地下1階 3部屋(その3)
「……本気で死んだかと思った」
「あれぇ……!? 生きてる!?!」
暗闇の中、ようやく息を吐いた俺の心からの安堵を聞いて、ヤミが素っ頓狂な声を張り上げ、それからふと思いついたらしいポケットを探って『身代わりの人形』を取り出して確認をした。
「え?! 壊れてない? だったらどうして助かったんですか? と言うかここどこですか?」
椅子のある半畳ほどの一角を残して、コロッと床が地面に変わった周囲の様子を透かし見て、ヤミが思いっきり頭の上に疑問符を浮かべて、問いかけを口にする。
それから椅子に座った俺の膝の上にしどけない体勢で横になっているのに気付いて、慌てて地面に下りて一礼をした。
「妾も気になるのぉ。あの新参者の《ヴイーヴル》めが、妾に挨拶もせんと無作法を働いたかと思うた途端、気が付いたらこの穴倉にいたわけじゃが……」
どうにも憤懣やるかたないという表情で、水瓶を小脇に抱えたフィーナがこっちにやってきた。
勝手に場所を移動させた――正確には一歩も動いてはいないのだが――ことに腹を立てているのかと思ったのだが、どうやら怒りの矛先は《ヴイーヴル》の方へあるらしい。
「? もしかして《ヴイーヴル》とは仲が悪いのか?」
「良いも悪いもないわ。ガリア(古代フランスの呼び名)地方の田舎者。まして新興の土着神のことなぞ妾は知らん。じゃが、あ奴が妾に対して礼を逸していたのは確かじゃ。とうてい看過できることではないわな」
フィーナの言い分に今度は俺が首を傾げた。
「アジアの龍はインドのナーガを祖にした水神系で統一されていますが、ヨーロッパのドラゴンは主に地母神系に属しています。ですが《ヴイーヴル》は井戸を住まいにし、魚やマーメイドのような姿に変ずる逸話などがあるように、ヨーロッパでは珍しい水神系に属しているのです。で、あるならばギリシア・ローマ神話における本家本流の《水の神霊》をリスペクトすべき……ということなのでは?」
ヤミの補足を受けて、俺も合点がいった。
「あー、なるほど! つまり若い漫画家が自分の師匠の師匠に当たる漫画家を、知らずに名指しで『クソ』扱いしたようなもんかっ」
そりゃ激怒するわ。
「あの……納得がいかれたところで、最初の質問の答えを教えていただけないでしょうか?」
「おぉ、そうじゃの。この狭苦しい穴倉はどこじゃ?」
居心地悪そうに揃って聞かれた俺は、頭の上2mほどの位置にある天井……ではなく床を指さした。
「さっきと同じマスター・ルームさ。ただし『迷宮創作』を使って、床の位置を地面から2mほど上の位置にして、念のために『土魔法・ピット』で穴掘りまくったけど」
つーか、いまさらだけど魔法で穴を掘った場合、消えた土の質量はどこに消えるんだろう?
「「――はああぁぁぁっ!?!」」
言っている意味が即座に理解できなかったのか、揃って目を白黒させる(フィーナの場合は白青させる)ふたり。
「いや、だからさ。ダンジョンの壁や床や天井って、基本的に破壊不能オブジェなんだろう?」
「ええ、まあそうですね。特殊な次元を斬るような能力があれば別ですが、単純な物理的な破壊は不可能です」
ヤミが当然とばかり頷く。
「とはいえダンマスが『迷宮創作』で任意の場所に穴を開けておいて、その下を掘れば普通に地面と接触することができるのは、一階の泉で実証済みだ」
「うむ。そうじゃの。あの水はこの世界にある天然の地下水じゃ」
その泉を住処にしているフィーナが太鼓判を捺した。
「だから咄嗟に椅子のある位置とフィーナがいた位置。半畳を残して、床全体を盾にする形でせり上げたんだ。四方の壁の位置は変わっていないから、床下の位置でも場所は移動していないわけさ」
「はあ!? いや、待て! 待ちぃや! それなら各々の頭の上に空いた床の穴があるはずであろう? そのようなものはなかったぞよ」
確かにフィーナが言う通り一見すると床に穴はないようだけど。
「頭の上に穴があったらさっきの炎が吹き込んできて丸焼けだろう? だから穴の位置も移動させておいた。マスター・ルームの端と端……さっき俺とヤミがマーキングしておいた位置へ」
そう言って部屋の対角線上になる、最も遠い場所を指させば、微かに明かりが漏れている箇所があった。
「――っっっ!!! おぬし、先ほどは遊んでおったわけではないのか!?」
「さすがです、アカシャ様!」
息を飲んだフィーナの常に俺を見下していた視線に、わずかばかり驚嘆の色が浮かんで、丸みを帯びるのはなかなか気分が良かった。
ヤミのほうは完全にマンセーしている。
「で、《ヴイーヴル》への対処だけど、後は天井の位置をどんどん下げて――完璧な吊り天井だな――床との間でサンドイッチにすればお終いだ」
言いながら『迷宮創作』の3Dモデルを展開して、天井の位置をズンドコ下げていく。
『ギイ!? ギウァァァァァァァ!!』
それに合わせて、《ヴイーヴル》の戸惑ったような咆哮と、無作為に放たれる炎の照り返しが、床の穴から漏れ聞こえてくる。
「現在床と天井の幅5m……結構頑張るな」
「……おぬし、エゲツナイのぉ」
「さすがは『罠師の魔王』の面目躍如といったところですね」
そうこうするうちに3mを切り……2m……。
『グエエエエーッ!! ギャアアアアァァ………!』
段々と咆哮が切羽詰まって、悲鳴になってきた。
「1m……よし、一気に10㎝にするか!」
さすがにペチャンコに潰れるだろう。そう決めて操作をしようとしたところで、
「……た……たすけてー……!」
か細い女の子の死にそうなほど切羽詰まった声が、必死に助けを乞うのだった。




