地下2階 7部屋(その14)
一転して、氷によるミラーハウスと化した地下二階の変貌に唖然としたアレッタであったが、
「ふん、こんな悪あがきのこけ脅しをしたところで――!」
熱探知によって俺の位置を正確に把握している彼女は、幾層もの氷の鏡越しに俺の浮遊している場所を見定めて、魔剣〈ノートゥング〉を構えた。
構えたところで怪訝な表情を浮かべたことだろう。
万華鏡のような氷の鏡に映っている俺の分身が、一斉に黒のローブの下から何の変哲もない剣を二本取り出して、構えるでなくしてやったりの笑みを浮かべたからだ。
警戒のためか俺の『真眼』に映る彼女の攻撃線……ではなく、移動線が希薄になったその背中側へ、素早く回り込んだ〈風の小妖精〉たちと、〈ダンジョン・ムーブ〉で剣の位置を入れ替える。
一瞬後、俺の両手の位置に現れるふたりの〈風の小妖精〉。
入れ替わりにアレッタの無防備な背中に向けて落下する二本の剣。
「――っ!?!」
刹那の反射で地下二階の螺旋階段へ降りる正面踊り場――その凍った縁ギリギリへと小さく跳ねて、これを躱すアレッタ。
二本の剣はアレッタの背中を掠ることもなく、虚しく凍り付いた地下通路の床へ刺さった。
思わず空になった両手を開いて『お手上げ』のポーズをする俺。
千差万別の氷の鏡に映ったその様子を眺めて、小ばかにしたような嘲笑を浮かべるアレッタ。
「――ふん。つくづく小細工が好きみたいだけれど、どうあっても初心者のあんたと、あたしとじゃステータス差はひっくり返せないわ」
「まったくだ。RPGゲームだったら、俺が百回攻撃しても一撃入れられたら終わりだろうな」
「そういうことよ」
俺の言葉も反響しながらアレッタの耳に届いたらしい。
当然という顔で頷かれた。
「――けどまあ、これってゲームじゃないんだよね」
「?? なにを……」
「ぶっちゃけステータスなんて反射神経とか、腕力とかが増強されているだけで、INTが上がってもスキルの威力が上がるだけで、それを使う頭の中身が上がるわけじゃないし……まあ、要するにRPGと違って、スキルや道具の使い方なんてやりようだってことさ」
俺の言葉に怪訝な表情のままではあるものの、どうやら自分が愚かだと当てこすられている程度の見当はついたらしい。アレッタの表情が目に見えて不機嫌になってきた。
「つまんない寝言言っているわね。『Soul Crystal』の権利譲渡があるから、一撃では殺さないでおくけれど、手足の一二本とそのペラペラ回る舌はいらないわよね……」
怒気を漲らせて〈ノートゥング〉を構えるアレッタ。
今度こそ確実な攻撃線が俺の体の上を覆いかぶさった――ところで、俺は指で足元を示して一言注意をしてやった。
「なあ、変だと思わないのか? ダンジョンの材質は不可侵――お前さんの〈ノートゥング〉級で一時的に傷をつけられる程度だ。それなのに、なんで俺が投げたただの鉄の剣が床に刺さったと思う?」
途端、はっとした振り返ったアレッタの目に映ったのは、床に埋まった二本の剣先を中心にひび割れている凍った足場であった。
「雪渓ってわかるかな? 渓谷の上に雪が積もって一見して山の斜面に見えるけれど、実際は宙ぶらりんの状態で踏み抜くと谷底やクレバスへ真っ逆さまって奴だ」
「ま、まさか!??」
「もともとそこらへんに踊り場なんて作ってなかったんだよな。ただシノ――蜘蛛の魔物に頼んでそれっぽい作りに糸で足場を組んで、土で汚しておいただけで。でもって、それを誰かさんが壊れやすいように凍らせてくれた。で、後は破壊の起点になる場所――俺の目で視て弱そうに見えた部分に、楔を打ち込んでみた」
そう言っているうちにアレッタのいる足場が雪崩を打って崩壊した。
ジャンプをして無事な通路に逃れるには足場がない。それに、またしても罠があるかも知れない。このまま下に落ちるにしても、床までの高さや状況が不明である。
そう判断したアレッタが取った行動はただひとつ。目の前にあった地下二階の側面の壁に向かって〈ノートゥング〉を突き立て、減速することであった。
およそ20mほど落下したところで、壁に取りすがる様にして〈ノートゥング〉を突き立て、そして鉄棒選手のような軽快な動きで、壁に刺さったままの〈ノートゥング〉を起点に、素早く体勢を立て直すアレッタ。
壁に対して直角(というにはやや下向きに下がった感じ)に刺さっている〈ノートゥング〉の柄の上に両足を置く姿勢で一息ついた彼女は、鏡に映った俺が特に何の行動もしておらず、また位置も先ほどからほとんど変わっていないことを熱探知で確認をして、
「まったく……確かにこれは予想外だったわ。だけど、あんたにはあたしを斃せるほどの力はないでしょう? それとも最初にいた魔物――あのドラゴンが増援で来るのかしら?」
来たら今度こそ〈ノートゥング〉で切り伏せてやる。と言わんばかりに、足元の〈ノートゥング〉にちらりと視線を送る。
「ま、確かに。俺が直接腕力でお前さんを斃すのは難しいと思うし、リュジュ――あのドラゴンはしばらく身動きができないので参加はしない。けど、お前さんが言った『最初にいた魔物』ってのは、間違いだな。一番最初にいた魔物が、是非とも汚名を雪ぎたいって言うので、そっちを優先させることにしたんだ」
それでもピンとこないらしい不得要領のアレッタに向かって、重ねてヒントを与えてやる。
「お前さん、このダンジョンの前で真っ先に氷の雨を降らせた相手がいるだろう?」
そこまで言われて初めて思い出したらしい。
「あの〈スケルトン〉のこと? バカバカしい。100倍の数で来られても片手で捻ってみせるわ。だいたい、どこにいるのかしら?」
「ここにいる! その節は世話になったなっ!」
押し殺した憤怒の咆哮とともに、氷の鏡をぶち破って革鎧を着た赤毛の女戦士がアレッタの目前に現れると同時に、手にした長剣を横薙ぎ――剣術で言うところの渾身の貫き胴――がものの見事に決まった。
「がはっ――そ、どこから……?」
これが同レベルであれば胴体が両断されていたであろう一撃であったが、見た感じ与えられた傷はどうにか皮を切って肉に届いたか……といったところである。
だが、肉体的な傷よりも精神的なショックの方が遥かに大きいようで、衝撃で〈ノートゥング〉の上から弾き飛ばされたアレッタの驚愕に見開かれた瞳は、彼女を追って滞空しながら、いまだに鏡に映っていない彼女の不可解さに注視されていた。
なので、正解を教えてやった。
「鏡に映らず、体温もなく、流れ水も渡れない〈吸血鬼〉。ありがとう、君のお陰で彼女が最高のパフォーマンスを叩き出せる環境を作ることができたよ。――まさか、先にやった彼女を相手に『不意打ちなんて卑怯だ』などとは言わないだろう?」
せいぜい厭味ったらしく。
「レギィ、このまま下に叩きつけられても明確なダメージを与えられるとは思えない。まずは動きを止めろ!」
それから〈吸血鬼〉である――元女蛮族の〈スケルトン〉10人が一人になった一人軍団――レギィと名付けた彼女にそう指示を飛ばすと、心得たもので背中の弓を空中で構えて、落下するアレッタ目掛けて続けざまに矢を放った。
無造作とも言える勢いで放たれた矢はすべて狙いたがわず、アレッタの全身――着ている衣服を貫通して――凍り付いた基底へ叩きつけられた彼女を、その場へ縫い付ける。
「――ぐはああ……っ!!」
さすがにこの高さからの受け身の取れない落下は堪えるのか、アレッタの口から明確な苦痛の叫びが漏れた。
朦朧としながらも、『だが、これ以上の攻撃手段はないだろう』と僅かに口元へ侮りを見せる彼女。
だが、そうは問屋が卸さない。
「シノ! リュジュ頼む!」
言いながら自由落下をする俺を追い抜いて、天井からぶら下がってきたシノとその蜘蛛の下半身のところに跨っている人化したリュジュ。
素早く壁に刺さったままの〈ノートゥング〉に取り付いて、リュジュがそのステータスに物をいわせて引き抜いて、
「はい、どうぞ!」
やはり〈竜殺しの魔剣〉は苦手なのか、バッチイもののように俺に向かって放り投げてきた。
と言っても俺のステータスではこいつを使うことはできない。だが――。
『先端を水にさらすと上流から流れてきた一筋の羊毛が絡みつかずに、そこで真っ二つに断たれるほどの切れ味を誇ると言われる名剣です』
俺の脳裏にヤミが説明してくれた〈ノートゥング〉の逸話が蘇った。
川に突き刺しておいただけで、羊毛をすら真っ二つにする切れ味を誇る魔剣。
「なら、真っ直ぐ下に突き下ろすだけでも問題ないよな!」
自由落下中の束の間の無重力状態の中、〈ノートゥング〉の柄を握った俺は、ようやく事態を理解して愕然としているアレッタ目掛けて、その切っ先を軌道修正したのだった。
8/23 誤字脱字訂正しました。




