5話:即位前に考えること
ラシェルを保護した翌日。
王都の屋敷に戻って待っていたお父さまに昨日の顛末を報告した。
「あんの…………愚息がぁ…………」
地を這うようなお父さまの声に私はドレスの陰で指を震わせる。
赤みの金髪に赤茶色の瞳は私にも遺伝した部分だけれど、骨が太い様子は兄に似ている。
そして今やその白い肌は怒りで真っ赤になっていた。
ただ公爵である父は、すぐに怒りを押し殺して平静を取り戻す。
「お父さま、命令書は本当に効力のある物なのでしょうか?」
「忌々しいことに、命令書は有効だ。王位が空だからこそ罷り通る特例法を悪用された」
「命令の撤回は? 追放は刑として執行されたものとなるのでしょうか?」
「その心配はいらない。命じられてはいても、執行に関する期限も何もない穴があった。命令は下ったが、それが刑罰として正当か、はたまた刑に能うる人物であるかなど議論の余地はある」
小さく息を吐く私に、お父さまは戒めるように重々しく告げた。
「ただ撤回には次の王が就くまでは無理だ。同時に、あの王太子が王位に就いて改心するとも思えん」
つまりラシェルの聖女追放は現状においては合法。
王太子が国王になるのだから自発的な撤回もあり得ない。
となると、各関係部署の意見を統一して一斉に異議を申し立てるという時間と労力を使う手に出るしかない。
そしてお父さまの怒りは抑えがきかなくなったようだった。
「だいたい、わしらがいったい誰の葬儀のために忙しくしていると思っておるのだ。だというのにパトリックなど王太子を蔑ろにしただの、権力で法を曲げるつもりかだの賢しらぶって!」
十中八九誰かの入れ知恵でしか出ないだろう兄の言葉だ。
「王太子の周辺はすでに重鎮ぶって王宮を歩いている。政治など何もわからぬ者たちが、聖女を追放したという愚挙を実績などと勘違いしているのだ」
それは救いようがない。
どれだけ危険なことをしているのかきっとわかっていないのだろう。
聖女の結界がなくなる可能性など考えてもいないのだ。
そしてそんなことすら考えられない者が国を裁量していくなど悪夢でしかない。
「お父さま、大変無礼で弁えのないことを申しますが…………王太子、ニコラ殿下の即位を止めることはできないのでしょうか?」
お父さまは私の非礼を咎めない。
けれど返るのは大きな溜め息だった。
「もう一人の王子、オーギュスト殿下は今年幾つだ?」
「…………六つです」
沈黙が広がる。
今年成人となる十八歳の王太子を退ける理由付けが現状できない。
すでに即位の準備は始まっている。
今さらなかったことにするのは国威に影響した。
「機を待たねばならん。即位を止められぬのならば…………」
退位を考える。
お父さま言わないけれど私は確かに頷いた。
「今後国が荒れることを考えると、ラシェルには一度国外へ出てもらったほうが良いかもしれませんね。教会のほうで無駄な諍いを起こさせるわけにもまいりません」
「聖女の取り合いか…………。正直これほどの愚挙に及んだ王太子が、まかり間違って聖女の殺害を命じないとも限らん。身の安全を思えば致し方ないか」
聖女はこのヴァルシア王国の安寧の象徴。
それをあえて外に出すのは決して良策ではない。
ましてや内外に知られる聖女を追放したなどとは、口が裂けても言えないことだ。
「ラシェルに対する処遇についての公布はどうなっているのでしょう?」
実績などと思い違うのならば、あの王太子は愚策をあえてやる。
本当なら止めなければならないことだけれど、その悪評が王太子の愚を内外に喧伝することにもなるだろう。
そうなれば幼すぎるとしても第二王子に王位を譲る状況に文句を言う者も少なくなる。
「まだ公布はさせない。そこは止める」
「葬儀のためでしょうか? ですが、即位式にラシェルがいなければすぐに知られます」
お父さまは唸ってから正直なところを私に教えてくれた。
「本当ならば現状を王太子殿下が裁量しなければならない。だというのに大臣にも声かけもなく何をしているかと思えばこれだ」
「まさか、即位式に関して準備も丸投げですか?」
「そうだ。即位に当たってのスピーチも、王太子つきの文官が作成している。朗読の練習もしていない」
自らの即位だというのに、他人任せがすぎる。
これでは国王となってから何をするか、わかったものではない。
「陛下の急逝で皇后さまもお倒れになった。王太子殿下も同じように心痛め、内向的になっているかと思っていたのだ」
「その、殿下のお側から報告などは?」
私の言葉にお父さまがうんざりしたような顔をした。
「パトリックからはなんの報告もない。今回の件を問い質しても、出て来るのは文句ばかり。あれにはもう、期待できん」
兄は将来の国王の側近となるべく宮仕えのため王太子殿下と引き合わされた。
それはとりもなおさず公爵家の安寧と継続のため。
だというのに、王太子が聖女追放を画策することを何一つ報告していなかったのだ。
「…………ラシェルの話では、パトリックが追放を命じられたラシェルを捕らえようと動いたとか」
「何!? 聖女に乱暴を働いたと!?」
「いえ、ラシェルが自ら出て行くと言ったため、たぶん、触れられてもいません」
「そうか。…………そうか」
聖女は不可侵の存在だ。
今回の王太子の暴挙はもちろんあってはならないこと。
同時に、軽々と聖女の体に触れることも、弾劾される可能性のある暴挙だ。
過去、聖女に恋慕し抱きついた貴族が左遷された例もある。
そしてその貴族の家は聖女に無体を働いたと国民たちから白眼視され、急速に力を衰えさせた。
「聖女追放で、王家の求心力は衰えるのでしょうね。そうなっては王位に座る者を変えたところで」
「イレーヌ、それ以上は言うな。一番は王太子が心を入れ替え、自らの醜聞を払拭すべく励んでいただくこと以上にはない」
「…………もみ消しは?」
「できん。言ったとおりパトリックどもが吹聴している。市井に噂が回るのも時間の問題だ。できる限り遅延はさせるが」
お父さまは苦々しげに言った。
「ともかく、聖女のことはお前に任せよう。決して他国へ根ざすことのないよう気を配れ」
命じられて、私は膝を折ることで応じる。
そんな私を見てお父さまはまた溜め息を吐いた。
「不幸中の幸いと言いたくはないが…………」
そんな呟きに私は姿勢を正して続く言葉を待つ。
お父さまは漏らした言葉に少なからぬ後悔を滲ませ、そして続きを言った。
「お前が嫁入りせず家に残っていてくれて良かったと、心から思う」
お父さまの言葉に、私は思わず顔を顰める。
「いや、その、決して悪い意味では」
「さようですか」
普通に答えたつもりが思った以上に冷たい声になってしまった。
「す、すまない。…………必要なものがあれば家令に言え。イレーヌの望みは極力優先的に叶えるよう言っておこう」
お父さまは小さく謝って、とりなすようにそう付け加えたのだった。
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