復讐の命題②
「何を聞いたらいいのかな」
出かける前に公平はボクに相談をしてきた。
公平はボクのことを信じてくれている。あの魔女が自分を傷つけることはないのだと、自分に言い聞かせて、彼女と話をしに南の離島に行ってくれる。それがボクには嬉しくて、だけど少しだけ怖い気持ちもあった。
もしもボクの読みが外れて、公平が襲われたら。
そんな想像はどうしても頭を離れてくれない。けど、これはやらなくてはならないこと。いざとなれば助けに行くまでだ。
今は少しでもあの魔女のことが知りたい。まずは……。
「まずは名前かな。『あの子』とか『あの魔女』とか言う呼び方じゃあ、ちょっと面倒だし」
「ははは。確かにそうだ」
「あとは……結局教えてくれなかったしさ。地雷な気もするけど、聞けそうだったらボクが何をしたのかも聞いてほしい」
「はいはい」
スマートフォンでメモを取る公平に、ボクは矢継ぎ早に聞いてほしいことを伝える。
年齢は?目的は?ボクをやっつけた後は何をするつもりなのか?帰る場所はあるのか?もしもボクを倒したならば、その後『魔法の連鎖』を任せてもいいか?
「おいおいおい。最後の縁起でもないぞ。そんなの聞かないからな」
「えー……大事なことなのになあ」
「最終的にあの魔女と仲良くなりたいんだろ。殺されること考えてどうすんだ」
「まあそうだけど……」
「こんなもんでいいかな。じゃあ行って……」
「あっ。ちょっと待って。最後に一個」
「ん?」
彼女はボクと同じ全能性を有している。復讐より優先しているはずのコトはなかったのか。
何かを壊されたのならば修繕できる。誰かを殺されたのであれば、その最期をなかったことにだってできる。その気になれば。ボクは、やらないけど。
「あの子はそれをやったのか。その結果どうなったのか。聞いておきたいな」
「いや……普通に考えたら、それは助けたんじゃないかな。復讐するより先に失くしたものを取り戻すだろ。それはそれとして犯人のコトがムカつくから殺しに来た……みたいな」
「まあおまけみたいな話さ。教えてくれそうだったら聞いてみてほしい」
デリケートな話題だから、もしかしたら教えてくれないかもしれない。けれどボクは出来れば確かめておきたかった。あの子が大切なものを取り戻せたことを。
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「ああ。そう言えば」
「うん」
「もう一つ可能性があったね」
「可能性?」
「遠い未来のキミがおかしくなって、過去に時間移動して、あの魔女の恨みを買う何かをしでかした」
困ったことをキサナドゥは言い出した。何が困るって絶対にないとは言い切れないことだ。未来のことは分からないのだから。そういうこともあるかもしれない。
「いや。冗談のつもりなんだけど」
「実際やろうと思えば出来ちゃうだろうからなあ」
「まあ、ね」
「お互い笑えないジョークを言うのは得意だね」
「同一人物だからなあ」
溶けかけたアイスクリームにキサナドゥは手を翳すと、最初の堅くて丸い状態に回帰した。冷気で凍らせたのではなく、局所的な時間の巻き戻しである。
因果律を破ることくらいボクたちは出来る。出来るのでさっきからボクも店員さんに頼むことなく、飲み干したコーヒーを時間操作で補充して、おかわりをしていた。多分バレたら怒られる。
スケールの小さな話ではこの程度の悪戯だけど。もっと大きなこともできる。例えば過去に行って世界をめちゃくちゃにするってことも。
そういうことを考えて。そういうことをしている自分の末路を想像して。そしてボクは一つの答えを出す。
「やっぱり、多分ないな。わざわざ過去に行って世界を滅ぼすとか意味ないし。敢えて過去に行くならまずこの世界を壊しているはずだし」
今、こうして穏やかな時間が流れていることは矛盾だ。だから前提が間違っている。ボクはきっと、そういう風にはならないで済むのだろう。
キサナドゥもそれに納得して、『そうか』と答えた。
「……だとしたら。あの魔女は一体誰を恨んでいるんだよ?」
「ボクでもないしキミでもない。だけどあの子はボクを恨んでいる。もうわけわかんない」
「迷惑な話だ」
「ホント」
ボクにとってはキミも十分迷惑な存在なんだけれど、それについては黙っておくことにする。
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キサナドゥは別れたボクは考えを整理したくて少し散歩をすることにした。……ファミレスに来るときも思ったけれど、道行く人がボクを見て、何やらひそひそしている気がする。しっかりボクという魔女のイメージは悪くなったみたいだ。悲しい。
気にしないフリをしてただ歩く。歩いていると色々な考えが浮かんでくる。
あの魔女の恨みは本物なのだろう。あの憎悪も憤怒も本物であることをボクは感じ取っていた。
だけど、彼女の悲しみを理解できたと言っても、それで殺されてあげるわけにはいかない。彼女にとっては本当のことでも、ボクには身に覚えのない冤罪だ。
「そもそも……あの子の恨みが本物なら、恨みを買った真犯人は誰なんだ……?」
姿が見えてこない。姿かたちはボク。だけれどボクでもキサナドゥでもない存在。
ドッペルゲンガーとかいう単語が思い浮かんだ。頭を振って振り払う。それは作り物だ。夢とか幻、虚構の存在だ。今は現実の話をしているのに……。
「虚構……。虚ろ……」
歩いていると頭の回転がよくなって、考えが纏まりやすくなる気がする。
「虚数……。あ……。そう言えば」
けどそれは今立ち向かっている難問に対する答えを導くことができるとは限らない。今回ボクに閃きが下りてきたのは、あの魔女についてではなくて、昨日のお昼に公平が見せてくれた数式についてだった。
V:={W:ℝ→ℂ;∃tw∈ℝ for ∀W , st if t≧tw⇒W(t)∈ℝ and t<tw⇒W(t)∈ℂ/ℝ}
Vは関数の集合。
Vに属する関数Wには全てある時が存在する。
その時が来るまでWは実数の世界には決して現れない。
その時が来て以降Wは虚数の世界には決して戻ることはない。
実数の世界は現実の世界。つまりはボクたちが生きているこの世界。
一方で虚数の世界は現実ではない。虚ろな世界。夢や幻の世界。或いは、まだ現実の世界に生れ落ちる前の、情報としてだけ存在する世界。
「なあんだ」とボクは呟いた。
タイミングよく電話が鳴る。公平からだった。
通話を開始すると、『よお』と彼の声がする。元気そうな声だ。
時間を考えるに既に公平はあの魔女に会っているはずだ。思った通り怪我一つなく帰ってこられそうで、分かってはいたけれど安心する。
「色々聞きたいけど、先に教えて?」
「え?」
「昨日見せてくれた数式あるじゃない?」
「おん」
「あれ、よくある思考実験だとさ。現在の時刻tが0なら、実数空間──現実の世界に顔を出す時刻twは-5とかになるのかな?」
「ああ、分かった?」
電話口で公平が笑っていた。どうやら正解だったみたいだ。あれは、世界五分前仮説に対する一つの解釈を数式にしたものだ。
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自宅で合流した公平をテーブルの上に乗せる。机に突っ伏して彼に顔を近付けて、話を聞きやすい状態にする。公平は小さいので大事な話を聞くときはこうしている……ということにしているけれど、実際は魔女の耳は地獄耳なので普通にしていても彼の声を聞くことが出来る。こうしているのは結局のところ、公平の顔がよく見られて嬉しいというボクの個人的理由だったりする。
公平が教えてもらったところによれば、あの魔女はリインという名前らしい。
「『私は、お前を殺す者。名乗る名前はそれだけでいい』とか言ってたくせにちゃんと名前あるんじゃないか」
「いやそれは俺も思ったけどさ」
「しかも公平には名乗るのかい」
「いやあ話聞いてみたらお前とんでもないことやってることになってるよ。そりゃあ口もききたくないよなあってくらい」
「……ほお」
公平の頭の中でボクが本当にその犯人ということになっていないか若干の不安はあったが、取り敢えず彼の話を聞いてみることにする。リインに一体何があってボクを目の敵にしているのか。