出会い
お前、楽しい事ある?
よくまわりの人間から言われる言葉
楽しい事?34歳独身、バツイチの一人暮らしだぞ。
彼女もいなけりゃ毎日家と会社の往復の会社様の社畜だ。
そんな俺に楽しい事をする余裕も時間も金もない。
でも、ストレス発散というか…誰かと話したい時にだけデリヘルを呼ぶ事がある。
エッチな事がしたくないと嘘になるけど、ただ無関係な人に話しを聞いて欲しい時に呼ぶ。
その日も何かむしゃくしゃして、いつも通り呼んだだけだった。
ピンポーン。
ホテルのドアが開く。
初めて呼ぶデリヘル嬢だった。
俺は基本的に、リピートはしない。
その女は、カルナと名乗った。
もちろん本名じゃない。源氏名ってやつだ。
カルナは明るい笑顔で自己紹介をした。
これは、今までのデリヘル嬢と同じ。
自己紹介。
時間の確認。
雑談。
プレイ。
また少し雑談して、終わり。
大体いつも、この流れだ。
だからこの日も、カルナとそんな時間を過ごすだけだと思っていた。
こちらも挨拶を返す。
「はじめまして。よろしくお願いします」
いつもこれだけだ。
それから時間を確認して、雑談が始まる。
俺はいつも、愚痴を聞いてもらう。
仕事のこと。
元嫁のこと。
将来の不安。
正直、デリヘル嬢からしたら嫌な客だと思う。
だから俺は、基本的にリピートをしない。
女の子たちは、大体笑顔で聞いてくれる。
中には適当にアドバイスみたいな事を言う嬢もいた。
でも、カルナは少し違った。
最初こそ笑っていたけど、途中から何も言わなくなった。
ただ黙って、俺の目を見ながら話を聞いていた。
その目が妙に真剣で、俺は少しだけ話しづらくなった。
そして、散々愚痴を吐き終えたあと。
カルナは初めて、静かに口を開いた。
「そんなに愚痴があるって、すごいね」
一瞬、嫌味かと思った。
空気が少しだけ冷えた気がして、俺は言葉を止める。
でもカルナは、そのまま続けた。
「本気で生きてるんだね」
何を言われたのか、最初は分からなかった。
いや。
何となく意味は理解した。
でも、返事が出てこなかった。
本気で生きてる?
俺が?
たった一人の女も幸せにできず、毎日会社に使われてるだけの俺が?
そんな事、今まで誰にも言われたことがなかった。
俺が黙っていると、カルナは慌てたように笑った。
「ごめん! 変な空気にしちゃった!」
そして少し気まずそうに、
「お風呂入ろっか」
と、明るい声を出した。
──そして、80分はあっという間に過ぎた。
帰る前。
いつもなら適当に終わるだけの時間。
なのに俺は、妙な違和感を抱えたままカルナと雑談を続けていた。
すると彼女が、不意にこう言った。
「ねえ。あなたと、繋がりたい」
一瞬、戸惑った。
本番したいって意味かと思った。
……でも違った。
「あなたと繋がって、もっと話したいから。LINE教えて?」
俺は少しだけ拍子抜けしながら、スマホを差し出した。
正直、少し残念だった。
──デリヘル嬢が帰った後の俺は、いつも決まっている。
コンビニで買ったラーメンを食べながら、適当にアニメを見る。
それで眠くなったら寝る。
ただ、それだけだ。
でも、その日は違った。
カルナが帰ってから、何もする気が起きなかった。
ラーメンも食わず、テレビもつけないまま、俺はベッドに寝転がっていた。
そして気づけば、一時間近く。
LINEを開いては閉じてを繰り返していた。
カルナからLINEが来たのは、出会ってから二日後だった。
『ヤッホー! 今何してる?』
ただそれだけのLINE。
営業と言われれば、それまでだ。
でも、その時の俺は違った。
待ちに待った通知だった。
情けない話、スマホを見た瞬間、少し踊り出したくなるくらい嬉しかった。
『お疲れ様。今は別に何もしてないよ』
送ったあとで、つまらない返事をしたなと思った。
もっと面白い返しがあったんじゃないか。
もっと自然に話せたんじゃないか。
そんな事を考えながら、俺はまたLINEを開いていた。
既読。
数秒後。
『今夜、会えない?』
営業かな。
そんな不安を少し覚えながら、俺はLINEを打つ。
『いいよ。どこ集合にする? ホテル?』
──送信。
既読。
数秒後。
『違う違う!』
『話したいって言ったでしょ!』
『ご飯食べ行こう! 今日はエッチなの無し!笑』
エッチなしかよ。
少しだけ残念に思いながら、俺は笑っていた。
『了解』
そう返して、携帯の画面を暗くする。
黒くなった画面には、
不思議なくらい幸せそうに笑う、自分の顔が映っていた。
夜八時。
集合場所に着くと、カルナはもう来ていた。
「遅い!」
開口一番、カルナは頬を膨らませる。
「女の子を待たせない!」
「ご、ごめんなさい……?」
集合時間には間に合っている。
なのに何故か怒られている俺は、少しだけ困りながら笑った。
不思議と、それすら嬉しかった。
居酒屋に入ってからは、他愛もない話をたくさんした。
仕事の愚痴。
好きなアニメ。
子供の頃の話。
カルナはよく笑って、よく食べた。
気づけば、時計は終電間近を指していた。
俺は少しだけ期待しながら口を開く。
「もうすぐ終電だけど、大丈夫?」
──帰りたくない。
そんな言葉を、どこかで期待していた。
「うーん……」
カルナは少し考えるように視線を逸らして、
「今日は帰ろうかな!」
と、明るく笑った。
少しだけ期待していた自分に気づいて、俺は慌てて笑い返す。
「じゃあ送るよ」
下心を隠すように、できるだけ軽い声で言った。
「え、優しいじゃん」
「普通だろ」
そう言いながら、俺は少しだけ嬉しくなっていた。
──車を走らせてからも、会話は途切れなかった。
好きな映画。
子供の頃の話。
最近ハマってるコンビニ飯。
本当に、どうでもいい話ばかりだった。
でも不思議なくらい楽しくて、時間が過ぎるのが早かった。
そして、気づけば。
別れの時間が、少しずつ近づいていた。
カルナの家の近くのコンビニで車を止める。
俺はホットのお茶を二本買って、そのうち一本をカルナに渡した。
「ありがと」
カルナは嬉しそうに笑う。
やっぱり、家までは教えたくないらしい。
まあ、それはそうか。
俺たちは、まだそういう関係じゃない。
「今日はありがとう。楽しかった!」
コンビニの灯りの下で、カルナは明るく笑った。
「うん。俺も楽しかった。また行こう」
できるだけ自然に返したつもりだった。
「うん! またね!」
カルナはそう言って歩き出す。
でも、二、三歩進んだところで、不意に立ち止まった。
何かを思い出したみたいに振り返る。
そして、小走りで戻ってきた。
「あ、そうだ」
「今度さ、私の親友に会ってほしいんだよね」
「OK」
俺がそう返すと、カルナは安心したように笑った。
「ありがと!」
そう言って、小走りで夜道を帰っていく。
その背中が見えなくなるまで、俺はなんとなく車の中から見ていた。
──カルナの親友。
何で俺に会わせたいんだろう。
どんな人なんだろう。
色々考えながら、俺は車を走らせた。
また会える。
その嬉しさは確かにあった。
でも同時に、胸の奥には小さな引っかかりも残っていた。
何で、親友なんだ?
モヤモヤしたまま、俺は薄暗い夜道を走って帰った。
次の日。
仕事を終えてLINEを開くと、カルナからメッセージが届いていた。
『お疲れ様! 昨日はありがとね!』
『昨日の親友の話なんだけど、その子もデリヘル嬢なんだけど大丈夫?』
親友もデリヘル嬢──?
驚きながら、俺はスマホを見つめる。
でも次の瞬間、頭の中には別の妄想が浮かんでいた。
……もしかして三人でエッチな事とか?
ニヤける口元。
──いや、普通に気持ち悪いな俺。
軽く頭を振って、気持ちを切り替える。
『カルナともデリヘルで会ったんだし、問題ないよ』
下心が無いように見せたくて、わざと短文で返した。
『太一君なら、そう言ってくれると思ってた! ありがとう!』
そのLINEを見た瞬間、俺は一気にテンションが上がった。
──太一君。
初めて、本当の名前で呼ばれた。
今まではずっと、デリヘルサイトに登録しているニックネームだけだった。
たったそれだけ。
でも、その“たったそれだけ”が、信じられないくらい嬉しかった。
なのに俺は、その嬉しさをカルナに知られたくなかった。
だから、できるだけ普通を装って返す。
『いつ3人で会う?』
また、愛想のない短文だった。
しばらくして、カルナから返信が来た。
『ねぇ……何か怒ってる?』
『親友と会うの、やっぱり嫌?』
「え?」
思わず声が漏れる。
『全然嫌じゃないよ! むしろ楽しみ!』
慌ててそう返す。
すると、すぐにまた返信が来た。
『本当?』
『なんか文章が急に短くなったから、嫌なのかと思ったんだけど……』
鋭い。
下心がバレないように短文で返していたのが、完全に裏目に出ていた。
どう返そうか悩んでいると、また通知が鳴る。
『嫌ならちゃんと言ってよ?』
『私に隠し事は無しだし、太一君に嫌な思いしてほしくないから!』
──こんなの、勘違いするだろ。
俺は深呼吸して、落ち着こうとする。
そして観念して、正直に打ち込んだ。
『3人でエッチな事できるのかなって考えてた』
『それ隠したくて、短文になってました。ごめんなさい』
『今、電話できる?』
ドキッとした。
怒られるのか。
嫌われたのか。
色んな不安が頭をよぎる。
『大丈夫。です』
送信してすぐ、着信が鳴った。
プルル。
プルル。
深呼吸して、通話ボタンを押す。
「……もしもし」
すると開口一番、カルナは叫んだ。
「男ってアホなの!?」
当然のように怒られた。
「ご、ごめんなさい……」
俺はそれしか言えなかった。
「私とだけじゃ物足りないって事!?」
「もう、太一君がそんな事考える人だと思わなかった!」
それから三分くらい、カルナに怒られ続けた。
でも。
「……まあ、太一君だから許す!」
最後に、明るい声でそう言ってくれた。
その一言だけで、さっきまでの不安が全部消えた。
それからは、特別な話なんて何もしなかった。
今日あった事。
好きな食べ物。
次に観たい映画。
本当に、どうでもいい話ばかり。
でも気づけば、俺たちは三十分以上も電話していた。
しばらく雑談をしていた時だった。
カルナが、急に静かな声になる。
「……思い出した」
「親友と会ってくれる話なんだけど……」
さっきまでとは違う、少し思い詰めたような口調だった。
「うん?」
何でそんな重い言い方をするのか分からず、俺は聞き返す。
「◯◯って店の、センカって子なんだけど……」
「今度、呼んでみてくれない?」
「……え、いきなり?」
思わず聞き返した。
でもカルナは、少し不安そうに黙っている。
その空気に押されるように、俺は頷いた。
「……分かった」
──それから一ヶ月後。
結局その間も、カルナとは何度もLINEをした。
電話もした。
気づけば、カルナと話す事が日常になっていた。
だからこそ。
「そろそろセンカ呼んでほしいなー!」
なんて軽く言われると、断れなかった。
そして俺は、その日。
例の“センカ”を呼んでみる事にした。
「はじめまして!」
明るい声で挨拶したセンカを見て、俺は少し驚いた。
綺麗だった。
スタイルも良くて、雰囲気も大人っぽい。
危うく、一目惚れしそうになるくらいには。
「カルナの紹介で呼んでくれたんだよね? ありがとう!」
センカは人懐っこい笑顔でそう言った。
カルナの名前が出た瞬間、胸が少しだけざわつく。
付き合ってもいないのに、何故か“悪い事をしてる感覚”があった。
話を聞くと、センカはカルナより五つ年上らしい。
昔、同じデリヘル店で働いていて、そこから仲良くなったとの事だった。
「今でも普通に連絡取り合ってるよー」
センカは笑いながら言う。
そして──。
プレイも、凄かった。
サイトで人気嬢と書かれていた理由が、よく分かる。
気づけば、時間はあっという間に過ぎていた。
俺は、カルナの事を忘れて、センカとの時間に夢中になっていた。
プレイ時間も終わり、センカは帰っていった。
久しぶりに“綺麗な女性と楽しい時間を過ごした”満足感で、俺は妙に浮かれていた。
そのせいで。
カルナとの「終わったらLINEする」という約束を、完全に忘れていた。
家に帰った俺は、そのまま眠ってしまった。
──次の日。
休みだった俺は、昼前に目を覚ます。
何気なくスマホを見ると、カルナからLINEが届いていた。
『センカどうだった?』
『無事に帰れた?』
その瞬間、一気に目が覚めた。
──やばい。
約束、忘れてた。
俺は慌てて返信を打つ。
『おはよう! 昨日はごめん!』
『終わる時間遅くなって、そのまま寝ちゃった!』
嘘だった。
でも俺は、カルナならこれくらい許してくれると思っていた。
……いや。
怒らないと、勝手に甘えていたのかもしれない。
そして夕方。
カルナから返信が来た。
『それは別にいいんだけど』
『センカと楽しかったでしょ?』
今思えば、少し棘のある言い方だった。
でも、その時の俺は。
“センカ”という名前を見ただけで、少し浮かれていた。
『センカさん、美人で愛嬌もあってめっちゃ良かった!』
『いい人紹介してくれてありがとう!』
何も考えず、俺はそう返信してしまった。
『どういたしまして』
それだけだった。
絵文字も無い。
いつもの明るい感じも無い。
少しだけ違和感を覚えながら、俺はそのままLINEを閉じた。
──それから。
カルナから連絡は来なくなった。
最初は「忙しいのかな」くらいに思っていた。
でも、一週間。
二週間。
時間が経つにつれて、少しずつ胸の奥が落ち着かなくなる。
それなのに俺は、その気持ちから目を逸らすみたいに、何度かセンカを呼んでいた。
センカといる時間は楽しかった。
明るくて、距離感も近くて、一緒にいると気が楽だった。
時々カルナの話題も出た。
でも、センカは深く話そうとはしなかったし、俺も聞かなかった。
ただ、その時間だけは余計な事を考えなくて済む気がして。
俺は、目の前の時間に没頭していた。
それから二ヶ月くらい。
俺は、何度もセンカを呼んでいた。
ホテルに呼び、他愛もない話をする。
気づけば、それが当たり前みたいになっていた。
その間も、カルナから連絡は来なかった。
最初は気になっていたはずなのに、いつの間にか俺も連絡しなくなっていた。
少し距離が空いた。
そんな感覚だけは、ずっとあった。
それでも俺は、センカとの時間に没頭していた。
……少しだけ、カルナに悪いなと思いながら。
そしてある日。
またセンカを呼んだ時だった。
プレイが終わって、ぼんやりしていた俺に。
センカが、不意にこう言ったんだ。
「太一君。話がある」
センカは、珍しく真面目な声だった。
俺はその瞬間、勝手に期待してしまった。
──告白だ。
「私の事、どう思ってる?」
「ご飯も行った事ないし、LINEも知らないんだけど……」
センカは、少し言いづらそうに笑った。
でも、その目は真剣だった。
俺は一気に舞い上がる。
──もちろん好きだから呼んでるに決まってる。
そう言おうとした、その時だった。
『私に隠し事は無しだよ』
不意に、カルナの言葉が頭に浮かぶ。
俺は、一瞬で口を閉じた。
センカの事は好きだ。
一緒にいると楽しいし、綺麗だし、優しい。
でも。
──カルナは?
そう思った瞬間、言葉が出なくなった。
言葉に詰まっていると、センカが小さく笑った。
「太一君。気づいてる?」
「最近、カリナから連絡ないでしょ?」
その言葉で、胸が少し痛くなった。
確かに最近、俺はセンカとの時間に夢中だった。
カリナの事を、ちゃんと考えなくなっていた。
センカは静かな声で続ける。
「私もさ、デリヘル嬢である前に、一人の女だから」
「人を好きになる事だってあるんだよ?」
「それがお客さんって場合も、普通にある」
センカは少しだけ目を逸らした。
「実際、私も太一君の事、気になり始めてる」
心臓が強く鳴る。
「……でもね」
「太一君の中に、カルナがいる事も分かってる」
センカは少し寂しそうに笑った。
「親友が惚れてる男、奪いたくないしね」
俺は、何も言えなかった。
今まで。
あんなに楽しい時間をくれていたカルナの事を、俺は完全に後回しにしていた。
センカとの時間に逃げて、気づかないふりをしていた。
そんな自分が、急に情けなくなる。
長い沈黙のあと。
「……ごめん」
「ありがとう」
俺には、それしか言えなかった。
センカは少しだけ寂しそうに笑う。
ちょうど、終了時間が近づいていた。
「そっかー」
「なんか私、振られた女みたいになってるじゃん」
そう言って、センカはわざと明るく笑った。
「でも、別に告白じゃないからね!」
その笑顔が優しい分だけ、俺は余計に苦しくなった。
「ちゃんとカルナに連絡してよね?」
センカは、少し困ったように笑いながら言った。
「あと、私から言われたって言っちゃダメだからね?」
「絶対気まずくなるし」
そう言って、センカはいつもの明るい笑顔を作る。
でもその笑顔が、今は少しだけ無理しているように見えた。
「じゃ、またね」
扉が閉まる。
静かになった部屋の中で、俺はしばらく動けなかった。
センカが帰った後。
俺は、無性にカルナの声が聞きたくなった。
でも。
電話をかける勇気は無かった。
LINEを開く。
そこには、三ヶ月以上連絡を取っていない現実が残っていた。
俺たち、こんなに話してなかったのか。
そう思うと、胸が少し痛くなる。
『久しぶり。元気?』
打ち込んでみる。
でも、送信ボタンが押せない。
もっと明るくした方がいいのか。
重くない方がいいのか。
今さら連絡して、迷惑じゃないのか。
色々考えているうちに、何が正解か分からなくなった。
俺は一度スマホを伏せて、タバコに火をつける。
静かな部屋に、ライターの音だけが響いた。
煙を吐きながら。
俺は、カルナと出会った日から今までの事を、ぼんやり思い返していた。
一時間くらい。
俺は文字を打っては消してを繰り返していた。
『久しぶり』
──違う気がする。
『元気?』
──軽すぎるか?
気づけば、時計はかなり遅い時間になっていた。
「……明日にするか」
そう思った。
でも。
何故か“明日にしたらダメな気”がした。
というより。
このモヤモヤを終わらせるには、カルナと話すしかないと思った。
俺は深呼吸して、短く打ち込む。
『元気? 今まで連絡しなくてごめん』
それが、今の俺には精一杯だった。
送信。
既読がつくまでの時間が、やけに長く感じる。
──もしかしてブロックされてる?
そんな不安が頭をよぎる。
俺は、暗い部屋の中でスマホの画面を見つめ続けていた。
落ち着こうと思って、何本もタバコを吸った。
ベランダにも出た。
夜風に当たれば少しは冷静になれるかと思った。
でも、全然落ち着かなかった。
スマホばかり気になってしまう。
そんな時だった。
──既読。
その二文字を見た瞬間、身体が熱くなる。
ブロックされてなかった。
それだけで、安心して鳥肌が立った。
カルナから返信が来る。
『こっちこそ、親友に会ってとか言っときながら連絡しなくてごめん』
絵文字は無かった。
いつもの明るい感じも無い。
でも。
それでも嬉しかった。
『全然大丈夫!』
そう返そうとして、俺は手を止める。
……違う気がした。
センカと会っていた事を、カルナは多分知っている。
そんな相手に、何も無かったみたいに明るく返すのは。
何か違うと思った。
『今までごめん』
『センカさんにハマってた』
『カルナの事、忘れてた』
俺は、正直に謝ろうと思った。
別に付き合っていた訳じゃない。
カルナの事を忘れていても、責められる筋合いなんて無いのかもしれない。
でも。
それを“仕方ない”で済ませる自分が、嫌だった。
今さらかもしれない。
もう会えなくなっても仕方ない。
そう思いながら、俺は震える指で送信ボタンを押した。
……また、既読がつくまでが長い。
さっきよりも、ずっと怖かった。
『大丈夫だよ』
『センカ、絶対太一君のタイプだろうなって思ったから紹介したし』
『連絡来なくなるのも想定内だった』
カルナらしい、優しい文章だった。
でも、その優しさが逆に苦しかった。
『でも、なんで急に連絡してきたの?』
『センカも、太一君いい人って言ってたし』
『上手くいって、私とはもう連絡しないと思ってたのに』
その文章を見た瞬間、胸が痛くなった。
俺は、カルナにそんな事を思わせていた。
いや。
綺麗だから。
タイプの見た目だったから。
そんな理由で簡単に心を揺らしていた、自分自身に腹が立った。
本当に最低だと思った。
『本当にごめん』
『俺、やっぱりカルナの事が──』
そこまで打って、俺は手を止めた。
……違う。
告白するなら、ちゃんと顔を見て言いたかった。
LINEで済ませたくなかった。
俺は一度文章を消して、深呼吸する。
そして気づけば、別の言葉を打ち込んでいた。
『ごめん。遅い時間だけど今から会えないかな?』
『5分でいいから』
送信した瞬間、自分でも分かった。
──俺、めちゃくちゃ必死だ。
でも、それくらい。
カルナにちゃんと伝えたかった。
こんな気持ちになったのは、初めてだった。
『え? 今から?』
『遅い時間だし、運転大変じゃない? 大丈夫?』
『私は明日休みだから平気だけど……』
こんな遅い時間に「会いたい」なんて言ってくる非常識な俺を、カルナは怒るどころか心配してくれた。
──やっぱり好きだ。
ちゃんと伝えたい。
強く、そう思った。
『大丈夫! もう車のエンジンかけたから、今から行く!』
そう送信して、俺は車を走らせた。
胸がうるさいくらい鳴っていた。
カルナに会える嬉しさ。
振られたらどうしようって不安。
ちょうど半分ずつくらいの気持ちを抱えながら、俺は夜道を走っていた。
そんな時だった。
スマホの着信音が鳴る。
赤信号で止まり、画面を見る。
──カルナ。
心臓が跳ねた。
「やっぱり今日やめよう」とか言われるのかもしれない。
そう思った。
でも、それ以上に。
“声が聞ける”
その嬉しさの方が勝っていた。
俺は慌ててスピーカーに切り替えて電話に出る。
「も、もしもし……」
緊張で、自分でも情けない声が出た。
よく考えれば。
カルナの声を聞くのは、三ヶ月ぶりだった。
『もしもし、太一君?』
──名前呼び。
さっきLINEでも呼ばれた。
でも。
やっぱり直接呼ばれると、感情がぐちゃぐちゃになるくらい嬉しかった。
「うん。どうしたの?」
さっきまで、嬉しさと不安が半分ずつだと思っていた。
でも実際にカルナの声を聞くと、不安の方が強くなる。
『遅い時間だしさ』
『眠くなって事故とか起こしたら危ないじゃん?』
『だから、着くまで電話してあげようかなーって思ったんだけど……』
『運転中の電話って危ないし、違反だよね』
カルナは少し困ったように笑った。
俺は慌てて答える。
「スピーカーにしてるから大丈夫!」
「……俺も、声聞きたかったし」
言った瞬間、自分で恥ずかしくなった。
でも、もう誤魔化したくなかった。
『そっか!』
『なんか久しぶりに太一君の声聞くと、緊張するね』
カルナは、少し照れたみたいに笑った。
その声を聞いた瞬間。
俺は、嬉しすぎて叫びそうになった。
それから三十分くらい。
他愛もない話をしながら車を走らせる。
気づけば、以前カルナを送ったコンビニに着いていた。
「この前のコンビニ着いたけど、何かいる?」
本当は。
『家どこ?』
そう聞きたかった。
もっと近づきたかった。
でも、まだ言えなかった。
『温かいお茶!』
七月半ば。
外はかなり暑い。
「こんな時期に温かいのあるか……?」
そう思いながら、俺はコンビニの飲料コーナーへ向かった。
「温かいお茶あったよ」
俺はコンビニを出ながら、カルナに電話をかけた。
『良かった!』
『じゃあさ、家まで来れる?』
──家まで?
俺は一瞬、言葉を失った。
今まで家を教えたがらなかったカルナが、自分からそんな事を言うなんて思っていなかった。
行っていいのか。
本当に?
嬉しいのに、少し怖い。
色んな感情が一気に押し寄せる。
「……家の場所、教えて」
自分でも分かるくらい、声が少し震えていた。
カルナに道を教えてもらい、コンビニから五分ほどで着いた。
『605号室だから、そのまま入ってきてー』
電話越しのカルナの声だけで、心臓がうるさい。
車を降りる。
夏特有の蒸し暑さが身体にまとわりつく。
でも、それ以上に。
緊張で変な汗が出ていた。
俺は深呼吸して、カルナの部屋へ向かう。
──ピンポーン。
インターホンを押す。
数秒後、扉が開いた。
「お疲れ様!」
カルナが、少し照れたみたいに笑う。
明るい声。
でも、どこか少しだけ緊張しているようにも見えた。
その瞬間。
「会えた」
ただそれだけで、胸がいっぱいになる。
今すぐ抱きしめたい。
好きだって伝えたい。
そんな衝動を必死に抑えながら、俺はなんとか笑った。
「久しぶり。元気してた?」
「元気にしてたよ!」
「太一君は、センカと楽しそうにしてたみたいだけど?」
少し意地悪そうに笑いながら、カルナはそう言った。
痛いところを突かれて、俺は苦笑いしかできない。
そのままリビングへ通される。
そして俺は、思わず立ち止まった。
テーブルの上には、コーラとお茶。酒が飲めない俺の為に用意してくれたのだろうか。
そして、温かい料理が並んでいた。
「急に会いたいとか言うから、びっくりしたよ」
「でも、どうせご飯食べてないだろうなって思って」
「簡単な物だけど、作ったから食べて?」
カルナは少し照れたみたいに笑う。
「電話しながらだったから、味の保証はしないけどね!」
そう言いながら、キッチンから一皿を持ってくる。
「前に太一君、麻婆豆腐好きって言ってたでしょ?」
「だから作ってみたの」
「……食べてみて?」
カルナの手料理。
そんなものを、自分が食べられる日が来るなんて思っていなかった。
胸が熱くなる。
少し涙が出そうになりながら、俺は小さく笑った。
「ありがとう」
「いただきます」
カルナの料理は、本当に全部美味しかった。
特に麻婆豆腐。
俺が辛いの苦手なのに麻婆豆腐好きっていう、面倒な好みまで覚えていてくれたらしい。
辛さは控えめで、優しい味がした。
……なんかもう、幸せだった。
それから一時間くらい。
二人でご飯を食べながら、他愛もない話をした。
食べ終わると、カルナはエプロンを付けて食器を片付け始める。
「俺も手伝うよ」
そう言って、俺は洗い終わった食器を拭いていった。
不思議だった。
ただ一緒に台所に立ってるだけなのに、妙に落ち着く。
──もう夫婦みたいじゃん。
そんな事を本気で思ってしまうくらい、俺は浮かれていた。
そんな俺を見かねたのか。
カルナが、ふとこちらを見る。
「そういえばさ」
「楽しすぎて忘れてたけど、話って何?」
その瞬間。
俺は、自分の心臓が一気にうるさくなるのを感じた。
俺は少し考えてから、カルナに言った。
「片付け終わったらさ、コンビニ行かない?」
「食後のデザート買おうよ」
カルナは目を輝かせる。
「私もアイス食べたいって思ってたー!」
その笑顔を見るだけで、胸が苦しくなる。
二人でコンビニへ行き、アイスとデザートを買う。
そして、そのまま少し散歩しようという流れになった。
夜の川沿い。
夏特有のぬるい風が吹いている。
俺たちはアイスを食べながら、他愛もない話をして歩いた。
でも俺は、ほとんど会話が頭に入っていなかった。
ずっと考えていた。
──なんて言えばいい?
少しでも。
少しでもカッコよく伝えたい。
そんな事ばかり考えていた。
川沿いの小さな公園。
俺たちはベンチに座って、アイスを食べながら他愛もない話をしていた。
仕事の話。
最近見たテレビの話。
どうでもいいような話ばかり。
でも、その時間がたまらなく幸せだった。
気づけば、時間は0時を回っていた。
夜風が少しだけ涼しい。
俺は溶けかけたアイスを見つめながら、深呼吸する。
……これ以上、引き伸ばしても意味がない。
ちゃんと言わなきゃ。
俺は、遂に覚悟を決めた。
俺は大きく深呼吸した。
心臓が痛いくらいうるさい。
逃げたくなる。
でも、もう誤魔化したくなかった。
「カルナさん」
俺が真面目な声を出した瞬間、カルナも少し表情を変えた。
「俺、あなたの事が好きです」
「こんなダメ男だけど、あなたと幸せになりたい」
「あなたを幸せにしたい」
「付き合ってください」
──俺の中では、そう言ったつもりだった。
でも実際は違ったらしい。
後からカルナに聞いた話だと、俺は緊張しすぎて。
「俺ダメなんだけど!」
「幸せにしたいし、なりたいんだ!」
「カルナと!」
「だから俺を真っ当な漢にしてくれ!」
……って叫ぶみたいに言っていたらしい。
正直、全然覚えてない。
それくらい必死だった。
必死だった。
カッコ悪かったと思う。
多分、全然スマートじゃなかった。
でも。
今の俺に言える全部を、ちゃんと伝えた。
だからもう。
答えがYESでもNOでも、後悔しない自信があった。
夜風の音だけが聞こえる。
少しの沈黙のあと。
カルナが、涙を浮かべながら小さく笑った。
「……私で、ええの?」
時々出る関西弁。
その言い方が、胸をぎゅっと締め付ける。
「はい」
「あなたじゃなきゃ、俺はダメなんだと思う」
そう言うと。
カルナは少し俯いて、ゆっくり息を吐いた。
そして。
「……正直に言うね」
そう言って、静かに話し始めた。
「正直に言うとね」
「最初、全然タイプじゃなかった」
カルナは涙目のまま笑った。
「太ってるし」
「大食いやし」
「変態やし」
「女の子には誰にでも優しそうだったし」
──悪口か?
そう思ったけど、俺は黙って続きを待った。
カルナは少しだけ照れながら、続ける。
「でもね」
「一緒にご飯食べたり」
「遊んだり」
「買い物したり……」
「そういう時間を過ごしてるうちに」
「気づいたの」
カルナは、真っ直ぐ俺を見る。
「太一君といると、幸せだって」
胸が熱くなる。
そしてカルナは、少し涙を零しながら。
今までで一番大きな声で言った。
「だから……私も!」
「太一と一緒に幸せになりたいです!!」
夜の公園中に響くんじゃないかってくらい、大きな声で叫んでた。
いや。
──言ってくれたんだ。
こうして。
35歳、バツイチ。
恋愛下手な俺は。
デリヘル嬢という、世間的にはきっと簡単には受け入れられない相手と付き合える事になった。
これから、周りの人から嫌味だったり馬鹿にされたりするかもしれない。
それでも。
一緒にご飯を食べて。
他愛もない話をして。
それだけで「幸せだ」と思える相手に、俺はやっと出会えた。
カルナを待たせてしまった時間。
もう戻らない時間。
その全部をちゃんと胸に刻みながら。
これからは、二人で幸せになっていきたい。
俺は、強くそう思った。




