復讐の命題①
公平と一緒に帰ってきたボクは、最初に一緒にお風呂に入った。服が血で汚れてしまったし、着替えたかった。
お風呂から上がって部屋着に着替えたボクはリビングの椅子に座る。右手は公平を包み込んで、左手はそっと右肩を撫でた。
その命、今は預けておくわ。
名前も知らないその魔女は、イカニモなセリフを残して去って行った。
ボクとしては助かる。正直、あの子とは戦いたくない。
もう傷はないけれど、彼女から突き付けられた剥き出しの憎しみが、まだここに突き刺さっているような気がする。
あの子と戦いたくない理由は大きく三つあるけれど、そのうち二つ目の理由はボクに向けられたあの憎悪だった。彼女の憎しみはあまりにも強くて、怖かったのだ。
……『怖かった』だなんて公平には絶対に言えないな。
「……あの魔女、まだこの世界にいる。……また襲ってくるかもな」
「そうか。やっぱりまだいるんだね」
ボクには分からない。あの子の力の気配を、ボクは何も感じ取ることが出来ない。それも何だか不思議で、気持ちが悪かった。
『お前に私を追いかけさせはしない。追いかけるのは私だけ』
あの魔女がそう言っているような気がした。
復讐者の意思を感じる未知の現象。ボクに対してのみ働く完全な雲隠れ。
けれど、ただの意思でボクの探査能力から逃げ出せるわけがない。自慢じゃないけど、ボクは大体のことは何でもできるすごい魔女なのだ。
つまり……。ボクは右手で公平を撫でながら尋ねてみる。
「ねえ公平。率直に言ってほしいんだけど。あの子は、どれくらいの強さだと思う?」
「……エックス並みの力だよ。俺たちだってまだあの魔女の射程から逃げられてない。いつでも攻撃できる、と思う」
「やっぱりそうかあ……」
まあ、それ以外はあり得ないんだけどね。
ボクに勝る魔法が使える魔女であるなら、ボクと同じだけの力を持った魔女に決まっているんだ。薄々だけど分かっていた。
彼女と戦いたくない理由の三つ目。ボクたちクラスの魔女が本気で戦ったらろくなことにならない。戦いの余波で世界が危ない。
そして、これまでの二つの理由よりももっと優先している理由がボクにはある。それが一つ目の理由。それさえなければ、巨大な憎しみだろうと全能の魔女だろうと戦うさ。
けど困ったことに、あの子はボク以外を傷つける気はない。人間も世界も巻き込むつもりのない。
要するに、あの魔女はいいやつなんだ。
その気があるならもっと効率的な戦い方をしている。公平を狙ったりとか街を狙ったりとか。或いはボクが本気を出し切っていないうちに、世界崩壊級の攻撃を仕掛けるのもあり得る。
でも彼女はそういうことはしなかった。あくまでもボクだけを追い詰めて、公平が割り込んで来たら戦いをやめた。
そういう性格を、ボクは嫌いになれない。多分だけど、ボクたちは気が合う魔女同士なんじゃないかなって思うんだよね。
それがあの子と戦いたくない、一番の理由。
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「命を狙われているくせに人間のサイズで出歩くとか信じられないな」
「……むしろこっちの方が安全なんだ。あの魔女は人間を巻き込む気はないみたいだから」
「それは……この世界の人間を盾にしてるってこと?我ながらとんでもない魔女だね……」
「悪く言えばそうなるけどそれはちょっと悪く言いすぎ!」
茶髪に緋色の目をした──ボクとよく似た少女は、ボクの目の前で、鮮やかな緑色をしたメロンジュースをストローで吸う。
……子どもの身体になると味覚というか趣味趣向まで子どもっぽくなるのだろうか?ファミレスに呼びつけたのはいいけれど、まさかこんな玩具みたいな飲み物を頼むとは思っていなかった。
彼女の名前はキサナドゥ。今の世界とは別の時間軸に於けるボク。同一人物が二人いるとややこしいので、彼女には子どもの姿になってもらっている。
一緒に注文したチョコレートパフェを、キサナドゥは黙々と食べている。目は子どものそれだというのに、食べ方は衣服を汚さないようにと丁寧であって、それが少しだけ歪に見えた。
「ん?食べたいの?食べたいなら注文すれば?」
「どうせボクのお金だろっ。ボクはコーヒーだけでいいし……」
「強がっちゃって。同じボクじゃないか。味覚は大体同じはずだけれど?」
「……コーヒーだけでいいの」
「ああそう」
あー美味しい美味しいなんて言いながらキサナドゥは見せつけるみたいにパフェとメロンジュースを堪能している。
……興味がないと言ったらウソになる。ただボクは曲がりなりにもこの幼女の保護者的ポジションでこのお店にいる。となればあんなお子さまじみたものを頼むのは、ちょっと、かっこ悪い。ボクは優雅にコーヒーだけを飲むのだ。
「……いやそうじゃないそうじゃない。その『同じボク』ってところで、聞きたいことがあるんだけれど」
「ああ。例のあの魔女のこと?」
「そう!そうなんだよ!」
思うに。彼女の復讐の相手はキサナドゥなのではないか。
キサナドゥは本来、ボクと同じ『エックス』である。とある魔法使いが起こした時間改変の事件によって生じた、別の時間軸に存在した『エックス』だ。
事件の解決に伴って、その時間軸は消失したけれど、全能の魔女であるキサナドゥだけは巻き込まれずに残ってしまって、今はこちらの世界に居ついている。
ボクと彼女の共通点は三つ。見た目と魔法使いとしての力と魔女になるまでの経緯。
一方でボクと彼女とを決定的に分ける点は一つだけ。彼女が人間を害する魔女である事。
今彼女が暴れることがないのは人間に絆されたからではない。ボクと戦う事になるからだ。勝つにしろ負けるにしろただでは済まないから、下手なタイミングで手を出してこない。あくまでも一時休戦というわけである。
「あの子はキミを追いかけて来たんじゃないのか?ボクらに匹敵する魔女なら時間改変にも耐えられるだろう。キミの時間が消失した時、そのままこっちに……」
「……ああ。それはあるかも。両手じゃあ数えきれないくらいには世界を滅ぼしてきたからね。多少の恨みは買っていると思うよ」
「やっぱり……!」
「ただ。そうなるとちょっと順番がおかしいんだよな」
キサナドゥは子どもの顔で子どもっぽくないアンニュイな表情をした。
因果が彼女にあるのであれば、謎は簡単に解ける。けれど多分そうじゃないんだろうなと、ボクは彼女を見つめながら思う。
「……まず。ボクはあんな魔女を認識したことがない。テレビのニュースを見て、初めて彼女の存在を認知した」
「だろうね。ボクも認識できなかったんだから当然だ」
「こっちの時間に来る前からだ。ちょっとおかしいよね」
「……?それが?」
「今、ボクたちが認識できないのは百歩譲って分かる。けれど全能に至った瞬間の彼女の存在まで探知できなかったのは、ちょっと解せない」
「……それは。例えばボクたちより先にあの子が、そうなったとか」
「そんなワケあるかい。だったら彼女が先に全能の魔女になった時にボクは殺されているはずだ」
「まあそりゃあそうだ」
全能の魔女とそれ以外の生き物とでは天地ほどの差がある。生きている世界そのものの生殺与奪権を指先に摘ままれているような状態だ。
その気になれば指先をすり合わせるだけで、簡単に復讐は達成される。勿論、彼女はそういうことはしないのだろうけれど。それでも正々堂々キサナドゥの前に出てきて、正々堂々彼女を倒したはずだ。
「……ってことはキミじゃないってことだ」
「そういうことになるね。あてが外れて残念でした」
「……いや。十分だ。キミじゃなくてよかったくらいだよ」
「というと?」
「いや犯人がキミなら、キミをアイツに差し出して見逃してもらおうかなーって思ってたからさ。そういうことをしなくて済んでよかったなって」
キサナドゥは無言でボクをじっと見つめながら、パフェに乗ったバニラのアイスクリームをぱくりと、食べる。
「あ、いや。冗談だよ冗談……」
「……で?ボクが犯人じゃあないと分かった今、次の一手は考えてあるのか?今はキミが目立っているからいいけど、ボクもアイツの復讐の対象になり得る可能性があるしね。キミが排除してくれるならそれに越したことはないんだけど」
「まあ一応ね」
「ふうん」
どんな手を仕掛けているのか、まではキサナドゥは聞いてこなかった。そこについてはきっと彼女も興味がないのだろう。手を打ってあるということが大事なのだ。
本当はキサナドゥではなくてあの魔女と話をしたい。でもそれは、多分今のボクじゃあ無理だ。
だから公平に任せることにした。ボクの味方であっても人間であるというだけで攻撃を躊躇ったあの魔女は、少なくとも公平に危害を加えることはないはずだから。