復讐の命題③
リインが魔女になったのは今からおよそ100年前のこと。当時17歳の彼女は普通の女学生であったらしい。
ボクの感覚で言うとリインは比較的若い魔女だ。ボクは1000とちょっとくらいの年齢だからね。
さて。リインが魔女になった時だが、公平の聞いたところによると異変が起こったのは昼過ぎのことだったらしい。
お昼ご飯を食べ終えて友だちと談笑をしていた時、突然太陽の光が遮られたみたいに外が暗くなったのだそうだ。
とはいえその程度はないことではない。そんな予兆はなかったけれど、何かの異常気象で急に雨雲がかかったのかもしれない。特に気にも留めなかったリインであるが、次に起きた現象で異変に気付いた。
「雷みたいに大きな声が聞こえたんだって」
「その声っていうのが……」
「うん。エックスの声だってさ」
楽しげな声で、そいつはボクの名前を名乗り、今からリインの住んでいる街の人間を蹂躙することを宣言したのだそうだ。
……頭が痛い。
「しかもその魔女ボクと同じ顔なんだろ?どうせ」
「残念ながらそうらしい」
「ボクの顔した魔女がボクと同じ名前名乗ったらそれただのボクじゃないか……。もぉ……。それでその後は?」
「いやそれがさ……」
公平が言うにはリインはその後のことについては詳しく話してくれなかったのだそうだ。
考えてもみれば無理もない話だ。思い出したくもない過去であることは容易に想像できる。
「でも大雑把には教えてくれたよ」
……本当にいいやつだな。ボクはリインに感心した。嫌だって言っているのにしつこくあれこれ聞いてくる人間が目の前にいたら、ボクだったら「踏み潰すぞー」とか「食べちゃうぞー」とかまあまあ脅かして帰すくらいはしそうだ。見習わないと。
とにかく公平がリインから聞けたその後の話を纏めると次のようになる。
①エックスの最初の攻撃を運よく生き延びたリインは魔女に覚醒した。
②リインの抵抗も空しく、エックスは彼女の星を破壊した。
③その後エックスはついでに太陽を蹴り飛ばした。
④満足したエックスは上機嫌にどこかへ去っていった。
⑤復讐を誓って100年修行したリインは、一週間前に遂に全能の力に辿り着いたので、エックスを倒しに来た。
「ふうむ……」
机から身体を起こして、口元に手を当てて考える。
「色々見えてきたことはあるね」
「えっ。まじで。俺何も分かんなかったけど……」
素直な奴。ボクはくすっと笑って、公平に説明する。
「まず一つ。リインが恨んでいる『エックス』はボクと同じくらい魔女だということ。そいつ太陽を蹴り飛ばしたんだろ?」
「あっ。そっか」
普通の魔女は100mそこらの身長である。そんな大きさでは太陽を蹴るのは流石に無理だ。つまりリインの話が本当なら、その『エックス』は太陽を蹴ることが出来るくらいに巨大化したということになる。
ところがモノの大きさを変える魔法は簡単じゃあない。今回のケースのような宇宙規模のスケールにまで巨大化するとなると、ボクくらいの魔法使いでないと不可能だ。つまりは魔法でだいたい何でもできる全能性を持った魔女である。
「他に分かることって言うと……」
「もう一つはその話が本当なら、時系列がおかしいってこと。リインは今から100年前に襲われたんだろう?」
ボクが全能性を手に入れたのはここ数年間のこと。つまりリインを襲った魔女はそれ以前に全能の力を得たことになる。
ところが最初に発生した全能の魔女はボクだ。それより前には存在していない。ボクの名前を騙るボクと同じ顔の魔女が全能性を有しているのであれば、矛盾が生じる。
「勿論未来のボクだったり、ボクと匹敵する魔女が過去に戻って滅茶苦茶やってるって可能性はあるけど、だとしたらボクが何も違和感を抱くことなく時間が進んでいるのは変だ」
過去改変の影響をボクは受けない。だから過去を変えて何かが起こったら、ボクはその事実に気付いて、対処することが出来る。以前の事件で経験済みだ。
……ってなると困ったことになる。背理法で考えれば矛盾が発生した場合は仮定が誤っていることになる。この場合の仮定はリインが教えてくれたエピソードだ。
「いやでも。あの子の口ぶりは嘘ついているようには聞こえなかったけどなあ」
「だろうねえ」
暫くボクらは考えた。きっとどこかに誤りがある。前提。仮定。或いはそれ以外の何処か。
矛盾を解消したい。リインが経験した本当のことをボクは知りたかった。もしかしたら助けてあげられるかもしれない。力になってあげることができるかもしれないのだ。
けれどボクたちは思いのほか無力で。三十分経っても何か実のある答えを出すことが出来なかったので、考察を中断した。三十分頑張っても何ともならない事象は大体どうにもならないことである。
なのでボクたちは目的のない雑談をすることにした。
近所のパン屋さんの新作のパンが美味しいこと。授業で勉強した面白い数学の話。インターネット回線の契約を促す電話が鬱陶しいので何か対策を考えていること。
ボクたちには話したいことが沢山あった。「ああそうだ」とボクはその中の一つを思い出す。
「……あの数式って誰が考えたの」
「数式?ああ。アルバのやつか」
「そう。そのアルバって誰?」
「イタリアの留学生だよ」
--------------〇--------------
余談だが。公平はちょっと変わった趣味を持っている。もう単位を取る必要はないのに、興味のある教養授業を履修して、授業を受けるというというものだ。
そのアルバ君とも教養の授業で出会ったらしい。哲学に関する講義をする授業だったそうだ。
「あいつ数学科でさ。哲学の授業中ノートにがりがり数式書いてたのが気になったから声をかけて……意気投合したんだ。たまに昼飯一緒に食ったりしてる」
「そのアルバ君があの式を考えたの?」
「うん。授業で世界五分前仮説を聞いて……『この仮説は知っているけど気に食わない』とか言って。ロックなやつだろ」
「ロックだねえ」
ロックであるとはどういう意味かいまいちピンときていないけれど、取り敢えずボクは同意する。
「それで?あの思考実験の何が気に食わないって?」
「五分より前にあった感動とか喜びとか、悲しいこととかが全部そういうものとして作られただけの情報……嘘だって考え方がさみしかったらしい」
「……へえ」
だからこんな数式を書いたのか。ボクは頭の中で、アルバくんなるイタリアからの留学生が考えた式を思い出す。
V:={W:ℝ→ℂ;∃tw∈ℝ for ∀W , st if t≧tw⇒W(t)∈ℝ and t<tw⇒W(t)∈ℂ/ℝ}
ある瞬間を境に現実世界へ顔を出す虚数空間上の世界。
仮にこれが本当に世界五分前仮説のモデルであるならば、五分前よりもっと前に関する記憶はただの情報ではない。現実の世界では嘘……虚構のことなのかもしれないけれど、虚構の世界では本当にあったことなのだと主張している。
アルバくんの気持ちが、少しだけ分かった気がする。
これは世界五分前仮説の思考実験に対する答えではない。こういうものであると証明する式ではない。けれどこの式は、とても優しいものに思えた。
「……人に言ったら笑われそうな考えだね。でも、ボクは好きだな」
「俺もあの式は結構気に入っている。だからエックスに教えたんだ」
「そっか。ふふっ。面白いものを教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。まあ、つってもエックスが言った通り突飛な考え方だけど」
「そこは否定しないね。そりゃあそうだ。何考えてたら嘘の情報が実は虚数空間上で本当にあったことって──」
嘘。偽。矛盾。
思わずボクは「あっ」と声に出していた。思考は変なところで繋がるものなのだと、感心する。
公平が怪訝な表情でボクを見上げる。
「どうかした?」
「リインってもしかして……」
「……あーっ!」
世界五分前仮説。あれと同じ経緯で生まれた世界があることをボクは知っている。
リインの世界もそうなのではないか。
ボクの名前を騙る、ボクと同じ姿をした魔女がリインの住んでいた星を壊して、どこかへ去って行った後として生まれた世界。リインがボクへの恨みや怒りの果てに、全能の力を手に入れた後に生まれた世界。
全部『そういうことがあった』という偽りの記憶を持って生まれただけの世界。
それがリインの世界。
だとすると。自ずとボクが抱いていた疑問の答えも導ける。
「ねえ公平。リインは、自分の星を取り戻せたのかな。あの子はだいたいのことは何でもできる魔女のはずだ。過去に戻って。破壊をなかったことにしてって」
「……一応聞いてみたけど、それは教えてくれなかった。すごい顔してたよ」
「そっか」
それはもう答えだ。
あの子は自分の星を取り戻せなかったのだ。
本当にあの子の世界がある時刻にそれ以前の過去を情報として持っている状態で発生した世界なのだとしたら、取り戻せるわけがない。
リインの星は、現実には存在しないのだから。
だから、あの子は救済の代わりに復讐を選んだ。それ以外の選択肢は、きっとリインにはなかったのだろう。
「……リインが生まれた世界を探してみる」
そこに意味はないかもしれない。けれど、彼女のことを知るためには、それをするのが一番いいことをボクは分かっていた。
--------------〇--------------
世界の概念を語るには小さいものから考えていくのがよい。
まず人がいる。
人は惑星に住んでいる。
惑星は恒星の周りを回っていて、恒星系を構築する。
恒星系の集まりは銀河で。
銀河たちは寄り添い合って銀河団を形成し。
それらの集まりは超銀河団と呼ばれ。
そういった集いが浮かんでいるのが宇宙であり。
宇宙の外側には次の領域があって。
さらにそれを内包する空間があり。
そこから更に幾つか上の領域を、魔女たちは世界と定義した。
ある世界をモデルにして、それを参考により良い世界を構成しようとする営み、或いはその結果生じた世界の集まりは連鎖と呼ばれる。
連鎖の仕組みのおかげで世界と世界はある程度同じ歴史を持っている。ある段階まで無事に発展した世界はよいものであり、その模倣として新しい世界が作られるからだ。
さて。魔女が世界を観測する魔法はこの仕組みを利用している。
特殊な水晶を覗き込むことで、自分たちの住んでいる星とある年代まで同じ歴史を歩んだ、別世界の似ている星を観測できるのだ。
「リインは魔女だし。ボクたちと同じ人間の姿をしているし。きっと『水晶』で探すことが出来ると思うんだよねー」
ボクは魔法で作った水晶を撫でて、「よろしく頼むよ」と呟く。
「同じ形って大きさが全然違うじゃないか」
「分かってないなあ。本当に数学科?大きさなんて関係ないの。連続変形すれば同じスケールになるんだし。それに相似関係って覚えている?あれは同値関係だからね。形が同じなら同一視できるんだよ」
「え。相似って同値なの」
「おい数学科……。まあいいや」
ボクの水晶は特別製。どの魔女よりも遠くを見ることが出来るし過去を覗くことも出来る。
「しかしエックスがそういう魔法使うの珍しいな」
「ホントはこんなの要らないからね。連鎖より大きくなって直接見ればいいんだから。でも今回はリインを挑発しそうだから水晶を使ってるだけさ」
「あはは……なるほど」
「なんで引いてるんだよ。……さあてやるかな。あっ。公平。ここからは大分時間かかるから、休んでていいよ。今日はありがとうね」
「うん。そっか自由時間か……」
公平は呟くと、水晶に手を翳すボクの腕から、肩に登って来る。
「わっ。公平どうしたのさ。休んでいていいって……」
「ここから先はエックスの方が疲れるだろ?俺は平気だし……マッサージでもしようかなって」
「……そう?じゃあお願いしようかな。作業が終わるまで」
「そりゃあ大変だ」
公平が苦笑いしながら、ボクの肩をマッサージしてくれる。意味があるかと聞かれれば、あまり意味はない。だってボクはこの程度の単純作業では疲れないからだ。疲労が溜まることがあるとすれば、ボクと同じ強さの魔女と戦った後くらいだろう。
けれど意味がなくても、公平の気遣いが嬉しくて、ボクの口元は不思議と緩んでしまうのだった。
「ところでさ」
「ん?なあに?」
「リインの話が本当なら、リインの星ってそもそもないんだろ?」
「……あっ」
「どうやって探すの?」
「……」
水晶を見つめる。久しぶりの活躍に喜んでいるのか、きらりと輝いたように見えた。少しの罪悪感を覚える。公平の言う通りで確かにこの子使えないじゃん。
いっそ連鎖のスケールにまで巨大化してリインの世界を探しに行こうか。
そう思ったけれど、水晶のけなげな輝きがそれを拒む。
「……エックス?」
「ば、ばかだなあ公平は!そんなの当然だろ!ちゃんとやり方があるに決まってるじゃないか!」
「あっ、そうなの?」
「そうそう。ほらこうやって水晶を二個用意して。一個は……一週間くらい前の『魔法の連鎖』を映すことにして」
「それで?」
「そしてこう……二つの水晶を魔法で比較させて……。この一週間の間に生まれた世界をピックアップして、後は全部を総当たりで水晶に探させればそのうちリインのいる世界が見つかるはず……」
「さっき言ってたやり方と違う……」
「いいの!これでいいの!」
「比較する過去って一週間前でいいのか?もしかしたらリインの世界自体はもっと前……例えば一年前に発生していたかも……」
「それなら1週間後をチェックした後に1年前まで遡ってチェックすればいいでしょ!とにかくボクは最初からこうするつもりだったの!」