38話:木偶と化した軍
私は深呼吸をして気持ちを落ち着けると、トリスタンに向き直る。
「侯爵家が退いたと言うことは、軍権は?」
「陛下が握りました。軍の独自判断を許さず、常に陛下の裁可を受けて動くことになっています。そのため各地から寄せられた魔物被害の報告も陛下が自ら目を通し、軍の派遣のために采配を振るっている状況です」
眉間をもみほぐしても、とんでもない状況を聞いてしまった事実は消えない。
何それ?
無駄な労力以外の何者でもないじゃない。
「つまり、目の前に魔物が現われても、国境近くにいる軍は、王都に使いをやって、陛下が裁可を下すのを待ち、それからようやく討伐に入ると?」
はっきりしっかり内容を確認する私に、トリスタンが何処か同情したような目を向けた。
「そのとおりです」
「木偶じゃない…………」
「そのとおりです」
すでに同じ思考を終えているトリスタンは、淡々と私に同意する。
ここで私が取り乱してもなんの得もないわね。
冷静にならないと、冗談じゃなくラシェルを帰還させる前に国が滅ぶ!
「…………門を閉じた家は、領地に独自の兵を抱えた方々ばかりね」
「はい。国軍を頼れないと知り、自らの領地を守るため王都を離れられました」
つまり、領地へ引き自ら陣頭指揮を執ることで、現場判断を可能にする。
同時に当主が領地で采配を振ることで、王都の新王からの文句を受け流す算段だろう。
そしてひいては、軍備の少ない地域に国軍を回せるようにという思いやり。
自ら防衛できる領主が動くことで、少しでも新王への派兵要請がスムーズに届くようにという。
「大臣方はそれを黙認してらっしゃるの?」
「議会において追及なさってはいますが、何分陛下のお出でが極端に少なく。窮状を指摘して翻意を促しても頑なになるばかりだとか。そうそう、最近の議会を開かない言い訳は、軍のことで忙しいと言うそうですよ」
「忙しくて当たり前でしょう。ご自分で仕事を増やしているのだから。命令の無効化はできないの?」
「国難における非常事態令として出しているので、非常事態と認定した北の敵がいなくならないといけないんじゃないですか?」
もしくは新王本人が非常事態の収束を宣言するか。
しないわよね。
どう考えても現状は悪くしかならない。
「城内でのごたごたは他国にも知られているとわかっていないのかしら?」
「やはり公国でも噂になってましたか? 交流のある国々とは貴族の往来もあり、城への出入りもあるんですから、臣下と歩調が合ってないなんてすぐばれますよね」
そして巡り巡ってその情報は敵にも届く。
軍が即応できないと知られれば、それこそ敵の思うつぼだ。
「北は一年待ってくれないかもしれないわね」
「そこは侯爵閣下のお力を頼るほかないでしょうね」
いち早く領地に戻った侯爵家は北との戦いにおける補給路を握る家で、我が国の北辺を掌握する家でもある。
新王の齎す混乱が北の侵攻を誘うことを予期して守りについたのだろう。
「侯爵閣下が領地にお戻りになっただけでも抑止力にはなるでしょう。とは言え、独力での国家防衛は困難と言わざるを得ないわ」
「一番の懸念は後ろでしょうしね」
「さすがにあの新王でも国内を騒がすことは…………」
否定しようとしたけれど、言葉が続かない。
現状を新王はどう解釈しているのかしら?
軍の再編に侯爵は抵抗したでしょうし、社交期を前に門を閉ざす意味を分からないとも思えない。
新王の決定に不服を申し立てていることは理解しているはず。
「まさか叛意があるだなんて言い出さないわよね?」
「王都からの報せでしか知りませんが、今のところ陛下においては軍への要請と配置の要点を押さえていない采配で上手く軍が動かず、仕事量が増えるばかりで他に気を回している暇がないようですよ」
そう言ったトリスタンは、私を見据えて改めて聞いて来た。
「僕よりもイレーヌのほうが言葉を交わすこともあったでしょうから聞きますが、あの方の得意なことってなんですか?」
「暗記の類は得意よ。一度聞いた名前などは忘れないし、観劇をしても長い台詞を一度聞いただけで覚えてしまったり。あとは、とても手先は器用よ。見た物をそのまま絵に描かれる才能はすごいと思うわ」
「見事に政治関係ないですね。そう言えば、父からの手紙に在りました。法案の必要性について聞けば能弁に歴史的成功例を上げて語るそうです。けれど、それが現在の状況とは噛み合っていないのだと」
「軍のことを取ってもそうよね。かつて強い王がいたのは強い者が他の強者を纏めて王になったからであって、軍を纏めたら強い王になれるなんてことはないもの」
意味のない話を切り上げて、私は自分のやるべきことを考える。
「確か侯爵閣下の二番目のご息女が子爵家へ嫁いでいたわね。子爵家の門は開いていたから、侯爵家の動きと不満を聞き出してみましょう」
「お父さまからも公爵領からできる援助は惜しむなと言われていますよ」
「では、公国で北の者が暗躍していた話を伝えて、注意を呼び掛けてちょうだい」
私は公国の救貧院でのことをトリスタンに語った。
すでに概要は手紙で知らせておいたけれど、女公側からもたらされた新情報も添えて。
「公国は足がかりで、狙いは我が国。すでに作戦は動いているそうだけれど、捕まえた者たちはそちらの作戦の内容までは知らされていなかったそうよ」
「わかりました。女公に恩を売って我が家との繋がりが堅固になったこともそれとなく伝えます。西からの侵入を警戒しなくていいというのは安心材料ですね」
「結界自体が大きく損なわれる恐れはないでしょうけれど、強い魔物の流入が予想されるわ。教会のほうにも目を配らなければね」
何処から手を付けるべきかしら。
私の体は一つしかない。
使いを出して済ませられないことをすべきでしょう。
思考を巡らせていると、トリスタンが水を向ける。
「東の守りを考えれば、三番目の方を使いたいところではないですか?」
「使われてくれるかどうかがいまいち未知数ね。新王陛下のことは一度の謁見で正しく洞察していたわ」
「傾く王冠に無駄な手をかけたくないと傍観に回る可能性があると? 佞臣の列に加わられるよりはましでしょうね」
「新王陛下から心の離れた地方貴族を引き抜かれる可能性があるわ」
私の考えに、トリスタンは険しい表情を浮かべた。
頼る王家が傾けば、国境を接している領地の貴族はボルボーに領地と領民ごと移ることもあり得る。
そうなれば王国は内側から瓦解するきっかけになりえる。
「ボルボーの三番目にできると?」
「公国においては私より宰相に近く位置していたように思うわ」
「…………牽制しますか?」
「案内として我が家の者をすでにつけているわ。観光と称しながら、まずは国の体制について実際に見て回っているそうよ」
私がすでに見張りをつけていることを知って、トリスタンは息を吐く。
「やれやれ、イレーヌが王都にいてくれると安心感が違いますね。王都から報せが届くたびに領地で頭を抱えたんですよ」
「何を言っているの。これからはあなたが判断をしなければいけない立場になるのよ」
「いえいえ、懸案事項があるとわかっても頼める相手がいると思えばそれだけで違います」
どうやらトリスタンは私にロジェを任せる気のようだ。
確かにこれは、直接知る私でなければ動けないことかもしれない。
仕方がない。
ロジェが新王につかず、かといって我が国を分断しようなどと思わないよう手を回そうかしら。
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