63話:鼠の大穴
「これは、また…………」
公爵領の隣の領地で、目の前の大穴を前にここの領主の子息が呟いた。
私も警戒態勢で窺う人々の向こうの穴の大きさと深さに言葉を失う。
山の斜面にぽっかりと開いた穴は、ちょっと屈めば簡単に出入りができるほど広い。
そして下方に向けて傾斜しているのか、中は真っ暗で見通すことはできなかった。
「これなら確かにあの牛並みの魔物が出入りできるわね」
「聞いた話じゃここ一年、この周辺に出入りした者はいないらしい。収穫後に下草刈りを行うだけだそうだ」
先に発見していたロジェは、先導を務めた周辺住民に聞いたらしくそう話す。
「これだけの出入り口がある巣を作られていると言うことは、変異種の魔物が繁殖しているという証です」
トリスタンは立場上、領主子息に同情の目を向けた。
あまり立ち入らない場所とは言え、これほどの魔物の繁殖を許したとなれば後々まで評価に響くだろう。
せめてこれ以上の拡大をさせないことで汚名を雪ぐしかない。
「穴の中はどうなっているか確かめたのかしら?」
「いや、周辺の糞なんかの様子でまだ中にいる可能性が高い。入り口周辺を少し見て下がらせた」
きっと簡易の塹壕を掘って備えている者たちもロジェの指示なのだろう。
魔物相手の判断の的確さは本当に頼もしい。
トリスタンも魔物を相手にしたことはないので、ロジェに比べれば自信なさそうに現状を報告した。
「ここにいない者たちには他に出入り口がないか、周辺を調べさせています。魔物とは言え鼠なので、物音を立てれば巣穴に潜んでいてくれるとは思うんですが」
周辺地理を知る村民を先導に兵を散らせたという。
ただ普通の鼠なら逃げるだろうけれど、魔物なので断言もできない。
そんなトリスタンの心中が窺えた。
「それでは他の者が戻るまで、こちらは薬剤の準備をしましょう」
領主子息に声をかけると、考え込む様子で大穴を見ていた。
「あぁ、ですがこの入り口は大きすぎて煙が逃げる。ある程度土手を作って煙の排出を抑えないといけません」
「完全に塞ぐのもやり方考えないとな。この山手ごろな石が転がってる所ないか?」
ロジェの提案に領主子息は山に詳しいという領民を呼んだ。
そこから意見を出し合って、私たちは鼠退治の準備をする。
幸い他の入り口は見つからず、散っていた者たちも全員無事に戻る。
「大型の穴は見つからなかったか。鼠の習性を思えば幾つも別の出入り口を作っているはずなんだが」
領主子息は不安そうに山林へと視線を向ける。
犬型の鼠が出入りできる穴は複数見つかったので、その場で土で埋めたと報告はあった。
そうなると大型の穴も他にもありそうなもの。
もう一度山を探索すべきか迷っているのだろう。
そこにロジェが考えを告げる。
「この穴の大きさから大型がいるのは確かだ。だが、全部が大型であるとも思えない」
そう言ってロジェが指すのは、明らかに犬並みの糞。
出入り口が複数あったことからも、この巣穴には大型と通常サイズが共存しているのだ。
「穴が大きければそれだけ犬並みの魔物が外敵に襲われる。これだけ大きな巣穴はここだけということも考えられないか?」
「なるほど。大型ならばあまり逃げる必要もないかもしれないな。元より数が少ない、か」
一考する領主子息から、ロジェは私に目を向ける。
「煙が充満すれば別の入り口がある場合はそこから狼煙のように上がると思うんだ。例の宝石って、護衛たち持ってるか?」
「宝石、あぁ。えぇ、持たせているわ。ご子息、別の入り口を見つけた場合、私と結界を張れる道具を持つ我が家の護衛が塞ぎましょう」
私も参加すると言うと、ロジェは眉を上げた。
「それならいっそ巣ごと全部イレーヌが結界で覆ったほうが早いんじゃないか?」
「はぁ、これだから聖女の力をただの魔法と混同するような異国の者は困ったものですね」
言ったのはトリスタンだけれど、ロジェ以外全員が同じような顔でわかっていない。
皆、私がやるなら結界で覆ったほうが早いと考えたようだ。
「別に魔法だったらなんだってできるとも俺は思ってないぞ」
どうやらロジェは魔法にも限界があることは知っているらしい。
もしかしたら戦場でそうした経験があるのだろうか。
場合によっては魔法より武器を使ったほうが、効率が良いこともあると聞く。
そう考えるとロジェの発言の原因はなんとなくわかった。
「トリスタン、ロジェはラシェルの力の一端を見たことがあるのよ」
「あぁ、それは…………運が良かったのか悪かったのか。あのお方は国内最高峰ですから、イレーヌにそれを求めるのは酷です」
トリスタンが大真面目に告げた。
その言い方もなんだか違う気がするけれど。
「ロジェ、私は部屋一つ…………、いえ、農村の家一つ分くらいを覆う程度の結界しか作れないわ。たぶん深くに掘られているだろうこの巣の全てを覆うのは無理よ」
ロジェを始め、公爵家以外の者たちが想像するように斜め上を向く。
ロジェはラシェルが公国で救貧院の敷地を覆ったのを見ている。
救貧院は三階建てで、郊外にあることから前庭として広い場所が設けてあった。
あれを覆うなんて私には無理だ。
そして農村の家は平屋で一部屋しかないことが多い。
その広さはだいたい我が家の応接間一つ分。
「…………なるほど」
「わかったなら、さっそく取りかかりましょう」
ロジェの納得の声を合図に私は手を叩く。
領主子息も穴への対処は私たちに任せて、指揮下の者たちに役割を振った。
そして配置を終えて薬剤で巣穴が燻され始める。
やはり広い巣穴だったらしく、恐れていた事態は小一時間経ってから起こった。
「西で煙が漏れています!」
「わかりました、向かいます」
「じゃ、俺はイレーヌの守りで」
私が動くと当たり前のようにロジェが手を取って先導を始める。
あまりに自然で誰の仕事も阻害しない狙いすました動きに、トリスタンもすぐには事態が把握できず見送っていた。
「腕は?」
正気づいたトリスタンが、結界を張るために待機している護衛に声をかける。
すると、王都から公爵領、そしてここまでついて来ていた護衛が何ごとかを短く告げた。
ほぼ私専用の護衛であり、公国にも同行した者だ。
私が目を合わせるとトリスタンは諦めたように護衛を二人私に回すだけで止めることはしなかった。
「お許しが出たみたいだな」
私と同じくトリスタンの反応を見ていたらしいロジェが嬉しそうに言う。
「そうね、ではお願いするわ」
「任せろ」
屈託のない笑顔でロジェは自信に満ちた答えを返してくれた。
守ってもらえる安心感は今までの働きで私にもある。
私は周囲への警戒をロジェに任せることにして、少しでも早く鼠が逃げない内に漏れ出る煙に辿り着くため足を動かした。
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