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瓦礫の海  作者: 泉柴 圭哉
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花虫の海

「なにも、見えないな……」


 今日の海は、霧で酷く視界が悪い。

「んふぅー……この調子だと、今日はもう、お開きだな」

 親方はそう言ってから、『田紳丸(でんしんまる)』のマストの帆を畳むよう、僕に指示を出した。

 

 僕は粛々(しゅくしゅく)と作業に取り掛かる。

 使い込まれた帆は元々は白だったのだろう。いまではそれは少し黒ずんでいて、潮と油の匂いをたっぷりと吸い込んでいる。


 こんな日の海原にはには魔物が住んでいるとはよくいったものだーー


 ただでさえ海中に生息する『花虫かちゅう』が放出する、有毒なプランクトンで海が赤黒いのに、霧がかかってしまった日には、クラーケンでも出てきそうな雰囲気だ。


 こんな日に海中に潜ったら、海にほとんど光が入ってこないだろうから、サルベージ専用潜水艇『華鳥はなどり』の灯光器でも視界はかなり悪いだろう。作業自体が困難だ。僕らは淡々と店じまいを終え、港への帰路へと就いた。

  

 

  *

 


 船から陸に戻ると、未羽が防波堤の上で、膝を抱えて座っていた。

 

 長い黒髪が、波風で揺れている様は絵になっている。

 

 瞼が少し腫れぼったいのは、昼寝でもしていたのかもしれない。


「おい」

 

 僕は未羽に話しかけてみる。


 「おーい」


 ダメだ。聞こえてない。だけど瞼は開いていて、海の向こうをじっと見ている。


 未羽の黒目は凄く大きい。じっと見つめていると、瞳の中に吸い込まれそうだ。

 

 ……物で釣ってみるかな。 


「砂糖菓子」


「たべる!!!」 


 未羽は凄く即物的だ。

 ポケットから砂糖菓子を取り出すと、真っ先に手が僕の方へと伸びる。


「働かない奴にはあげないよ」


 僕はそういって、伸びてくる未羽の小さな手が届かない高さへ、砂糖菓子を持った右手を掲げる。


「あたし働いたもん!今日も洗濯物干したり洗い物したり明日への輝かしい未来を願ったり洗濯物干したりしたもん。だから砂糖菓子!」


「なんだよそれ……どこから突っ込めばいいんだよ……」


 僕は砂糖菓子が入った袋を、未羽に向かって放り投げた。まだ一口しか食べてないんだけどね。


 未羽は「わわっ」と声をあげ、袋を無事受け取った。


 「ははー」


 と体育座りを正座に直して、深くお辞儀をする。

 お菓子を渡すとおとなしくなるのだから、わかりやすい子だな、と僕は思う。


「それよりなぜ防波堤に?」


「霧が凄い綺麗だと思いませんか?」

 

 彼女の突拍子もない行動、言動は今に始まったことではない。


「別に綺麗ではないだろ……」


 でもそれに付き合う人間も、それはそれでどこかズレていると、僕は思う。


「視界が悪すぎて船は出せないし、こっちは商売あがったりだよ」


「えー、綺麗ですよぅ。遠くのものが何も見えないから、霧の向こうには何が広がっているか、ワクワクしますし。クラーケンとか、いるかもしれないじゃないですか」


 想像するものが僕と変わらないのは何故だ。

 

「んしょっと」


 未羽は立ち上がって。


「んー……」

 

 小さな身体を天に向けて大きく伸びをした。

 そして砂糖菓子を口に放りこんだ後に防波堤沿いを歩き出す。

 真下の海までは二十メートル近くもある。

 

 落ちないか心配だ。


 昔は海岸というものがあったらしいのだが、今ではどこも高い防波堤が設置してある。有害物質だらけの海から、陸地を守るためだ。


「でも」


 振り向きざまに僕の事を見下ろす。


「でも、なに?」


「陸君が、無事でなによりなのでした」 

 そう晴れやかに言って、小さな子供のような笑みを浮かべた。


 未羽は、いつもこんな調子だ。

 普通の人は近寄らない海に、暇があればやってくる。

 そして、何をするでもなく、地平線の向こう側を覗き込むような瞳で、じっと遠くを見つめている。


「ほっ……」


 何故か、未羽は防波堤の上をくるくると回りだした。

 長い黒髪と、ワンピースがひらひらと揺れる。


「頼むから、落ちないでくれよ……」


 ここは、極東の島国『JP』の東端の特殊指定区『CS』

 

 記号しか与えられていない島国の、なんにもない、小さな港町だ。

 

 ここで僕は、ガラクタをサルベージしたりして暮らしている。


 この少しヘンテコで、ぼんやりとした少女の名前は『未羽』


 彼女との出会いによって、僕の海辺での穏やかな生活には、少しだけ変化が訪れた。

 

 この物語は棺の少女『未羽』と、そして『古代機械』という文明崩壊以前の遺物をめぐる物語だーー



    *



 僕と彼女の出会いはおよそ三ヶ月前に遡る。

 

 それは夕凪で、空は雲ひとつなく、赤い海と夕暮れの境界線がどこだかわからなくなるような日の事だった。


 海はいつも通り油のような匂いがして、船内では親方がお気に入りの、甘い角砂糖みたいな声の歌手が、もう帰ってこない人への想いを歌い続けている。


 その日の僕の担当は、サルベージ用潜水艇『華鳥はなどり』を操縦し古代機械の回収する事だった。


先輩である、くすのきマナさんが、花虫かちゅうの駆除などの、サポートをしてくれる。


 花虫は以前は綺麗な海にだけ生息していたとされる「珊瑚」というものが突然変異したものらしい。


 ただ、僕が生まれた頃には既に海には花虫以外の生き物はいなかったから、そんなことを学校で習ってもあまり現実感が無かった。

  

 そもそも、僕はサルベージ屋になるまでは海に近づいたことさえ無かった。見たことがあったのは、陸に上げられたあと、どこかの廃棄場に運ばれる途中の花虫ーー


 それは海の赤よりも朱色に近い色で、いろんな方向に伸びた触手は水ぶくれした皮膚のようにブヨブヨだった。


 こんなものが海底に大量に沈んでいるのかと思うと身震いがしたし、今後も絶対海には近づきたくないーーそう子供心に誓ったような記憶がある。


 それがまさかこんな仕事をしているだなんて、子供の頃の僕は夢にも思わないだろうなーー

 

 そんな事を考えながらも僕は黙々と作業を続ける。


 華鳥のマニュピレーターを操作して、ひし形のような古代機械を両端から抑えて、落とさないように持ち上げる。そして華鳥の下部からサンプルネットを打ち出す。ちょうどマニピュレーターの下あたりに放出できたので、持ち上げていた古代機械を離してから、サンプルネットを収縮する。


 小型の潜水艇である華鳥では、マニピュレータだけでは海上まで古代機械機械を持ち上げることは困難だ。だからこうやって回収する。


華鳥の操作にやっとなれてきたとはいえ、この作業はなかなか骨がいる。


「華鳥2号、古代機械回収完了。今から浮遊するので、収容準備をよろしくお願いします」


「了解」

 

 親方がぶっきらぼうに応答する。この中型船『田紳丸でんしんまる』には、親方と、マナさんと、僕の3人しか乗っていない。


 華鳥のバラストタンクの水量を減らして、水上に浮遊していく。


「おっ、今回は古代機械を落とさなかったな。もし落としたら男として使い物にならない身体にしてやろうと思っていたんだが、残念だねぇ」インカムから聞こえてきたのはマナさんの女性にしては低めの声。ただ、その口調はとてもおどけている。


「い……いったい僕になにをする気だったんですか」「そりゃあもう、骨抜きに」「やめてください。仕事やめますよ」「んふぅー……」「大丈夫だ。童貞の筆下ろしと同時最高の快楽を味合わせてやる」「んふぅー……」「いや、意味わかんないですよ」「んふうぅー……」


 親方が鼻息を荒くしている。まずい。

「こぅうらぁ!無駄話はよさんかさっさと上がって来い。この凪もいつまで続くかわからんのだからな!」

 スピーカーが割れるような怒声が華鳥の小さな耐圧穀内に響く。


「はっはい!」「へーい」

 船に戻ったら、親方にひっぱたかれるかもしれないな……。


     *



 古代機械ーー


 僕らがサルベージしている機械の総称だ。


 約一千年前に作られた、失われた技術の結晶らしい。

 

 でも、古代機械の需要の範囲は狭い。


 サルベージしたものは、いったいなんなのかさえわからないものも多く、過去の技術力の研究を続けている物好きの学者達に売りつけるくらいしかできないんだ。

 

 実際に僕がサルベージしたものは、見た目はモノリスのような置物で、内部構造が細かい機械で作られているものだったり、搭乗できない乗り物のようなものなど、形は様々だった。

 

 僕は正直、この仕事が社会の役に立つ日が、果たしてくるのだろうか、と疑問に思う。

 

 それでも二人は雇えているのだから不思議なものだ。

 

 取引先との交渉は親方の仕事だから、僕とマナさんは『学者に売りつけているらしい』ということ以外はまったくわからない。


 どんな取引先なのか気になったマナさんが時々、親方がその相手らしき人物と電話しているのを盗み聞きしようとしたことがあるらしい。

 

 やたらと陽気な甲高い声だったり、野太いマフィアのような声、中には僕らの知っている言語ではないものをしゃべっているものもあったとか。


 流石にそれは、マナさんの脚色だろうけど。

 

 とてもじゃないけどまともな取引先とは思えなかった。


 そんな相手と契約を取り付けた親方っていったい何者なんだろう……



    *



 船内に戻って生きた僕とマナさんは、サルベージしたひし形のような形の古代機械を目の前に雑談をしていた。


「さぁて、今回のガラクタはどんなもんだい」


「ガラクタとか言わないでくださいよ。大事な商品なんですから」

 

 マナさんは、顔の造形こそ整っているものの、手入れをしていないのか、肌はボロボロに焼けている。


 そして一応小綺麗に、髪は後ろで纏めてはいるものの、縛り目にはいつも輪ゴムが使われていた。


 ここまで出無精の人間を僕は見たことが無い。


「いくら失われた技術が使われているからって、私達には使い方もわからないんだからガラクタには違いないだろーが」


「にしてもいつものことですが、鉄みたいな素材なのに全く錆び付いていませんね」


「まぁ、使われている素材そのものが一体なんなのかさえ私達にゃよくわかんねえからな」


「でも華鳥の装甲にもこれと同じものが使われているんですよね。この素材、加工とかできるんですかね?」


「お前の知らないことは私もしらん。まっ、こいつがないと私は酒代煙草代も稼げないんだ。謎めいた業界だが私は黙々と働くだけ……っと」

 

「んふぅー」

 という特徴的な鼻息が聞こえてきて、マナさんは言葉を遮った。

 親方だ。本名は知らない。教えてくれないのだ。なんと呼べばいいのか聞いたところ、『親方でいい』と言われた。

 

 船乗りとはいえないようなやせ細った身体。日焼けはしているし、申し分程度に髭も生やしてはいるけれど、ワイルドとはほど遠い風貌。


 いわゆる『親方』から連想されるイメージの船長とはかけ離れている。どちらかというと学者のような雰囲気だ。


「……ったく。お前らの船内での会話はどうにかならんのか」


 呆れられたのか、それ以上追求することはなく、親方の目線は既に古代機械に向いていた。


 親方は古代機械に絡みついた花虫を、ホースの水の水圧で吹き飛ばして綺麗にし始めた。 

 時折手で弄り、スイッチなどがないかを探っていく。


 僕らに素手で古代機械を触ることは許されていない。


 親方はなにかわかったのか、手帳になにかをメモしている。


「なにかわかりそうですか」


「いや……わからん。ただラボに今回の商品の規模や形を先に連絡するように言われているんでな」


「これ、ほんとになんなんでしょうね。こんなものどこかで……」

 間近でみると、細かい幾何学模様のようなレリーフが入っていることがわかる。大きさとしてはちょうど人間が入る大きさ。


 なにか、既視感きしかんを感じる。


「……っ! これって……」


 僕はこの古代機械とよく似たものが描かれた絵画を、見かけた事がある気がする。

 確か、小さな頃、父さんと遠くの街へ出かけた時に入った、ひっそりとした絵画展だった。

 その絵は中央に大きな菱形の入れ物、そしてその中には美しい少女、ユリの花束が描かれていてーー


「棺の少女……」


「なんだそれ?」


「僕、これに似た絵画をみた事があります。中には綺麗な少女とユリが入っていて」


「……おいおいなんだよ? お前はあれか? お花畑ちゃんか? これは海から引き上げてきたもんなんだ。人が入っているわけないだろーが」


「いや、それはそうなんですけど……!」


 これはどう考えてもあの絵画展で見たものと同じものだ。特徴的な模様、忘れるわけない。


「……落ち着け」

 と親方は言った。


「仮にお前の言うとおり、中には人が入っていたとしても、その人間は死んでいる。棺とは人間の死体を入れるものだ。埋葬方法としての歴史はかなり古いから、知らなくても無理はないがな」


「そんな……死んでいるだなんて……」


「そもそも、この表面は一千年前に作られた古代機械のものだ。仮にこれが棺でも中の人間はとうの昔に骨だけになっているだろう」


「骨だけ……ですか……」


 考えれば当たり前の事だ。あまりに昔の記憶の絵画そのもののように見えたので、少し興奮してしまった。棺というのが死体を入れるものだったのも驚きだった。


 それでも僕は、子供の頃見た絵画の記憶が忘れられなくて、親方に聞いてしまう。


「中を見ることは出来ないんでしょうか?」


「スイッチ類はなさそうだし、主導で開くものでもなさそうだな。……そもそもさっきの話は、お前の仮定を信じた場合であって、中になにか入っているとは限らないし、これはあくまで商品だからな。俺たちに知る権利はない」


「そんな……」


「残念だったな? ぼっちゃん。絵画の中のお姫様に出会えなくて」


 ニヤニヤとマナさんが笑いながら、僕の肩を乱暴に何度も叩く。彼女なりに慰めようとしてくれているのかもしれない。


「痛い! 痛いですってば!」


「んふぅー……とにかく今日は終業だ。明日研究所のトラックが来るから、それにこいつを載せたら、もうお目にかかることはないだろう」


「……わかりました」


 残念でならなかったけど、これは仕事だ。それぐらい僕もわきまえている。

 

 もう子どもじゃないんだからーー



 その日の夜。

 

 ……どうしても気になる。

 僕はベットの上で、悶々と今日引き上げた古代機械について考えていた。


 あの棺を思い出すたびに、子供の頃の記憶がどんどん鮮明になってくる。


 あの少女の肌、ユリの花はどちらもこの世のものとは思えない程真っ白で、髪の色だけが鮮やかな茶髪だった。手は胸の位置で組まれていて、何かに祈りを捧げているようだった。

 

 それと同時に思い出したのは、棺の周りには、古代機械のパーツのようなものが描かれていた事だった。あの絵がどんな時代に書かれたものかは、特に表記されていた記憶はない。

 

 それでも、自分の中では確信があった。


 やっぱりあれは、はるか昔に、実際の棺を見て書かれたものなのでは……と。

 

 妄想だと思われてもいい。あの棺の中身を一度見るまでは、この気持ちは、絶対に収まらないーーそんな気がした。

 

 その時の僕は、まるで自分が自分じゃないみたいな、そんな熱に浮かされていた。こんな事初めてだった。

  

 僕は適当な支度をして、家を飛び出した。


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