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65話:井戸の底の罠

 枯れ井戸から立ち昇る不快な気配はどうやら私にしか見えないようだ。


 こうした不吉や穢れと呼ばれる物に敏感なのも一つ聖女の素養ではあるけれど。

 正直気分のいいものではなかった。


「イレーヌ、気分が優れないなら下がれ」

「大丈夫よ、ロジェ。それにこの場で呪物に対処できるのは私だけだわ」


 領主指揮の下、慎重に枯れ井戸が暴かれて中の物が取り出された。

 それは風雨にさらされ、錆びついた小さな金属板。


 直接手に触れないよう、厚い皮手袋をした兵が地面に置いた。


「これは、鎧の一部じゃないか? 手甲なんかに使われる。物は古いが放置されてそんなに経ってないな」


 ロジェが剣先で金属板をひっくり返して錆具合を確認した。

 すると金属板の裏には錆に囲まれた文字がある。


「ヴァルシア王国の聖女に呪いあれ…………なんてことを…………!」


 ロジェ以外の全員が息を飲む。


 私は気分の良し悪しなど横に置いて、呪物の気配に集中した。


「これは明らかに呪いに使われた物です。ただ効力はあまり強くない。この場に聖女が来なければ本来の力は発揮しないでしょう」


 まず個人名ではなく聖女という役名、もしくは概念についてというあやふやなものだ。

 呪いはいくつか種類と条件がある。

 誰か特定の人物を呪いたい時には、呪いたい相手が長く呪物の側にいるような場所に隠す。もしくは呪いたい相手の生年月日や名前を刻む、相手の私物を使うなどある。

 けれどこの呪物はそのどれからも外れていた。


「なのに、呪物とはっきりわかるだけの邪悪さを宿している…………」


 ロジェは剣を引いて私に確認をする。


「つまり呪物には変わりないんだな。これが置かれたせいで結界か、ここに入り込んだ魔物に影響を与えたんだろう」


 今回のことを鑑みてもロジェの推測で合っている気がする。


 領主も同じ思いらしく肩を怒らせると吠えるように言った。


「聖女さまを呪うなどと! えぇい! このようなもの我が領に誰が!? いや、こんな不愉快な物、叩き壊してしまえ!」


 領主が怒り心頭に発して命じると、すぐさま兵が動く。

 兵たちも結界の重要性を知るからこそ聖女を敬う心があり、即座の行動に移った。


 そのため私が止める間もなく命令が実行される。


「まだ調べたほうが! あぁ…………。え!?」


 手斧によって金属板が壊された次の瞬間、禍々しい気配が呪物から立ち昇る。

 聖女の素養のない者にも感じられるほど濃密な邪気にロジェも剣を構え直した。


「イレーヌ! どうなった!?」

「役目を果たせず破壊された時のために罠が仕込まれていたわ! 魔物を引き寄せる強い邪気を放っている!」

「おのれぇ! イレーヌ嬢、ボルボーの殿下! すぐに砦へ!」


 敵の罠にはまった羞恥に叫んだ領主は、それでも冷静に私たちの安全を確保してくれようとした。

 すぐに私たちに退避を促し、兵には応援を呼ぶためのラッパを吹かせる。


「お待ちになって! 今ならまだ間に合います!」


 私は退避させられそうになる中、呪物に向かって両手を伸ばした。

 掬い上げるように動かして、結界を生成する。


 立ち昇る邪気の高くへ上った分は逃がしたものの、その大半を結界の中に封じ籠めることができた。


「うわ、なんだこれ? 黒い液体みたいなのがイレーヌの結界の中を漂ってる?」


 ロジェが球形の結界を見つめて呟く。

 どうやら結界に捕らえたことで邪気が可視化したようだ。


「ちょっと待ってちょうだい。広げた結界を小さくするから。邪気の一部は結界をすり抜けています。周囲の警戒を」


 私を下げようとするロジェを止めて、領主には守りを要請する。


 結界を小さく絞ると中の黒い邪気も濃縮されるように集まった。

 金属板に結界の端が当たり揺れる。

 そのまま結界で挟むようにして地面から浮かせた。


「よしこれで危険なく持てるわ」


 できたのは片手に乗るボール状の邪気の塊。


「うわ、便利ぃ」

「ボルボーの殿下、このような細かな制御をなさるのはこの国でもイレーヌ嬢と他数人です」


 領主がそう言った時、ロジェが何かに気づいて国境のほうへと目を向ける。

 周辺を守る兵たちも遅れず動いて迎撃態勢を取った。


「どうしたの?」

「すごい邪気だったみたいだな。魔物がもう呼び込まれた」


 ロジェが剣先で国境を指す。

 我が国の側は手入れされていても、隣国側はそうでもない。

 伸びた下草を鳴らして何かが近づいて来ていた。


「嘘だろ…………」


 熊の魔物にも動じなかったロジェが、硬い声を漏らす。

 領主や兵たちは声も出ないようだ。


 現れたのは金色の体毛を持つ四足の獣。

 動くごとに顔周りを覆う金色の鬣が揺れている。


「ライオン!? 絶滅したのではないの!?」

「獣のほうはずいぶん昔に狩り尽されたってんで、絵や物語にしか残ってないな。けど、魔物はさすがに狩り尽せないさ」


 ロジェは私に軽口を叩きながら忙しく目を動かす。


「単体と見るが、どうだ?」


 ロジェの問いに領主が頷く。


「個体としても若い。まだ群れを形成していないのだろう。となれば、老成した個体よりはやりやすい…………はずだ」

「いやぁ、ボルボーでもなかなかお目にかかれないレアだ」

「はは、こちらでも目撃例が二百年ほど前にあった程度だ」


 ロジェに合わせて軽口を返す領主は、一つ息を吐き出した。


「イレーヌ嬢、女性にこのようなことをお頼みするのは恥だが」

「いいえ。お役に立てると言うのであれば指示を。こんな何者かの悪意によって傷つく者がいていいはずがありません」


 ライオンの魔物は呪物の罠によって引き寄せられている。

 こんなことで兵に死傷者が出ては相手の思うつぼだ。

 なんとしてもここは全員無事に凱旋しなければ。


 そうは思うけれど、私は今呪物を片手に封じている。


「力を割いている分、熊相手ほどの硬度の結界は張れないわ」

「一撃を凌げるか? 力は熊より弱い」


 ロジェはすぐさま現実的な質問を返す。

 普段浮薄そうな口説き文句を言ってくるくせに、こういう場面では本当に頼もしい。


「えぇ、大丈夫。でも、熊よりも速いのではない?」

「そうだな。領主、弓は幾つ用意できる?」

「ここに連れて来た五人だけだ」

「十分。よし、ならまずはイレーヌの結界を正面からぶつける。動きが止まったところに左右から攻撃をしてくれ。そしてイレーヌの結界のすぐ後ろに弓五人だ」

「狙って時間をかけるよりも距離を詰めて、か。危険だが、一体であるなら包囲の上で確実な致命傷を与えるべきか」

「時間があれば穴掘って上から狙うってのもありだがな。できる限り時間を短くするのが怪我人も出ない方法だ」


 ロジェと領主の間で作戦を立て、ライオン狩りが始まった。


毎日更新

次回:封じられた呪物

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