闘走論―令和はつらいよ―
ぼくほどの闘走人間はそうはいない。ぼくは今までの人生でいつも"闘争"と"逃走"を繰り返してきた。だから「闘走」なのだ。ぼくは何か嫌なことがあるとそれに抵抗するために闘う。そして気分が落ち込みその場から逃げる。いつもこうだ。これがぼくの決まりきったパターンなのだ。
たとえばバイト先でなにか嫌なことがあったとする。──まぁ大体その原因はぼく自身の言動にあるのだが──とにかく嫌な出来事が起こる。するとぼくはまず怒りを覚える。「何でぼくがこんな目に遭わないといけないんだ」とはらわたが煮えくり返るほど腹が立つ。そして怒りにまかせて場をかき乱す。嫌な相手に仕返しをする。相手の粗を探し、徹底的に叩き潰すつもりで復讐する(暴力は振るわない)。
だが騒動に一区切りがつき、心が冷静になると、今度はすぐさまその場から逃げ出したくなる。「こんな居心地の悪いところになんかいていられない!」と一目散に逃げ出してしまう。これがぼくという人間の生き様だ。
似たようなことはこれまでいくつもあった。大学のサークルでもあったし、個人間の人付き合いでもあった。そういうときはしばらく姿をくらます。大学に行かず家にひきこもっていたこともあったし、遠くに旅行に行ったこともあった。蒸発方法はいろいろだが、ともかく嫌な出来事から自分を癒したいので、その場から離れるようにしている。
もっとも、一度離れたらほとんどの場合、もう二度と人間関係が戻ることはない。というのも、衝動的に連絡先を消してしまうのでヨリを戻したくてももう戻せないのだ。ぼくの付き合いはスマホの連絡先を消去してしまえば完全に消してしまえる。タップひとつで煩わしさから解放される。だが、しばらく経ってからよく後悔する。その頃にはもう、あまりに時が経ち過ぎている。
ともあれ、ぼくは嫌なことがあると闘い、そして逃げるようにしている。している、というより、そうなってしまう。ぼくの身体が、心が、そうすることを求めているのだ。わかりやすくいえば、休息を求めているのだ。ともかくぼくはこのような生き方をずっとしてきた。
だが、どうやらぼくのような生き方──ここでは闘走と呼ぼう──はメジャーな生き方ではないらしい。それどころか、社会不適合者の認定を受けてしまうくらいには非常識な行為であるらしい。ぼくはそのことを知り驚いた。世の中の大部分の人間は、日常生活のなかで嫌なことがあっても"闘走"しないのか? と。ならどうやって不快な気持ちを処理しているというのか。多重人格か、ハイになるクスリでも決めていない限り、そんなことをするのは無理だ。まともな神経をしていたら、"闘走"したくなる。嫌なヤツを徹底的に叩きのめして、その場から立ち去りたくなる。
そうだな、どこへ逃げようか。北海道? 沖縄? それとも、どこか遠くの国にでも行こうか? 旅の最中に読む本を何冊かリュックに放り込み、しばらく分のカネと着替えを持ち、出発だ。スマホなんか放り捨てて、誰からも邪魔されない旅へ。大丈夫、電話もラインもネットもなくても人間は生きていける。こんなのは悪魔の道具だ。こんなものがあるから人は悩むのだ。悪しきテクノロジーを捨てて自由を得よう。誰にも邪魔されない旅は至福のひとときだ。たとえ束の間であっても、煩わしい人間関係や情報の渦に呑まれることなく自分の時間を満喫できるというのは、一切皆苦の世における唯一の楽だと思う。
そんな安息の時を1週間ほど過ごし、ぼくはとりあえず日常に帰る。もちろんこのくらいで嫌な思いの全てが消えうせるわけではない。ただ、この時になってぼくは毎回、問題を起こしたことを後悔する。なにかトラブルがあった際、ぼくは大抵問題をおおごとにして嫌な環境そのものの変革(破壊?)を試みる。だが、集団内の政治力が一切ないぼくにできることは、とにかく大暴れすることくらいだ。しつこいくらいに抵抗し相手を委縮させることでぼくに対する不当な扱いをやめさせるというのが毎回の戦略だ。
だが、あくまでストレス解消が目的であるため、事後は大体強烈な居心地の悪さを感じ、前述のように逃げ出す。そして小旅行から帰還すると、なんであんなことをしてしまったのだろう……と悔やむ。毎回この繰り返しだ。理屈では、暴れる前からそんなことは分かっているのだが、理屈で片付かないのがぼくという人間だ。わかっちゃいるけどやめられない、のである。
そんなことをしているものだから、大学を卒業し、フリーター生活となっている今も仕事は全く続かない。ぼくは基本的に怠惰なので、仕事上のミスは多いし、必要な連絡を怠ることも多い。その結果として同僚とのトラブルが絶えないのだが、そのたびにぼくは上記のような"闘走"を行う。だから仕事は持って半年、ひどいときは1週間である。
こんな生き方をしているから、多分ぼくは一生正社員として働くことは出来ないだろう。一応大学時代は就職活動もしたのだが、面接官の慧眼にことごとくやられた。ぼくはもうすぐ30になる。こんな性格だから友達も少ないし、もちろん彼女もできない(仮にできてももたない)。ぼくはさながら、現代の"渡世人"といったところだろうか。さて、今日も"あの人"の生き様に思いを馳せながら、地道な暮らしについて考えようと思う……。