魔女の定義①
魔女。
魔法が使える巨人のこと。平均身長は100m前後。並外れた身体能力と巨大な破壊力を持つ魔法を自由に扱える存在。かなりの割合で人間を虐めることが好きだったりする。ある意味では人類の天敵と言ってもいい存在。
何を隠そうボクも魔女だ。自慢じゃないけれど魔法で大体のことは出来る。人間を揶揄うのは好きだけど虐めることは基本的にはしない。ボクが虐める人間は一人だけだ。
さて、そんなボクが今、何をしているのかというと。
「♪~」
鼻唄を歌いながらヤキソバを焼いている。公平──ボクの旦那様。夫。配偶者。色んな呼び方はあるけれどそういう関係性のヒトと一緒に食べるお昼ご飯である。
ちなみにボクが例外的に、日常的に虐めている人間は公平である。公平とボクとは婚姻関係を結んでいる……つもりでいる。ボクは戸籍を持っていないので法的な結婚が出来ない。いずれは解決するつもりだが、今は精神的夫婦ということで落ち着いている。
公平との馴れ初めは話せば長くなるのだけれど、長くなるのでここでは割愛。大雑把に言うと異世界からやってきたボクはなんやかんやあって公平と惹かれあい、今の関係に至ったということである。
「よおしできたっ」
お皿にヤキソバを取り分けて。
「いやあ悪いねえ公平。簡単なゴハンで」
一つは人間サイズにまで縮めて、魔法で公平の元へ運んでやって。
「ちょっと料理作るの面倒でさ」
そして自分の分は自分で持っていく。
細かいことで魔法を使うのは嫌いだった。自力で簡単に出来ることは自力でやりたい。
リビングまでの途中にある棚の上、先日公平と行った映画館で買った怪獣のバキラのぬいぐるみがボクたちを見守っている。割と面白い映画で、バキラのことが気に入ったので、その場のテンションで買ってしまったのだ。今にして思えば必要のない買い物であった気がしないでもない。
『面倒』などと言いつつ、ボクがヤキソバを焼いたのは手を抜きたかったからではなくて、単にヤキソバを食べたかったからだ。
別に恥ずかしがることではないのだけれど、このソース味のシンプルな食べ物をこよなく愛していることをあまり知られたくはない。
好きなものは思うがまま好きだと言えばいいって分かっているのにね。
「いいよいいよ。俺エックスのヤキソバ好きだし」
「えっ?そう?いやあ、照れるなあ」
取り敢えずボクの毎日はこんな感じ。
身体の大きさはあるけれど、それでも公平と一緒に暮らしていて、妻として家事をやっている。後は公平と遊んだり公平で遊んだり。
公平と遊んでいると時々思うことがある。コイツボクのことを妻であると同時に滅茶苦茶デカいネコと認識しているのではないかと。頭を撫でられている時に特にそう思う。まあボクの方も公平のことを夫であると同時にとてもいい声で鳴る玩具と認識している節があるのでお相子である。
それ以外には魔女友達と女子会やったり、外宇宙なり異世界からやってくる敵と戦ったりもしている。
このように大したトラブルもなく平穏な毎日を、ボクは結構楽しく暮らしているのである。
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ボクと公平が住んでいる家はK市を流れるS川沿いにある。S川を山の方へと歩いていき、大きな交差点で左に曲がると公平の通う大学があり、真っすぐに進むとボクの行きつけであるスーパー小枝がある。右に曲がってまっすぐ進むと川に落ちる。
ちなみにボクの家から一番近いスーパーマーケットはスーパー小枝ではない。歩いて五分くらいのところにジェネスという県内チェーン店のお店がある。ただボクはジェネスには行かない。こちらよりスーパー小枝の方がいいお店であると信じているからだ。
第一歩いて行ったら……なんて距離を考えるのはボクにとってはナンセンスだ。魔女の大きさ身長100mに戻れば、スーパー小枝だって徒歩五分圏内である。
ちなみにスーパー小枝とジェネスの間にはイオンが建っていた。ボクではないとある魔女によって物理的に潰されてしまい営業できなくなっていたのだが、一昨年くらいから再建の計画が立ち上がっていて、今年中には営業再開の運びらしい。
「でもさあ。あそこ人が沢山亡くなってるじゃない?ちょっと立地的にどうかなとは思うよね」
スーパー小枝の店長さんの意見である。公平も同意していた。「確かに。言ったら悪いけどオバケ出そうだ」と。
昔、ボクはこの感覚が分からなかった。
『人が大勢亡くなっている場所が縁起のいいところではないのは分かるけど、生き物は死んだらそこで終わりで幽霊なんてものはないじゃない?』という考えだったからである
ただ……ここ数年でそれらしい『何か』に遭遇する機会が複数回あった。そのせいで「ちょっと幽霊いるかも」と考えを改めている。だから公平や店長さんの意見に少しだけ共感できるようになっていた。
かといって別に怖いとも思っていない。
幽霊よりボクの方がつよいから。
スーパー小枝からさらに進むと、すぐに次の交差点がある。右手の橋を通って川を渡った先を右手に進むと以前公平が住んでいたアパートがある。その向かいのオートロック付きのアパートには田母神という公平と同じゼミに通う女性が住んでいて、更に進むと同じゼミの田中という大学生の下宿があった。
今回用事があるのはそちらではない。橋を渡らずに左へ進む。まず交番があり、横断歩道を渡って向かい側にはリサイクルショップがある。今日の用事はそちらである。公平が耳鼻科に行っているので、暇つぶしである。
ボクはリサイクルショップというものが嫌いではない。とはお客さんになることもない。あくまでもウインドウショッピング専門だ。使うモノは基本的には新品がいいし。
けれどそこに置いてある品々を見ていると、以前の持ち主がこれらをどのように使っていたのか想像が出来て楽しいのだ。
「おっ、これは……」
怪獣バキラの仲間……いや敵だったかな?とにかく一緒にシリーズに出てくる怪獣のギズラの玩具である。
バキラが翼竜であればギズラは海竜といった形で、海からバキラを攻撃してくる、らしい。
客船だとか潜水艦だとかを襲って大惨事を引き起こした、らしい。
実を言うとギズラの出てくる作品は見ていないので、ボクはこの子のことを又聞きでしか知らないのだ。
これがお風呂に浮かべて遊ぶ玩具でなくて、ボクの家で一人雄々しく翼を広げているバキラと並べられるぬいぐるみだったら買ったかもしれないな。そんなことを考えつつ、ボクはギズラを売り場の棚に戻した。
--------------〇--------------
「なあエックス、これどう思う?」
「んー?」
帰宅してから公平がボクに見せてくれたのは、スマートフォンの画面だった。誰かとのメッセージとのやり取り。数式が記載されている。小さな小さな文字をボクは目を凝らして読み取る。
V:={W:ℝ→ℂ;∃tw∈ℝ for ∀W , st if t≧tw⇒W(t)∈ℝ and t<tw⇒W(t)∈ℂ/ℝ}
「なんこれ」
「せか……」
「待った。一回自分で考える」
答えを聞くのは簡単だけれど、自分で考える楽しみを損なう。飽きるくらい長生きなボクたち魔女は、いつだって暇つぶしの手段を探している。例えばそれは料理だったり、商売だったり、育児だったり、あるいは蹂躙だったりする。数式を読み解くのもその一つだ。
関数系。変数から察するに時間tからの関数。集合の名前がVなのは……ベクトル空間になるかどうかの判定のためだろうか?ただ、書かれている関数がWで表記されているのが気になる。こういう時は、普通X……もしくは小文字のfを使うはず。個人的にはX派だ。ボクの名前と同じだからね。
それは置いておくとして、Vに含まれるWの条件を見てみる。Vに含まれるWであれば必ずある時刻twが存在していて、tw以降の時間ではWは実数値だけを取り、twより前の時間では真に虚数値を取る……ということらしい。……この関数の集合を考える意味が分からないな。
「……これがベクトル空間かとかそういうお話?」
「まあ例えばそんなお話」
「じゃあ言うけど。普通の加法が入っているなら、これはベクトル空間じゃない。0が含まれないじゃないか」
「……あ。ほんとだ」
一般的なことを言うと……関数の集合における0は、どんな値を入れても0の値を返す関数である。ところがこの0はVには含まれない。どんな実数tをいれても0は0……実数しか返して来ないからだ。
「このVはあるタイミングで実数の世界に顔を出すのと、それ以前は虚数だけの世界に存在しているのとで切り替わっている集合の集まりだ。でも零関数はそういうタイミングがない。常に0の値を取るからね。Vをベクトル空間にしたかったら都合のいい加法を入れるか、0は例外的に含めるって措置を取らないとだめだね。あんまり美しくないけど」
「そっか……アルバのやつに教えてやらないと……」
アルバって誰だよ。ボクはそう思いながら、それよりも先に聞きたいことがあったので堪えた。
「……それでその関数系は一体何を表現したいの?時間経過で実数空間に顔を出すW?それって一体全体どういう意味なのさ?」
「いやね。これは……」
そこまで言いかけたところで、公平が突然口を閉ざした。かと思うと、鬼気迫る顔で横を向いて、窓から外をじっと見つめている。
……インターネットで流れてきた「幽霊でもいるのかしら?」という文言と共に投稿された、虚空を見つめる猫の動画を彷彿とさせる面持ちである。
「……なにしてんの」
「なんだこれ。魔女……か?とんでもない力じゃないのかこれ……」
「……?魔女?」
釣られてボクも窓の外を見る。青い空が広がっている。チチチと雀が塀の上で遊んでいた。要するに只管に平和だ。
平和である事以外は何も感じない。公平が分かってボクに気付かれないなんてちょっと考えにくい。よっぽど弱くてボクのセンサーに引っかからないとかなら分かるけどさ。
「気のせいじゃないの?」
「そんなわけない!絶対ヤバイ魔女!だってこれエックスと同じくらい」
そこまで言いかけたところで公平のスマートフォンが鳴った。電話に表示されていたのは、世界中の魔法使いによって運営される魔法使いのための組織、『WW』に所属する相沢一からである。
相沢一は予知の魔法を得意とする男性魔法使いだ。以前はWW本部で仕事をしていて、たくさんの事件・事故・災害を発生前に予知し、被害を最小限に抑える活躍をしていた。今は日本支部で仕事をしていて主にボクたちの窓口をしてくれる。
公平は相沢からの電話に出た。「はい」とか「ええ」とか「ああ……」とか何やら話をしているのが見える。
「……いや。エックスは気付かなかったみたいで」
その後も何度か相槌を繰り返した後、公平は電話を切って、ボクに向き直った。
「やっぱり魔女だよ。WWはエックスの力を借りたい、ってさ」