地下3階 10部屋(その6)
「〈飢渇する凶竜〉が発生したですってぇぇぇっ!?!」
冒険者ギルドの受付にトワの悲鳴のような絶叫が響き渡った。
なんやかんやあって、エマという受付嬢と近況――「ここ半年近く何をしていたの?」と聞かれて棄民街に入る時に口にした方便を語り、逆に「突然生まれた湖のことで何かわかっていることはない?」とカマをかけた――ところで、
「そっちはまだ調査中。それよりももっと大変なことが起きたのよ……」
と、声を潜めたエマ嬢の配慮も無視した、トワの素っ頓狂な声が響き渡ったのだ。
「――ちょっ、声が大きいわよアレッタ。……まあ、公然の秘密だからいまさら隠すことでもないのだけれど」
そう一言釘を刺してから、諦めたように嘆息するエマ嬢。
「ご、ごめん。つい……」
窘められたアレッタは慌てて周囲を窺って、ギルド内にたむろしている冒険者たちの反応――大部分が自明の理という顔で苦々しく押し黙っている――を確認して、ほっと安堵の吐息を放った。
で、俺はと言えば『念話』を使って、懐の中に忍ばせている奥義書形態のヤミと、問答を繰り広げていた。
『ヤミ。〈飢渇する凶竜〉ってのは何だ?』
『この世界におけるモンスターの頂点であり、〝広域殲滅級”とも呼ばれる原住民最大の脅威です。ちなみにダンジョンの発生は規模にもよりますが、基本的にもうワンランク下の〝極地天災級”、ダンジョンマスターはもう一段階下の〝限定災厄級”と称されています。――あくまで原住民が定めた基準ですが』
最後の一言は俺に対するフォローなのか、ダンジョン・マニュアルとしてのヤミの矜持によるものか、淡々とした念話の口調からはいまいち把握できなかったが。
それはともかく――
『そんなに強いのか、その〈飢渇する凶竜〉ってモンスターは?』
気になるのは『最大の脅威』というそこの部分だ。
『単純なエネルギー量で言えば、標準的な個体でこの世界の平均的な魔王――運営が把握している範囲でですが――五十万体に相当します』
『ご……!?』
話の流れから魔王より破壊力がありそうなのは予想していたが、それでも想定していた数字とは桁が二つか三つ違った。
思わず絶句する俺に対して、ヤミが必要な情報を付け加える。
『エネルギー形態の違いです。様々な要因により、この惑星上に普遍的に存在する魔素に歪が生じて、本来ならば疑似生物であるモンスターに結実するはずの魔素が暴走を行い、猛烈な勢いで魔素を凝縮・拡散を繰り返すのが〈飢渇する凶竜〉の本質であり、一見すると巨大なモンスターとして観測できますが、その実態は魔素の爆弾、もしくは魔素台風とでも呼ぶべきでしょう。実際、これが消滅した後には魔石は残りません』
魔素という得体の知れないエネルギーの台風ね。
なるほど。
大体のイメージが掴めてきた。
『つーか、消滅ってことは斃すことができるのか?』
『時間が経過すれば魔素が尽きて自然消滅します。エネルギーの凝縮と拡散を繰り返すと言っても、存在する魔素に限界がありますので、十分な魔素を吸収できなかった場合はおよそ二週間から一月ほどで、跡形もなく消え失せるのが常ですね』
ふむ、ますます台風染みているな。
『問題は〈飢渇する凶竜〉もまたモンスターの例に漏れず、他のモンスターや原住民の魔臓を好物としていることです。そのためこれが通り抜けた後はモンスターは勿論のこと、人口密集地域は文字通り人っ子一人残らず壊滅します。かつては超大型にまで成長した個体により、数十の国と数百万の犠牲が出た事例もあるようです。もっとも近年は教皇庁が生み出した『退魔障壁』――現地人の魔力を見かけ上打ち消すジャミング装置が設置されるようになり、都市国家規模での被害は激減したようですが』
『なーるほど。そのあたりも教皇庁が幅を利かせる要因ってわけか』
大いに納得した俺たちの会話は勿論他の誰にも聞かれることなく――下手にトワに聞かせると、裏表のないコイツの事だから挙動不審になる可能性が高いため、あくまで俺とヤミとの内緒話に留めている――トワはトワで深刻な表情でエマとカウンター越しに額を突き合わせて呻吟していた。
「……発生したのは、だいたいコキリオと教皇庁の同盟国のシノークス公国の中間あたりか。やっぱ原因は湖ができて魔素の流れに乱れが生じたのが原因かなぁ」
一瞬だけチラリと非難めいた視線を俺に向けるトワ。
『トワさんは随分と原住民に感情移入しているのですね。〈飢渇する凶竜〉は基本的に私たち魔族やダンジョンには興味を示しませんので、所詮は対岸の火事なはずなのですが……』
『ま、結構長く現地人に同化していたようだし、こうして話をしてみても人間とほぼ変わらぬ喜怒哀楽があって、コミュニケーションが成立するのだから情が移るのも仕方ないだろう』
そう苦笑するイメージを念話でヤミに伝える。
とは言えトワの心情を理解できる一方で、俺の場合は生来のものか後天的な処置を施された結果なのかは不明だが、現地人と自分たちとは別なもの――はっきり言えば捕食者と獲物(かつ敵対者)――と明確に区分けして、所詮は相容れない存在と割り切って考えることができる。
ここのところがトワとの違いだろう。
トワは目の前のエマを友人と誤認――或いは自分が魔族であると知れた途端に相手の態度が豹変する事実から目を背けて――しているが、俺にとっては数多くいる羊の一頭にしか過ぎない。
トワが可愛がっているのなら、手出しするのを止めてもいいかな……程度の違いであった。
そういえば……と、フィーナが俺を評して、
「おぬしは獅子の豪胆さも豹の孤高さも大鷲の風格もないが、群れを率いる雄狼としてはまあまあじゃな。個体としての能力はさほどではないが、代わりに狡猾さと周到さ、何より他の者には容赦がないが、家族となった者には惜しみない情愛を注ぐからのォ」
という褒めているんだか小ばかにしているんだかわからない――多分両方だろう――戯れの言葉を思い出した。
俺にとってはダンジョンが家であり、そこに暮らす者たちが家族である。
それを害する者たちはすべからく排除すべき敵であるのだ。
と――。
「――その可能性もあるかとは思うけど、なんとも言えないわね」
我ながら鬼畜な内緒話をしている傍らでは、相変わらずエマ嬢とトワとが深刻な表情で話し合いを続けていた。
「いまのところ亜人や獣人の小さな村や集落が滅ぼされた程度か。問題は今後〈飢渇する凶竜〉がどっちへ向かうかよねえ」
「ええ。シノークス公国方面に行ってくれれば助かるんだけれど、こっちに来られたら多分真っ先に廃棄街の住人が強制的に立ち退きを余儀なくされて、犠牲になるわね……」
ちなみにコキリオの街にも『退魔障壁』は設置されているそうだが、当然ながら廃棄街まではカバーしていない。
つまり普段であればモンスター用の肉壁であり、多少失われたところで本体である城塞都市に被害がなければ問題ない廃棄街の住人の存在が、現状では飢えた獰猛な獣の前に肉をぶら下げているも同然となっているのだ。
相手に気付かれないうちに、肉を明後日の方角へ放り投げようと思うのは当然だろう(なお、『退魔障壁』はいわば巨大な網目状の蓋のようなものであり、遠くからはきっちりガードされているように見えるが、近くに寄ったり網目を潜り抜けられるほど程度のモンスターには効果がない)。
『ふーむ……もしかするとこれは天祐かも知れないな』
『と、おっしゃいますと――ああ、なるほど。放逐された原住民を餌にして、〈飢渇する凶竜〉を教皇庁へ誘導させるのですね』
こういう時に念話だと話が早いね。
『プラス、先んじて教皇庁――オフィウクスの〈聖域〉までのルート上の都市国家にある「退魔障壁」の無効化だな』
最強のダンジョン・マスターの一角とはいえ、その50万倍のエネルギーを内包した〈飢渇する凶竜〉相手となれば苦戦は必至。
負けないまでも疲弊したところを背後から撃つか。最悪、こちらに目が向くまでの時間稼ぎができれば十分である。
まあ問題があるとすれば、逆に不自然に思われてこちらの関与を疑われ、俺の存在まで手繰り寄せられる危険性があるという点だけだが……この時は俺はそう気楽に考えていたのだが、現実とはままならぬもの。
この後、内と外から予想外の不確実要因により、計画を大幅に修正せざるを得なくなるとは、この時の俺は考えもしなかった。
9/21 誤字脱字訂正しました。