地下2階 7部屋(その13)
一目見て面食らった様子のアレッタだったけれど、すぐに気を取り直したみたいで、糸の結界越しに俺のいる方向を迷いなく見据え、
「遮蔽物に阻まれれば『鑑定』の類いのスキルは使えないと思ったんでしょうけど、おあいにく様。あたしにはあんたのいる位置が手に取る様にわかるわ」
そう言って躊躇なく魔剣〈ノートゥング〉を振るった。
その様子を《ダンジョン投影》で確認して、さらに『真眼:君子危うきに近寄らず』(以下『真眼』とする。)で、危うい場所を察知した俺が「右!」と合図した瞬間、俺の体が猛烈な勢いで右に引っ張られた。
「――うおっ!?」
ジェットコースターなんて問題にならない横向きの重力によって、内臓がバウンドする。
気のせいか一瞬前まで俺がいた場所に、俺の残像が残っているようにも見えた。
その残像と周囲の糸が千切れるも、俺本体はすでにその場所におらず、だがさらに続けざまに「上、左斜め下、急速降下!」飛んできた剣線を、必死に躱す俺。
もちろん、俺の『飛翔』にこんなアクロバティックな動きができるわけがない。種を明かせば、俺の体に巻き付いていたシノの糸と操作によって、糸操り人形のように振り回されているだけである。
「――ちっ、ちょこまかと。というか、他にもいるわね? 魔物? 随分とこの場所になれた動きの……そっか、この糸を巡らせている蜘蛛の魔物ね? 不意打ちするつもりで近づいてくるわけじゃないみたいだけれど……」
情緒不安なのか、口に出してぶつくさ考えをまとめているアレッタ。
そんな彼女の様子を《ダンジョン投影》で見ながら、
「ふーん。どうやら『千里眼』とかそのあたりのスキルじゃないらしいな。動くものに反応? いや、それなら表でリュジュと戦った時の先読みみたいな能力が説明できない。見てわかる系統のスキル――」
そう推察を重ねる俺の頬を、〈風の小妖精〉たちが、自分たちの出番はまだかとばかり叩いて通り過ぎる。
「悪い、もうちょっと相手の手札を暴かないと――」
そう〈風の小妖精〉たちをなだめかけたところで、先ほどのアレッタの台詞を思い出した。
――他にもいるわね? 魔物? 随分とこの場所になれた動きの……そっか、この糸を巡らせている蜘蛛の魔物ね?
そういえば『魔物』という括りなら、ここには〈風の小妖精〉たちもいる。それと底には水を張り巡らしているフィーナもいるはずであるが、いまのところアレッタはどちらも気付いた様子はない。
「実体をもつかどうか? いや、それならフィーナに気付かないのはおかしい。距離の問題か? いや、直線で100m程度なら、リュジュも十分に離れていたのに動きを読まれていた。何が違う?」
リュジュとフィーナの違い。片方は空にいて火炎で攻撃をした。片や水中にいて待ち受けの姿勢である。
火と水? 一見すると相反するものだが、実体は単にエネルギーの運動量の違いぐらいで、熱いか冷たいかの違いだ。
「ん? まてよ〝熱”? もしかして熱で探知しているのか? 蛇がピット器官で赤外線を探知して獲物を見つけるように……?」
可能性は高そうに見える。
ならば――!
「〈風の小妖精〉、予定変更プランBを即時展開するぞ! フィーナ、〈水の小妖精〉と協力して、思いっきり霧を起こしてくれ! なんだったら水面から逆噴射させても構わない! シノは所定の場所まで退避っ」
口頭で傍にいた〈風の小妖精〉に、《ダンジョン投影》でフィーナとシノに指示を飛ばす。
『派手に水を噴き上げれば良いのじゃろう? 要は噴水じゃな。よかろう。〈水の小妖精〉たちには荷が勝ち過ぎるので、濃霧程度じゃな』
『承りました、ご主人様』
鷹揚に頷くフィーナと、殊勝な態度で頭を下げるシノ。
それとほとんど同時に〈風の小妖精〉たちが、地下二階の壁を流れるちょろちょろとした滝の水に取りついて、一斉に部屋全体にエアーミストのように水滴を降り注がせる。
さらには基底部分から派手に吹き上がってきた水が、俺の位置を越えてアレッタのいる入り口付近まで爆発的に拡散した。
「――なっ!?! 何が……??!」
用心のために距離を置いたアレッタだったが、しばらく待っても直接的な攻撃がないことから、訝し気に二歩三歩と戻ってきて、猛烈な濃霧と水滴に覆われた糸の迷宮に首を傾げ――そこで、不意に目を見開いて、自分がどこにいるのかわからない表情で、地下二階のあらゆる方向へ視線を彷徨わせだした。
明らかに焦りの浮かんだその表情に、俺はさっきの噴水と現在の湿度100%近い環境のため、ずぶ濡れの状態のままほくそ笑んだ。
どうやら俺の読みが当たったらしい。
「――くっ、どこに!?」
水に濡れて体温が低下した――あとついでに常時、俺の周りを〈風の小妖精〉たちが取巻いて熱を拡散してくれている(風邪引きそうだ)――俺の姿を、明かに見失ったアレッタ。
よし! プランB成功! このまま――
「――ふん。こんな小細工なんてしても無駄よ!」
そう叫んだアレッタの周囲に急速に霜柱が立ち、猛烈な真冬の北極圏かと思われるような寒気とともに、糸の迷宮はおろか地下二階にあった滝も泉まで、一切合切が凍り付いたのだった。
「中途半端に温度を下げられたせいで、あんたの位置が掴めなくなったけれど、さすがに体温を氷点下以下にまでは下げられないでしょう? これであんたの位置も見え見えよ!」
その宣言通り、躱しようのない剣線が四方八方から押し寄せる様子が視えた。
今の俺はシノのサポートは期待できない。自力で『飛翔』して躱すしかないんだが、こんな無茶な動きができるわけがない。
せいぜいできる悪あがきと言えば――。
「プランC。照明っ!」
俺の合図を受けて、天井の部分へ退避していたシノが、照明の明かりを全開にした。
と言ってもシノに『迷宮創作』が使えるわけもなく、俺も現段階ではマスター・ルームにいないと操作はできないので、行った仕掛けはごくごく単純である。
なるべく光を通さない分厚い布で光源になる照明を遮っていた。その布を一斉に取り払っただけである。
そうして燦燦と降り注ぐ照明の下、目の当たりになったのは、キラキラと万華鏡のように光る、まるでミラーハウスのようになった地下二階、蜘蛛の巣と氷の鏡によってできたダンジョンの姿だった。




