地下3階 10部屋(その8)
首から下げた『ギルド証』のお陰か、狭い街なのでもう俺の事が知れ渡っているお陰なのか、心なしか棄民街の俺を見る雰囲気――異物を見るような警戒感――が、一気に和やいだのを自覚しながら、俺たちは《スードウ・ゴブリン》のハグレ個体を狩る依頼を受けて、街の外へと向かった。
途中でアレッタが、顔見知りらしい露天商のおばちゃんに声をかけられたり、
「いや~、アレッタちゃんが無事でよかったよ。だけどまさか旦那を連れて帰ってくるとは思わなかったけど」
「ちょ――違うわよ! こいつは単なるツレよ! 世間知らずのボンボンだから、同郷の誼で世話をしているだけで……」
「あはははははっ! アタシと亭主との馴れ初めも似たようなもんだね。どうにも、この人は商売が下手で、かといって腕っぷしも大したことがなかったから、隣で商売していたアタシがじれったくなってねぇ。世話をしている内に、いつの間にやら子供が七人――まあ、三人は病気と怪我でコロッと逝っちまったけど――ときたもんさ!」
そうおばちゃんが視線を向ける先では、隣で髭面の痩せたオヤジが屋台で得体の知れない肉と、東南アジア風の焼きそばであるパッタイ、もしくはミーゴレンに似た麺を焼きながら、きまり悪げに視線を逸らして咳ばらいをしていた。
「……まあなんだ。なるようになるのが人生ってもんだ」
そう言って、トワと俺とに串焼きの肉と、飲み物代わりなのだろう、水気の多い瓜に似た果物を半分に割ったものを、「サービスだ」といってぶっきら棒に寄こした。
「ありがとう。おじさん! おばさんも元気でね。じゃあ、これから仕事だから」
「気を付けるんだよ~。お兄ちゃんもアレッタちゃんをしっかり守ってやってね」
「はははっ、アレッタのほうが俺よりも腕っぷしは強いんですけど……まあ、頑張ります」
「おう。男だったら女の盾になるくらいの気概がないとな」
挨拶をしてその場から離れる俺たち。
トワは歩きながら早速、串焼肉にかぶりついて、美味しそうに顔をほころばせる。
「……美味いのか、それ?」
この世界の食い物は、アミノ酸の形態が違うから、そもそも食べても魔族には一片の栄養もないはずなんだが。
「死ぬほどマズいに決まっているじゃない」
顔だけは微笑みを絶やさないようにしながら、トワが小声で答える。
「けど、この世界のニンゲンの街で暮らす以上、こうやってフリだけでも美味しそうに食べないと、周りから変に思われるでしょう?」
そういいつつ、続いて瓜を口に運ぶ。
「ぐ……前はまだしも無心で飲み込むことができたんだけど、ここんところまともな食生活をしていたせいで、舌が肥えてクーワマ瓜の汁でさえも喉を通らないわ」
もぐもぐといつまでも口の中で食べたものを頬張りながら、ゲンナリとした口調でトワがこぼした。
それほどマズいのかと、ドリアンやシュールストレミングに挑戦する好奇心で、俺ももらった串焼肉とクーワマ瓜とやらを一口ずつ食ってみる。
「……確かにマズいわ、これ」
なんつーか、串焼肉は半年間雨水に漬けた古新聞をそのまま焼いた感じで、クーワマ瓜は床にこぼれた牛乳を、灰色に変色した雑巾で拭いてしっぼった汁でふやけたスポンジみたいな味と触感だった。
口に含んだまま、棄民街の門を無言で通り抜けた俺とトワ。
周りに人けがなくなったのを確認して、『結界(Lv1)』を張った上で、ふたり揃って口の中のモノを吐き出して、『インベントリ』にしまっていたポリタンクの水で、うがいをしたのは言うまでもない。
まさか、『結界(Lv1)』をこんな風に使うことになるとは俺も思いもしなかったけれど……。
◇ ◇ ◇
「北北西に500mほど離れた場所に、三体ほどの二足歩行生物の気配を確認したわ。動きからしてニンゲンではなくて《スードウ・ゴブリン》ね」
「野良の《スードウ・ゴブリン》ですか。トワさんがこのあたりに腰を落ち着けていたということは、それなりに個体数の密度が高いということですね?」
奥義書から人型の形態になったヤミの問い掛けに、『気配探知(Lv2)』と『熱探知』を同時に稼働させながら周囲の生き物の分布状況を確認していたトワが頷く。
「まあね。このあたり……というか、北側の渓谷地帯にアリの巣のように複雑なダンジョンが、結構昔からあるんだけど、そこからハグレた《スードウ・ゴブリン》が野生化したらしいのよ」
「へえ。《スードウ・ゴブリン》が野生化する昔っていえば、かなりの古参のダンジョンだよな?」
「《スードウ・ゴブリン》の設定を変えて、アップデートされたのは、およそ1250年前です」
俺の問い掛けにヤミが補足を加えてくれた。
「つまりそれ以前から存在していたということだ。――まあ、ダンマスは取って替わられているかも知れないけど」
「いえ、公式にはその場所のダンジョン――シリアルナンバー1789番『崑崙ダンジョン』――のDungeon Masterである『楊回』が代替わりしたという記述はありません」
「ほう。ちなみにどこの派閥に所属しているんだ?」
「してないわよ」
それに答えたのはトワである。
「言ったでしょう。古参のダンジョンマスターになると『魔王』として、独立独歩でいるって。ここのダンジョンマスターはその典型ね」
「ほうほう」
やはり外に出てみないとわからないことが多いものである。
思わずニヤケル俺の顔を横目で眺めながら、
「ああ、アカシャ様があんなに嬉しそうに、生き生きと……」
「悪だくみをしている顔よね」
ヤミがうっとりと見入り、トワがげんなりした表情で吐き捨てた。
「ははははははっ、人聞きが悪い。ただ、せっかくご近所になったんだから、先に挨拶をしておいたほうがいいかなぁ、と思っただけだよ」
挨拶をするに、このダンジョンがオープン前の期間は絶好と言えるだろう。基本的にオープン前のダンジョンとダンジョンマスターに戦いを挑むことはできないのだから。
「話がわかる相手だったら協調路線を探るし」
「通じない相手だったら?」
「適当に相手しようじゃないか」
決まっているだろう!
そう答えると、ヤミが「さすがはアカシャ様です!」と感嘆し、トワが頭を抱えてため息をついた。