32話:社交期を前に
女公への目通りをした後、公国貴族に顔出し挨拶回りと私は忙しくしていた。
「ずいぶん精力的に動いているな。王国の聖女の存在が公然の秘密になり始めてる」
根回しのため関係各所に手紙を書いているところへロジェが現われた。
「あら、存在しない第三王子さまが何か? 全く、いつの間にここまで素通りできるご身分になったのかしら」
女公との面会時、ロジェに言及はなく敵がボルボー王国を名乗ったことも触れられなかった。
きっと事前に宰相側と交渉があったのだろうけれど、その内容は私に伝わってはいない。
「そう拗ねるな。可愛いところあるじゃないか」
「はっきり言って邪魔よ。暇ならあなたもお里に手紙の一つでも送っては如何?」
書きかけの手紙はインクを乾かすために侍女を呼んで他所へやる。
「つまり、俺が手紙を書いて送ればすぐさまイレーヌに連絡が入るわけか。興味を持ってくれたようで嬉しいな」
「私が思うよりも宰相さまと仲がよろしいようでしたので。確かに興味は湧いたわね。権謀は小賢しいけれど、対人における攻略の素早さには驚かされたわ」
ロジェは半年ほど前に公国へやって来て、そこから個人的に宰相と会うような関係性を築いている。
これはちょっとした脅威だ。
十年後を考えると何処まで浸食されるか末恐ろしい。
「それじゃ、周辺の宗主国さまに権謀術数ってもんをお教え願ってみようか?」
屈託なく笑いかけるロジェに私は冷めた目を向ける。
「何かの駆け引きではなく、素直に邪魔だと言ったのだけれど?」
「いやいや、そこを引っ張ってくるなよ。興味湧いたなら俺とさしで会話を楽しもうとかさ」
「そうして会話の足掛かりにすると思ったから、邪魔だと念を押しているのよ?」
「うわ、他人のこと小賢しいとか言っておいて、自分は顔面ストレート入れてくるのか」
随分乱暴な例えだけれど、顔面を殴られたような拒絶も気にせずロジェは居座る。
私の対応はまだ温かったようね。
「俺はイレーヌに興味津々だからな。どうせここで退いたってイレーヌの態度は好転しないんだろ?」
私の視線に気づいてなお笑顔のロジェは、正しく私の意図を読んだ上でこれらしい。
「そうそう、俺も意外だったことがあるんだが。どうしてイレーヌは公子が聖女さまを口説くのを容認したんだ?」
「意外?」
「そこはジルの背中を押すところだろ?」
あの夜、ラシェルが聖女と知った公子は正体を公言することを禁じられたものの、近寄ることまでは止めていない。
なのでロジェのようにこの伯爵家へ日参してくる一人になっている。
「容認もしていなければ応援もしていないわよ。触れることは禁止だし、無体を強いたとラシェルから訴えがあれば公子と言えど潰す気であることは伝えているし」
「潰すって…………王国の公爵家だからこそ言えることか」
「あら、こんな痴情の縺れに家の力など借りるわけがないでしょう。見くびらないでちょうだい」
軽く睨むと驚かれる。
「何故公国で社交に勤しんでいると思っているの? いっかいの令嬢に腕力も権力もない。だったら数を力にするしかないでしょう?」
そのための社交だ。
ラシェルの王国での不当な扱いと純粋な使命感。それらを公国の人情派貴族に広めて与党にする。
噂が流れることはもう止められないと見越しての手だ。
「なるほど。この世で最も軽く優美な剣は、君の羽根ペンかもしれないな。…………イレーヌにとっては聖女さまのお相手にジルも役者不足か?」
「別に、ジルだから駄目、公子殿下だから駄目ということではないわ。いっそ、ラシェルに王太子から婚約を破棄してくれて良かったと言わせられる相手であるなら誰でもいいのよ」
もちろん理想は、新王となったニコラよりも立場の上の相手と結婚して一方的な婚約破棄を後悔させたい。
けれど元はと言えばラシェルの後ろ盾のための政略による婚約。
だったらそんなラシェルにまた婚約者を強制することはしたくない。
お父さまからラシェルのことを一任された今、私の基準はそれだ。
「ラシェルが選ぶ相手で、ラシェルのことを思って行動できる人なら誰でもいいわ」
「つまり…………イレーヌ以上に聖女さまを好きにならなけりゃ許さん、と」
呆れたようなロジェに、私は納得してしまった。
なんと理由をつけても国に帰ると宣言したラシェルを引き止めるような男は願い下げだ。
共に行くと駆けつけるくらいでなければ許せない。
「…………望み過ぎかしら?」
「いやぁ? そうでもないだろ」
ロジェはちょっと戸惑う私に近づくと、目を真っ直ぐに見つめてきた。
「初代聖女の再来とまで言われた聖女で、元王太子の婚約者。さらには不当に追放を言い渡されていながら、なんら公の発表はなく隠遁を余儀なくされている。公爵家の支援を受けながら新王に睨まれる。こんな難儀な相手と生涯を共にするなら、イレーヌの思い以上でなきゃ手に余るだけだ」
思わず私は渋い顔になる。
元婚約者だとか追放だとか新王に睨まれているだとか、一体誰に聞いたのかしら。
「あー、あー。せっかくの美人が台なしだ」
そんなことを言ってロジェが手を伸ばしてくるのですげなく払い落す。
「それで? こんなに大急ぎで公国の足場を固めるのはどうしてだ? 息抜きに俺とデートでも?」
「それがボルボー王国での常套句ならヴァルシア流を学んで出直してくださる?」
「お、言ったな? だったら次はすぐに出かけられる準備をしていろよ」
「その前に私は国に帰っているでしょうからまた来年、あなたがお国に帰っていなければ」
丸一年以上いるなんて王子として無理でしょうけれど。
「ん? もう帰るのか? 社交期はこれからだってのに?」
「私はヴァルシア王国の公爵家の者よ? 社交期は自国で過ごすに決まっているでしょう?」
そうでなくとも新王が立った年、さらには一方的な婚約破棄の後だ。
晩餐会や夜会に同伴できるのは身内か婚約者。
となれば、新王がシヴィルを連れて来たなら有責事項を周知させるチャンスになる。
「まるで戦いに出る兵士のような目だな」
「それが褒め言葉になると思っているのなら改めてくださる?」
「うーん、麗しきヴァルシアの赤きアマリリス姫って言葉も似合うとは思うが、俺にはまどろっこしい」
「別にそんな風に呼んでもらっても嬉しくはないわ」
なんでロジェまでそんな言葉を知っているの?
実は私をそう呼ぶのが公国で流行っているのかしら?
いえ、それよりも。本当に兵士のような目というのは褒めているつもりだったというの?
「よし、わかった。ヴァルシア流もわからないし今日は帰る」
「え?」
突然、こんなにあっさり引き下がるとは思わず私はあっけにとられる。
そしてその日から、ロジェは伯爵家に現れることがなくなった。
だというのに私がヴァルシア王国へ帰国する日。
「どういうことかしら、ジル?」
「あの、えっと…………」
伯爵家には馬車と随行人が用意してあり、随行人の中にロジェが混じっている。
「ロジェに私の予定を漏らしたのはあなたでしょう、ジル? 私が忙しくしている間にずいぶんと仲良くなったものね?」
「イレーヌ、ロジェは新王陛下へ即位のご挨拶に行くそうなの。どうせ行先が同じなら同行したいと申し出たそうなのだけれど」
「ラシェルまで…………。本当に、対人においては迅速ね」
横目に睨むロジェは気にした様子もなく笑顔で私に手を振った。
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