表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
侍かうひぃ  作者: 夢雲まり
第一章 蝦夷地、箱館
5/8


中央にある広い式台の左、そこにある小さな式台が一般役人の入口である。

その内玄関から陸二と彦は奉行所の中へと入った。中に入ると、すぐに二人の若い小姓が出迎えてくれた。

酒井は彼らに何事かを話し、それに頷いて一人がその場から離れていく。と、それを見送ってから酒井は彦と陸二に振り返った。


「じゃあ、私はこれで失礼するよ。後は彼が案内するから」

「はい。酒井様、ここまで有難うございます」


陸二が頭を下げると、酒井は苦笑した。


「いいよいいよ。下宿先の主人として当たり前の事をしたまでだしね。さ、奉行も二人の到着を待ちかねているよ」

「はっ、それでは失礼致します。行くぞ、彦」

「はい。酒井様、私も失礼いたします」

「ああ。行っておいで」


陸二に習い、彦も礼をすると酒井はいよいよ親のような顔で微笑ましそうに笑った。

酒井と別れ、彦と陸二は残っていた一人の小姓に連れられて奥へと案内された。

廊下は両側の襖が締め切られておりそろそろ夕刻になるとは言えかなり薄暗かった。所々に置かれた蝋燭の火が無ければ、本当に真っ暗なのだろう。

歩く板張りの廊下は、足袋を履いているとはいえ、とても冷たかった。まるで、雪の上を裸足で歩かされているのではないかと思うほどだ。時折吹き込むひんやりとした空気がその寒さを助長させた。

そんな冷たい廊下を小姓に連れられ歩き、通されたのは奉行所の奥にある表居間であった。


「ここで、少々お待ちくだされ」


部屋に通されてから小姓達が茶などを用意していくと、そう言って静かに立去っていった。

その素早い仕事振りに、陸二は同じ小姓として働いていた彦を思い出していた。


(本来の小姓とはこういうものだよな)


そう思って、内心感心して見ていた。


襖が静かに閉まってから小姓の足音が聞えなくなると、陸二の横に座っていた彦はふっと体に入っていた力を抜いて盛大な溜息をついた。


「はあ、緊張しましたねぇ。陸二さん」

「こら、彦。すぐに気を抜くな。もう直ぐ奉行様がいらっしゃるんだぞ」

「あっ、はい。すみません。でも、この部屋暖かいですねぇ。お茶も暖かいですし」


そう言って、彦は目の前に用意された茶を早速飲み始めた。余程、手が冷たくなっていたのか女子供のように両手で湯呑みを包むように持ち上げて呑んでいる。その顔はほっと息をついてだらしなく笑っており、将に犬が尾を振る姿そのものだ。

そてを見て呆れて思わず眉を顰めてしまうが、陸二も同意するように頷いた。


「まあ、確かにな。火鉢も用意してくれていたようだし。さすがだな」


二人が部屋に入ってきた時点で、すでに部屋の隅には火鉢が置かれていた。そのお陰か廊下とは違い大変中は暖かい。お茶も二人が入ってすぐに部屋に運び込まれたので、恐らく事前に用意するように言われたのだと思い至る。

こういう気遣いができるのは酒井くらいだ。恐らく、小姓たちに準備するようあの時頼んでいたのだろうと陸二は内心、再び感服するばかりであった。




それから、暫くして隣の部屋の襖が開く音が聞こえてきた。

茶を飲み終え湯呑みを置いた陸二は何気なくその音に耳を澄ます。少し荒っぽい足音はそのままこちらの部屋に向かってくるのが聞えた。

と、直ぐに襖の前に足音が止まり、さっと開いた。

驚いた陸二は入ってきた人物の顔を見た。そして、その人物が誰だか分かりあわてて頭を下げる。

彦も、陸二の突然の行動にどうしたのかと動揺していたようだが、すぐに慌てて同じく頭を下げた。


「すまん。遅くなったな」


そう言いドスドスと部屋に入ってきた人物が、二人の目の前の上座に座った。


「ああ、そんなに畏まるな。二人とも、表を上げてくれ」

「あっ・・・・・・、はっ!」


あまりにも親しげに言われ、一瞬戸惑った陸二であったが慌てて顔を上げた。横で彦も陸二の様子を見ながら恐る恐る顔を上げる。


目の前に座っていた男は大きな口を弓なりに曲げて快活に笑っていた。

年は四十を少し過ぎた頃か。幾分小柄な体型だが、がっしりとした体つきである。四角い顔にある瞳が面白そうに彦達を眺めていた。

彼こそ、箱館奉行杉浦誠その人であった。


陸二の横で彦は何かを確かめるように杉浦をまじまじと顔を前に乗り出しそうなくらい見つめていた。

あまりにも不躾なその様子に陸二が内心焦った。だが、ちらりと見た杉浦はさらに笑み深めただけであった。

陸二は少しはらはらしつつも二人の様子を暫くじっと見ていた。が、会話が始まる様子も無かったので、再び自ら頭を下げて挨拶の口上を述べることにした。


「杉浦様。本日はお忙しい所、お時間を頂き恐悦至極に存じます」

「ん?ああ、こんな遠くまでよう着てくれた。だからそう堅苦しくなるな顔を上げろ」

「はっ!」


陸二が顔を上げると、杉浦は満足そうに微笑んで頷いた。そして、そのまま彦に視線を向ける。

彦はというと、それまでじっと杉浦の顔を見ていたのか、視線があったためはっと我に返ったようだった。

慌てたように頭を下げようとするのを、杉浦は嬉しそうに軽く笑いながら、手で制した。


「だから頭を上げろと言っておるだろ」

「あっ、はあ。失礼致しました・・・・・・」


恐縮したように体を小さくする彦に杉浦はさらに嬉しそうに笑った。


「ははは、相変わらずのようだな彦よ。しっかし、さらにでかくなったな。それに幾分、男らしくなったんじゃないか?ま、顔は変わらずに男前だ。あ、良継は息災か?」

「あ、はぁ。兄は相変わらず息災でございます」


次々と懐かしむように話しかえられるも、戸惑いつつ答える彦の顔は終始眉を潜めたままだ。

やはり、覚えていないのだろう。彦が戸惑っているのがわかったのか、杉浦は話すのを止めて目を瞬かせた。


「どうした。彦」

「えっ、いやぁ、そのぉ」


さすがの彦も覚えていないと言うのは失礼だと思って言い澱んだ。

それを内心呆れつつも、見かねた陸二は彦に代わって話す事にした。


「杉浦様、大変申し訳ありません。葛葉は人の顔を覚えるのが不得手でして」

「つまり、わしの事を忘れてしまったのか?」


杉浦は驚いたように目を見開いた。

彦は面目なさそうに顔を伏せた。さすがに悪いと思っているようだ。


「ぷっ、ははっははっはっはは」


突然、部屋に笑い声が響いた。

驚いて陸二と彦が顔を上げると目の前で杉浦が腹を抱え大口を開けて笑っていた。


「す、杉浦様?」


陸二が戸惑ったように声をかけると、杉浦は腹を抱えていない方の手を謝るようにこちらに向けた。


「ああ、すまんすまん。いや、結構結構」


そう言って、必死に笑いを堪えようしている。だが、一向に収まる気配がない。

二人が唖然として見守る中、杉浦は目に涙を浮かべつつ深呼吸を繰り返して、大分時間をかけてやっと笑いを止めた。


「ああ、久しぶりにこんなに笑ったわ。ああ、すまぬ。では、改めて自己紹介しようか」


そう言って、急に真面目な顔になり居住まいを正した。

呆然としていた陸二と彦も慌てて背筋を伸ばした。

 

「わしは杉浦誠。この箱館奉行所で奉行をしておる。彦、お前の兄、葛葉良継とは昔からの悪友だ。して、お前達は何者だ?」


そう言って、杉浦は試すように笑って陸二に目を向けた。

陸二は少し戸惑うも、すぐに顔を改めてまっすぐ杉浦の顔を見て言った。


「はっ、拙者は鈴木陸二と申します。掛川の生まれにて、今年二十六になり申す。九年ほど安井忠平様の塾にて学び申した」

「ふむ、鈴木陸二殿だな。これから宜しく頼む」

「はっ」


勢いよく答えた陸二に杉浦は満足そうに頷いた、そして、すぐに彦の方に目を向けた。

陸二もちらりと視線を向ける。

予想通り、彦はぼんやりとした顔で杉浦の顔を見ていた。だが、何故見られているのか分からなかったのか、陸二の方をちらりと見て首を傾げてきた。

陸二はやはりなと思いつつ睨みつけてやると、少し動揺して目を泳がせた後、やっと気がついたのか。彦は慌てて杉浦の方を見て頭を下げた。


「お、同じく、拙者は葛葉彦左衛門と申します。江戸生まれにて今年二十三になり申す。江戸松前藩邸にて小姓をしておりました」

「ふむ。そうかそうか。よう参った」


杉浦は半笑いしつつも、納得するように頷いた。

その顔は、まるで久しぶりに可愛がっていた親戚の子供にあった小父さんのような慈愛に満ちた顔である。余程、気に入っていたのが見て取れた。

と、微笑ましそうに彦を見ていた杉浦はふいに再び陸二のほうに顔を向けた。


「して、鈴木殿。文は持ってきているか」

「あっ、はい。これを」


そう言って、陸二は懐から二通の文を出した。ここに来る事が決まった時から、あらかじめ準備していた大切なものである。

陸二が二枚を一緒に差し出すと、杉浦は早速文を開いて目を通した。


「ほお、川村と堀か。ふむ、鈴木殿は実に優秀な人材のようだな」

「はっ、ありがとうございます」


陸二が頭を下げると、杉浦は再び頷いてから、文字を目で追い始めたようだった。

この文は、陸二が奉行所で務めるための紹介状である。

元々、呼び寄せられたのは彦だけで、実際には陸二は彦の兄、良継の頼みでついて来ただけの身分だ。

いくら、杉浦の友人である良継の頼みとはいえ、まったく面識のない名も通っていない若輩の陸二を奉行所に勤めさせるのは箱館奉行の一存でも決める事ができない。

そのため、奉行所に勤めるにはしかるべき身分のある者からの紹介状が必要であった。


行く事が決まってから、良継は陸二に二人の人物を紹介してくれた。

一人は、杉浦と良継の旧知である川村一匡、そしてもう一人は酒井の同僚である、箱館奉行支配調役通弁御用達の堀達之助である。

川村には江戸で、堀とは箱館についてから面会し紹介状を書いてもらっていた。

一通り文に目を通したのか、杉浦は何度か頷いてから、再び陸二に視線を向けた。


「ふむ。詳細は分かった。だが、実際この目でどれほどの実力か見てみたい。後日試験を執り行うが良いか?」

「はっ、ありがたくお受けいたします」


陸二は気合を入れて頭を下げた。

元々、紹介状だけで務められるとは思ってはいなかった。それに、試験を行うという事は自身の能力をちゃんと見極めてもらう良い機会である。俄然、やる気が漲った。

杉浦はそれを満足そうに見て頷いた。そして、ばんと膝を手で打ち鳴らすとすっと立ち上がった。


「では、すまぬが今日中に終わらせなければならない所要が残っててな。また、後日改めて会おう」


そう言って、杉浦は部屋から立ち去ろうとした。すると、それを見て、それまで黙って成り行きを見ていた彦が急に慌てて声を上げた。


「あ、あのぉ!杉浦様。私は、その、どうすれば・・・・・・」


彦の言葉尻が自信無くす様に段々と小さくなっていったが、それでも杉浦は襖の前で立ち止まって振り返り、ああと申し訳なさそうに笑った。


「おお、すまぬ。言い忘れていたが、実はすでに役職が決まっている」

「へ?」

「だが、その様子だと体調も万全ではなかろう。鈴木殿の役職がはっきりするまで体を休めとけ」

「は、はぁ」

「ではな、またゆっくり話そう」

「あっ」


彦が呼び止めようとするように手をあげるも、それに気付かなかったのか杉浦はにかっと笑い部屋を出て行った。

無常にも目の前で襖は閉まり、杉浦の足音が遠ざかっていく。

それを、彦は上げた手をそのままに呆然としまった襖を見つめていた。

陸二が彦の顔を見ると、その瞳はどこか不安そうに揺れているのがちらりと見えた。





それから三日ばかり後。

陸二は先日通された表居間の隣、奉行の執務室である表座敷で試験を受けた。

内容は孟子告子、作文に蝦夷地の開拓論を書き、作詩として函館春雪などの筆記の試験を行った。

それからさらに三日が経ち、酒井邸に杉浦より文が届いた。

陸二が文を読む傍らで彦は固唾を呑んで見守ってた。


「り、陸二さん。どうでしたか?」


不安そうに聞く彦に陸二は黙って手に持っていた文を彦に見せた。彦は一瞬不安そうな顔をして恐る恐る文を受け取る。

だが、文を見た次の瞬間には目を大きく見開いて陸二の顔を見た。


「陸二さん!ご採用おめでとうございます!」

「ああ、有難う。ま、当たり前だけどな」


そう言って陸二はにやりと笑った。

彦はというと、まるで自分の事のように大喜びし何度も文を読み返している。


「すごいな。いつからご出所なんですかね?」

「さぁな。それは後日改めて沙汰があるんだろう。そういえば、お前は?」


何気なく口に出してから、陸二はしまったと思った。彦を見れば、予想したとおりに笑顔から一転、顔を曇らせている。

その様子に陸二はふっと嘆息した。


あれ以来、彦の元には杉浦から何も連絡が無いのである。

その事に日に日に彦は不安を募らせていた。もしかしたら兄の早とちりで、何かの間違いなのではないかとすら考え始めているようだ。

初めにあった杉浦の様子からそれはありえないのだが、やはり不安は募るのだろう。陸二は安心させるように言った。


「まあ、俺が決まってからと杉浦様も仰っていたし、気長に待てばいい」

「そう、ですね」


陸二の言葉に頷いてはいるが、やはり不安そうに彦は言った。

彦はどうして自分が呼ばれたのかすら分からない事を一番気にしているようだった。それに、決まっているといわれた職務だが、その詳細も未だにはっきりとわからないでいる。

そんな、状況に流石の彦も戸惑っているようだった。

陸二の採用の文と一緒に、彦にも何かしら知らせが届くかと思われたがその文も一通しか来なかった。


さらに不安を煽る状況に落ち込んでいる彦の様子を見つつ、陸二はどうやって声をかけようかと思った。

と、その時だ。

奉行所より彦宛てに文が届いたと屋敷の女中が部屋にやってきた。

思わず、陸二と彦は目を見合わせた。

女中から文を受け取るも彦は少し緊張した面持ちで文を見ていた。


「噂をすれば何とかだなぁ」

「は、はい」

「ほら、早く開けてみろ」

「え?あっ、は、はい」


陸二に促されるも、彦は緊張したようにごくりと唾を飲み込んだ。

そして、震える手で文をゆっくりと開いたのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ