15、ホットなコーヒー
15、ホットなコーヒー
あと三カ月……
「心臓持つかな」
いちいち平良さんに反応する律儀な心臓をいたわりつつ、頭ではもう何でもないのだと思いこもうとする。
離婚以来不調だった体調も徐々に戻りつつあり、よく眠れる日もある。何かの拍子に前世を思い出しむやみに泣いたりする日もあるが、たいていの日は忘れていて笑顔で働ける。
休みの日がいけない。部屋で一人することもなくぼんやりとしていると、突如元夫が現れそうな予感がして部屋のすみで息を殺したりしている。
上階の住人は男性で1週間に一度の割合で酔っ払って帰ってきて吐いたり暴れたりしている。そんなときは睡眠を放棄して耳にイヤホンをつっこみ大音量で音楽を聞く。
安眠なんて夢のようだが寝なきゃ夢も見られない。変な矛盾に悩みながら時間をただやり過ごす。
こんな日に限って早朝勤務だし、もう一人は平良さんだったりするんだ。
「おはようございます。よろしくお願いします」
「顔ひどいね」
「いきなりですか」
「だっていきなり年取って」
「上の人が騒いでて眠れなかったんです。年取ってって失礼な」
笑って立ち去る彼を後ろから睨みつけた。
ああ、変に話しかけずに憧れとして取っておくんだった。すっかり私の中で変人と化した平良さんは、やはり上半身をゆらゆらと揺らしながら歩き去る。あの優しかった笑いも私に対してだけはにやりと笑うようになり、すっかり優しさの影も消えうせた。
と、こういう時に限ってさらに嫌なことは重なるもので……
「いらっしゃいませ」
魅力的な声が客の到来を告げる。一呼吸遅れて私も入り口に向かって声を発した。
いらっしゃいませの後半部分が当惑とともに消えていく。
例のサラリーマン氏(名前は失念)が眼光鋭く私のほうに視線を向けていた。
私は、水とメニューを手にしてサラリーマン氏のほうへ向かった。いつものようにソファ席に案内し、メニューを渡す前にホットの注文を受ける。
私は素知らぬ顔でカップとソーサーを盆にのせコーヒーを注ぐ。ふと横を見ると怪訝そうな顔の平良さんが私のほうを見ていた。
そっと首を横に振りホットコーヒーをテーブルに置いた。
「で?」
「お断りします」
丁寧にしかし毅然とした態度で断わるんだ。何日も前から考えてきた。ここで曖昧に笑って見せたりしたら、前世の二の舞だ。
そして、お辞儀をして去ろうとした。
そして、サラリーマン氏が机をたたいた。
二つの同時に起こった出来事が、その日の私の不運を象徴していた。
「いたっ」
とっさに頭を押さえて身を起こした。