子を広げて、そこに座り、未羽の言葉を待つ。
「わたし、陸さんのお父さんに会ってみたくなりました。お父さんはどこにいるのでしょう」
何の罪悪感もない笑顔で、未羽はそう聞いてきた。
……一瞬思考が停止して、僕は直ぐに受け答えが出来ない。僕は今、どんな表情をしているのだろう。
沈黙の中で、小雨になった雨音が、しとしと、と屋根を打っている。
ーーそうか。そうだよな。僕が父さんの絵を見せたいと思った瞬間に、こうなることは考えておくべき事だった。いつもは計画的に動いているつもりなのに、僕はなんで彼女の事になると結構無計画になってしまうんだろう。
いや、彼女に出会う前からだ。僕は、この棺の少女になんでこんなに捕らわれているのか、自分ではよくわからない。
父さんのことを話したら、未羽はどう思うのだろう。悲しむだろうか、哀れむだろうか。僕は、未羽のどちらの表情を見たくないと思った。
嘘をつくべきなんだろうか。『父さんは遠くにいっているだけ。いつか会えるよ』そう未羽に伝える僕を想像してみる。
「あの、どうしました」
未羽の言葉が沈黙を破る。なんで僕が黙っているのかわからない、といった表情で、頭を傾げ、じっと僕を見つめてくる。
駄目だーー
なんとなく、彼女に嘘はつけないような気がした。
それに、嘘でも父さんが生きているなんて、僕には言えない
僕は決意を決めて、なるべく声の抑揚を抑えて答えた。
「……父さんはいないよ」
僕の言葉が足りない説明に、未羽はさらに困惑した表情を浮かべた。身体が少し前のめりになって聞き返してくる。
「……えっと、他の土地で暮らしているということですか?」
僕は思わず、未羽の視線から目を逸らして、父さんの絵が貼られていない、少し黄ばんだ壁の方を見る。きっと貼り替えてから年数が経っているだろう石膏ボードは、三ヶ月前に越してきた時からこんな色だった。
「いや、父さんは、半年前に死んだよ」
「半年前……死んだ……」
彼女はどんな表情をしているのだろう。父さんが死んだときの、近所の人たちの悪意のない哀れみの反応を、僕は思い出してしまう。
あの頃は、ぼーっと散歩をしていると、よくヒソヒソ話しが聞こえてきた。
ーーまだ若いのに、可哀想ねえーー
ーー絵ばっかり描いていて再婚もしなかったし、親族の方いないみたいよ。お子さんはどうなるのかしら。学校を辞めて花虫の駆除班でもやるのかしらねぇーー
ーーあんなおとなしそうな子、だいじょうぶなのかしらーー
ーー可哀想にーー
僕はありのままの事実を淡々と話す。
「僕が小さい頃から筋肉の衰えが酷くてさ、最後の一年間はずっと家で寝たきりだった」
横目で未羽を見ると、顔が枕に埋まっていて、彼女の表情はわからなかった。なんと答えて良いか判断しかねているのだろうか。
僕は、堪えているのものが、あふれ出ないようにしながら、話を続ける。
「幸い、貯金はあったから医者にも診てもらえたし、最後はあっけないもんだったな。葬式もさ、僕と出版社の人だけ、小さくやって……」
話しているうちに、そのときの事を思い出してしまって目頭が少しだけ熱くなってきて、僕は続きを話せなくなってしまう。
彼女の前で、女々しい部分を見せたくないという気持ちだけが、僕の涙腺を踏み止まらせている。
その時だった。
「っ……!」
沈黙を保っていた未羽が、枕に埋めていた顔を勢いよく上げた。顔が真っ赤になっているのに涙は流れていなくて、何か決意の表情のようなものがその顔には浮かんでいる。そして、ベットから起き上がり僕の方に近づいてくる。僕は驚いて、身体を少し後ろにそらした。パイプ椅子が、きぃと小さく悲鳴をあげる。
目の前まで近づいてきた未羽が僕の頭に手をポン、と置くと。
「よしよし」
と、その小さな掌で優しく頭を撫でてから
「じゃあ会えないんですね!残念です!」
大きな声でそう言って笑った後、その頬から涙が溢れ出して、未羽は『うわぁ』と声をあげて泣きはじめた。
「アハハ……なんだよ、それ」
未羽の意外な反応に、僕は笑ってしまう。
そして、僕の瞼からも一滴だけ流れた涙を拭う。
悲しい事を嬉しい事で上塗りされると、なにかおかしな、不思議な気分になるんだなということを、僕はこの時初めて知ったのだった。
*
未羽が泣きやむまで、僕は部屋を出なかった。時計は零時を過ぎている。
君は何故泣きながら、笑ったのだろう。
僕にはその感情の動きがわからなかったけど、未羽が泣いたのは僕の哀れんだからではない事だけは、なんとなくわかっていた。
赤い目をした未羽が、手の甲で顔を拭いながら聞いてきた。
「ぐす……陸さんは絵を描こうとは思わなかったのですか」
涙は止まっていた。
「小さな頃は父さんの真似をして描いていたけど、いつからか描かなくなったな」
「……なんで、ですか?」
「んー、多分だけど、別に絵は父さんのを見ているだけで十分だと思ったんだ。自分の絵が、周りと比べて格別上手いとも思えなかったし、それよりも他の事に興味があったから」
「……他の事」
「乗り物が好きだったんだ。12歳くらいまでは自転車、その後はゴミ捨て場から見つけてきたバイクを自分で直して乗ってた。燃料がそんなに無かったから、いじくってばかりいたけどね。当たり前なんだけど、凄いオンボロでさ、五キロも走ったらなにかしらがおかしくなるんだよ」
言葉が溢れてくるように僕は喋った。こんなに自分の事を話すことなんてあまりないから不思議な感じだ。
「今、サルベージの仕事をしているのも、僕がそこそこ乗り物を運転する事に慣れていたからだしーー」
僕は未羽に親方との出会いを説明した。
*
父さんが死んだ後、僕はぼんやりと毎日を過ごしていた。
この頃の僕は、喜怒哀楽がはぎ取られたような状態になっていて、何もする気がおきなかった。
学校も行く気力がなくて、父さんの作業場で一日を過ごしたり、防波堤沿いを目的もなく歩いたりして暮らしていた。
その日も、誰もいない防波堤を目的もなく僕は歩いていた。
きっと春風が気持ちいい季節だったはずなのに、頭の中では過去の思い出が回想されるだけで、周りの景色や風の気持ちよさなんてちっとも感じなかった。
まっすぐに続く防波堤の道路沿いをフラフラと歩いていくと、大きな牽引車が一台停まっていた。
荷台には見たことの無い機械が太い縄で固定されている。
それは潜水艇のように見えたけど、花虫駆除班が乗る無骨なつくりの潜水艇とは違い、丸みを帯びた女性的な形をしていて色は玉虫色だった。実際の海を見たことはないけど、この道路沿いを潜水艇の牽引車が走っているのは何度か見かけた事があったから、それが何なのか幼い頃に運転手に聞いたことがあった。
僕はその潜水艇らしきものに近づいていった。
それに興味を持ったのかは、正直よくわからない。この頃の僕は、全てのことに関心を持てなくなっていたから。ただ、そこにご飯があったから食べる、殴られそうになったから避ける、そういった反射的な行動だったんだと思う。
機械に触れる。表面は滑らかで、まだ作られてからほとんど使用されていない事がわかる。
「乗るか?」
男の声が、後ろから聞こえた。僕はゆっくりとその声がした方へ振り向く。そこには40代後半くらいの痩せぎすの男が立っていた。眠いのか、元もとこういう顔つきなのか、酷く薄目でこちらを見ている。
「なんだお前、ひどい顔だなぁ」
ひどい顔なんて言われたのは初めてだった。みんな僕の事を哀れんでか、そんな事を言う人はいなかった。
「そんなに整ってないですかね、僕の顔」
人と喋るのは久しぶりだったからだろうか、いままで言ったことがないような自虐的な言葉を淡々と返してしまう。
「違う違う。顔の作りは……並くらいだが、お前、とんでもなくやつれてるぞ。目の下の隈も酷い。名前は?」
「高崎、陸です」
僕がそう言うと、男は顎に手をおいて何かを思案するような表情をした。そして、
「これはサルベージ専用潜水艇『華鳥』だ」
そう言って、その玉虫色の機械に手を置いた。
「海は広いぞ、陸」
「海は広い……」
見上げる程に高い防波堤を僕は見る。こんなに近くにあるのに、遠い、海。
「そして、退屈だ。花虫ばかりだからな」
「海は退屈……」
「でもな、海には俺らが知らないものがまだ眠っている」
男は笑って、親指を立てた。なんだか芝居がかっているなと、僕は思った。
「淡水船舶免許は持っているか、陸ーー」
これが親方との出会いだーー
*
「親方にはすごい感謝してる。いつもはあんなどんくさい人だけど、あの人がいなかったら未だに路頭に迷っていたと思うよ……っあれ……?」
「すぅ……むにゃ……」
未羽の方を向いていなかったから気づかなかったけど、彼女はいつのまにか、すやすやと寝息を立てていた。
こんなに自分の事を話したのはいつぶりだろう。
僕は未羽にタオルケットをかけてあげると、部屋から出た。
「おやすみ」
明日は、どんな日になるのだろうか。
僕は、胸のつかえがとれたような気分で、今日の寝床を確保するためにリビングに向かった。




