34話:王国の魔物
脇に置いていた剣を掴んで立ち上がったロジェに、周囲も異変を察知して目を向けた。
「イレーヌ、もうここはヴァルシア王国のはずだな?」
「そ、そうよ。どうしたというの?」
ロジェの動きに護衛たちも何ごとかと近づいてくる。
そんな私たちを見てロジェのほうが呆れてしまっていた。
「近くに大型の魔物がいる」
「え!?」
「本気で気づいてないのか? 鳥たちが逃げた。魔物の発する魔力の流れで風向きが変わった。獣臭に似た魔物独特の臭いが近い」
異変を上げるロジェだけれど、護衛も言われて気づく程度の変化。
そんな私たちにロジェは皮肉げに肩を竦める。
「なるほど。聖女の結界ってのは相当優秀で、そして中に住むものを甘やかす。あの聖女さまそのもののようなものか」
ロジェは剣を抜いて街道脇の林に切っ先を向けた。
すると林の奥から重そうな体を揺らして熊型の魔物が現われる。
黒い体毛は陽炎のように揺れ、赤い目が四つある。
異様に伸びた牙が天を突き、鋭い爪は金属のような光沢を持っていた。
凶悪な魔物の姿に侍女たちは悲鳴を噛み殺す。
私も間近に感じた危機にすぐには反応できなかった。
「もう少し早く気付ければ弓用意したんだがな」
「…………ロジェ! 私が結界を張るわ! 退いて!」
ようやく立ち上がる私に一度目を向け、ロジェは首を横に振る。
「こいつは一度狙いをつけると何日も追ってくる。凌いだところで夜中襲われるだけだ。代わりに一度痛手を追わされると同じ獲物は二度と狙わない」
つまりこの場で一当たりして、痛手を負わせるほうがいいというのがロジェの判断のようだ。
いち早く接近に気づき、習性も知るロジェはこの場で最も魔物の生態に詳しい。
きっとヴァルシア王国の外ではそうしなければ生きられないのだろう。
私は護衛たちに頷いた。
「ロジェの指示に従いなさい。ロジェ、一度私の結界の強度を確かめたいのだけれど可能かしら?」
「わかった。俺が魔物の正面を担当する。護衛は左右に別れて気を引け。体当たりと前足に気をつけろ。よほど近づかなけりゃ牙は引っかからない。狙うのは獣と同じ顎と首と腹」
的確に指示を飛ばすロジェに、護衛はすぐさま応じる。
「イレーヌは俺の前に結界を。一度挑発して攻撃を誘発する。結界がもっても壊れても鈍重な相手だ、隙ができる。一番足の速い奴が腹に一撃入れてみろ」
ロジェの指示で、護衛隊長が一人を指名し、一撃を入れる役が決まる。
戦闘に加わらない護衛は侍女を先導して馬車に避難させた。
私はロジェに守られる形で、後ろに立つ。
「救貧院での結界は覚えているわね? 今回は視認できるようにするわ。少し視界が悪くなるから気をつけて」
ロジェに忠告をして、私は結界を張る。
陽炎のように揺らぐ壁がロジェの目の前に現れた。
「これは触っても大丈夫なのか?」
「えぇ、怪我をしない程度の結界よ。ぶつかっても柔らかく受け止めてくれるわ」
「はぁ、結界ってのは硬いだけじゃないわけか。ジルが興味津々になるのはこういうところか?」
ジル、本当にロジェと仲良くなっちゃって。
結界にも聖女にも馴染みのない相手に、あの専門的な話を聞かせたの?
ロジェも良く付き合ったわね。
私が密かに呆れていると、ロジェは結界の境から拾った石を魔物に投げる。
何げなく投げられたようだったのに、鋭く飛んだ石は過たず魔物の鼻に命中した。
突然の攻撃に怒った魔物は、ロジェに向かって距離を詰める。
「ちょっと!? これの何処が鈍重なの!?」
「馬より遅いだろ」
瞬く間に迫る熊型の魔物は、体の大きさもあってすぐさま距離を縮めた。
獰猛な雄叫びと共に、ロジェを狙って大きく前足を振り上げる。
なんの音もない。
けれど確かに魔物の巨体が渾身の一撃を加えた衝撃は、空気を伝って辺りを揺らした。
「おぉ。すごいなこれ。この魔物は力強いことで有名なんだ。その一撃に全く揺るがないなんて」
結界に牙を立てようと大口を開く魔物にも、ロジェの余裕は揺るがない。
結界の強度に自信はあったけれど、それでも私は慌ててしまったのに。
「私も、結界の硬さはなかなかのものなのよ?」
正直こんな大型の魔物を見たのは初めてだったけれど行けた。
座学で私の結界の強度は、竜の一撃を凌ぐと言われている。
ただ知識で知っていても実際に本番となると不安は湧くものだ。
「てぇい!」
私たちが話している間に、護衛の一人が魔物の腹に剣を突き入れる。
後ろ足で立ち上がり、腹部が無防備だった魔物は、まともに剣を突き入れられた咆哮を上げた。
明らかに痛みを訴える鳴き声の後、身を捩って四足に戻ると、退く護衛の追撃はせずに守りの体勢に入る。
剣での一撃が効いているようだ。
「すぐ下がれ! 攻撃対象にされるぞ! イレーヌ、俺の前の結界はもういい! 慣れてない護衛を守ってやれ!」
「あら、舐めないでくださる? 誰が結界を一つしか出せないと言ったかしら?」
私は余裕を装って強がりつつ、護衛たちに手を上げて合図を送る。
すると攻撃に加わらなかった護衛が、あらかじめ持たせておいた守護石を地面に埋めた。
守護石は私が術をかけて結界装置にした宝石。
二つ埋めた守護石の間に結界の壁が現われた。
私の手を借りずに現れた結界にロジェは声を大にして笑う。
「はは! いいねぇ。惚れ直した!」
この状況で軽口を言えるなんて、本当にとんでもない人ね。
ロジェは自ら結界の前に出ると、果敢に正面から魔物に挑む。
脅威となる魔物の前足の攻撃をかわしながら、あえて近づくことで牙での攻撃を誘った。
攻撃の前動作を全て読んでいるのか、前足の攻撃を予期すると、すぐに結界を盾に退く。
その攻防の切り替えの鮮やかさは、なるほど戦局を左右する判断力なのかもしれない。
「まさか国内で大型の魔物が現われるなんて。近隣に警戒をするよう呼びかけをしなければ」
ロジェの活躍で大型の魔物を倒した後、私はこの後の行程を変更することにした。
今この国にはラシェルがいない。
そしてシヴィルが結界維持を放棄している。
さらには吹き戻しの勢いという不確定要素もあった。
この大型の魔物一匹で終わるとは思えない。
「ロジェがいてくれて助かったわ。あなたが気づいてくれなければ私たちは襲われていた」
「うん? 少しは俺に惚れてくれたか?」
ちょっと見直したらすぐこれなのだから。
「それは全く別の話よ。ただ、あなたの持つ知識には興味が湧きました。王都へ着くまで馬車の中でお話をしませんこと?」
にっこり笑ってお誘いすると、ロジェは逆にうんざりしたような顔になる。
「あー、はいはい。侍女か何かを書記官代わりに俺から魔物の生態聞き出すのね」
わかってるじゃない。
私は今までで一番の笑顔をロジェに向けたのだった。
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