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1秒1秒を大切にしたい。

母ちゃんから、今日3度目の電話が鳴る。

もしもし、忙しいですか?と優しい声が聴こえる。

いま会議中だから後で電話するね。

こんなやり取りが頻繁になったのは母ちゃんが仕事を引退してからだ。


母ちゃんは若い頃から、77歳まで働き続けて来た頑張りやさんで、今でも働きたい意欲があり、じっと自宅で休んでいることが出来ない性格でもある。

何十年も働き続けて来た人ほど休む時間の使い方がわからないものなのであろうと思う。

同じ仕事を長く続けることは本当に大変なことなんだろうとは思うし尊敬さえもする。


母ちゃんは仕事を続けている時も忘れっぽいところはあったのだが、引退後は更に物事を忘れることが多くなった。もともと、忘れっぽい性格だったので気に掛けることもなかったのだが、会話をする中で「あれっ」と感じることが増えた自分に気付き始めたのはいつだったであろうか。

ふとした会話から感じる不安と心配は、これから益々大きくなっていくのだと思う。

「認知症」という言葉はあまり好きではない。

以前「痴呆症」と呼ばれていた病名が「認知症」と、2004年に名称変更されているが、もう少し優しい言葉はないものかと考えたこともある。

おそらく、自分の中で母ちゃんが「認知症」だったらどうしようという不安が、頭のどこかで先走り不思議なくらいイライラしていたので「認知症」という言葉に八つ当たりしている自分も居たのかもしれない。

いつもそうだが、勝手な想像で悪い方にばかり考えて潰れてしまう自分の性格も好きではない。


母ちゃんが仕事を引退して1ヶ月半が過ぎた頃、親父の7回忌を終えた。

母ちゃんは、この7年ひとりで実家で生活して居る。

仕事をしている時も早朝5時には起床し家の周りを歩き健康管理なども気使っていた。

食欲もよくて元気が取り柄で、いつも笑顔の母ちゃんには何度元気をもらっただろう…。


引退した今でも歩く道で知り合った同年代の散歩仲間と天気の良い日は歩いているようだ。

時々、坐骨神経痛で脚が痛むと言い病院に診察に行くらしい。

昔は病院知らずだったのに歳をとったら薬ばかりだよと母ちゃんが言うようになったので、

人間ドックとか検診でも申し込んで色々検査しようか?と話してみた。

以前から引退したら脳ドックなどを受けて欲しいとは話してもいたので、母ちゃんも大丈夫だよとは言いながら頷いてはいた。

母ちゃんの口癖は、私の母親も最後は認知症になったし、姉さんも兄さんも認知症になったので、家系で自分も頭も心配であった。少し前まではバリバリ仕事をしていたし、人と接したり計算をしたりの毎日であったので、それほど気にもならなった言葉であった。

でも、仕事を引退し家に居るようになってからの母ちゃんの行動が少しずつ変化していく。


最初は「物がない」という電話が来たのが違和感の始まりだった。

財布がないんだよ。免許がないよ。という電話が何度も鳴り、その度に実家に行き一緒に探した。

結局は自分で別のバックに入れ替えてあったり、置き場所を忘れたりのことだったが、こんなことは今まで一度もなかった出来事であったので(どうしたのかな?)と心配にはなった。

翌日も同じ電話が鳴る。次の日もまた次の日もである。逆に電話が鳴らない時が変となり、こちらから連絡を入れると「朝から免許がないんだよ」と5時間も家中を探し回っていたと話してくる。

探し物を一度始めると、ごはんも忘れ汗だくになって必死に探し続けてしまうから参ってしまう。

だから、母ちゃんからの連絡がないと(また何か探しているのかな?)と自然に考えてしまう日々が続いた。だから出来るだけ空いた時間を使い実家に足を運び母ちゃんの様子を伺うように心掛けた。

玄関に入った途端、魚の焦げた匂いが家中に回っていたことがあった。魚を焼いている時にバックを探し出してしまい魚を焼いていることを忘れてしまったという。

ヤカンでお湯を沸かしていた時も沸かしていることを忘れ、気が付いた時にはヤカンのお湯はなくなり空となりガスの方で危険を察知し自動停止していたようだ。

この時も母ちゃんから「ガスが使えない」の連絡を受け、理由を聞いたことで自動停止されたことを知ったのであるが、ここで一番心配になるのは【火事】である。

つい最近まではこんなことは一度もなかったのに何故なんだ?と何度も考えた。

この「物がない」というやりとりは3週間くらい続いた。その度、足を運んで見つけ出し最後には置き場所も決めるようにして(これはここに置こうね)と何度も確認し合い、何とか今は落ち着いている。

この3週間で一番辛かったのは、母ちゃんが自分自身の行動に疲れ果て(もう死にたいよ)と言葉に何度も出したことだった。確かに今まではこんなことはなかったけど、母ちゃん自身がそれを理解し自分を責めていることが可哀そうに思えた。今まで当たり前に出来たことが出来なくなった時の気持ちは当事者にならなければわからないのかもしれない。

これまで、自分自身の力で頑張って来たまっすぐの母ちゃんだからこそ、誰かに迷惑を掛けていることに耐えられないのだろうとわかってはいた。母ちゃんは自分にイライラしていた。だから、母ちゃんが(ごめん)という時の顔を見るのは辛いもので謝ることなんて何もない。たとえ認知症になっても謝ることもないし、見捨てることも絶対にしないのだから。


母ちゃんも家系からの遺伝を心配しているので、病院に行き脳を診てもらう事にした。直ぐに病院に連絡をして検査の流れを訊くことが出来た。

認知症検査は週一回で、予約が多くて2ヶ月先の予約となったのだが、認知症検査は精神科なんだとは知らなかった。

母ちゃんには予約を入れたことを説明しながら心配しなくていいと安心するようにも伝えたけど、最近の忘れっぷりを見ていると、どうであれ現状を知りたくて仕方なく自分自身が不安であった気がした。

いずれは来るのかもしれないが出来るなら母ちゃんにはいまのままで居てほしい。






















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