30話:北の港
「北の王が聖女の結界に捕まったって、どういう状況だったんだ?」
ロジェが改めて、救貧院を襲った賊に向けた煽り文句の背景を聞いて来た。
「屈辱王は王太子の時にヴァルシア王国に攻め込んで来たんだ」
まだ顔の傷が痛々しいジルが、ロジェにそう説明した。
胸を打たれ、倒れたところを蹴られ、井戸近くの石敷きで頬を擦ったせいで、顔には目立つ傷がついてしまっている。
とは言え、傷を治し病を癒す聖女を匿う家。
明日には傷跡も残さずラシェルが治してしまうだろう。
「聖女の結界の中に侵入できたのか?」
「結界が全てを遮断するわけじゃないの。風に吹かれた木の葉、波に打ち上げられた貝殻、そう言った善悪の意思のない物は通すのよ」
「確かその戦いの時、一番の痛手になったのが、無人の船に油と火を乗せて港へ突撃させるという作戦だったような?」
ロジェの疑問に、私とラシェルが答える。
「善悪…………そうか。救貧院で結界が賊だけを押し出したのは、そういう判別があったからか」
「清廉潔白でなければ入国できないわけじゃないの。ごく少数なら悪心を抱いていても我が国に入ることはできるわ」
「でも、千人以上が集まって軍事行動をしようとすると結界の効果が強まって歩くこともできなくなるそうよ」
「うん? それってヴァルシアの軍はどうするんだ?」
「国を守るために剣を取ることが悪なわけないでしょう?」
ロジェはいまいち納得できない様子で口を曲げた。
私が思うに善悪の判断はその時の聖女の基準次第なのではないかしら。
別に結界が意思を判断しているわけではないと思う。
「まぁ、いいや。それで? 屈辱王は痛手を負わせたのにどうして聖女に?」
ロジェは手持ち無沙汰のためか、屈辱王の話を聞きたがった。
ここは大公の城。
私たちは賊を捕まえてから日を改め、正装で登城している。
今は控えの間で呼ばれるのを待っていた。
「まず、その無人船によって主要な軍港が潰されてしまったの」
「あの北の港よね? そこが屈辱王に攻め落とされてから、守りを重視していると聞いたわ」
ラシェルも聖女に関わる地なので習い覚えている歴史だ。
内陸の領地から王都へ出て、聖女になったラシェルは一度も行ったことはないけれど。
するとロジェも反応した。
「もしかして、埋め立てを繰り返して岬を作り、がちがちに固めて港の防人の砦にしたあそこか?」
「あら、そんな風に言われているの? 今では潰されたことを機に大改造して我が国一の軍港なのよ」
この国の宰相にも擦られた場所だ。
思えば聖女所縁の場所として、ラシェルの安全についても含意があったのかもしれない。
そんな私の荒みそうな胸の内を知らず、ロジェは興味深そうに頷く。
「守るならあれくらい思い切りと労力を使いたいもんだと思っていたんだ。うちには埋め立ててもあんな岬にできそうな場所はないし、波を止められもしないのによく作ったものだ」
ロジェなりに褒めているらしい。
けれどあなた、いったいいつ我が国の軍港を視察したの?
そんな話聞いたことないのだけれど?
ロジェは私の視線に気づくと、自分の失言に気づいたようだ。
「ちょっと社会見学で、な」
「あら、殿下の学びに寄与できるなんて国の誉れですわね」
ラシェルとジルは私の言葉の裏を読み取れずに顔を見合わせる。
通じたのはロジェだけだった。
「今度行く時にはこそこそせずにちゃんと正面から行くよ。やましい気持ちがなかったとは言わないが、ヴァルシアを敵に回すつもりは決してない」
「あ、敵情視察みたいなことをされたのか」
ようやく気づいたジルが手を打つと、ロジェは困ったように額を抑える。
その様子に溜飲は下がったので、私は話を戻すことにした。
「まだ屈辱王については?」
「聞かせてください」
「素直で結構、では。屈辱王は戦の名手だったの。それは王太子時代にすでに発揮されていた。当時の我が国は港を落とされ、内陸の補給線からは離れた砦に退くしかなかったそうよ」
私が歴史で学んだ内容を教えると、ジルとラシェルも一緒になって話し出す。
「しかもその時、港が落とされることを恐れて聖女が派遣されていたんだ。聖女がいればその場で結界を動かせるしね。それでも屈辱王に落とされ、聖女もまた籠城に向かない砦に入ることとなったそうだよ」
「せめて聖女だけでも王都へ逃がそうとされたと聞いたわ。けれど、聖女自身があえて砦に屈辱王を誘因する策を挙げたそうよ」
「なんだ。そんなに有名な話なのか? 聖女さまはともかくジルも知ってるなんて」
ロジェはそんなことを言いながら話の先を待つ。
そろそろお呼びがかかる頃だし、話してしまいましょう。
「時の聖女は砦を捨てて走る軍から逃げ遅れたふりをして砦に残ったわ。自らを囮にしたの。そして狭い砦の通路を崩して前へ出過ぎた屈辱王を本隊と分断。屈辱王は孤立させることに成功したわ」
「あぁ、なるほど。結果が見えた。つまり、昨日のイレーヌと同じことを過去の聖女が王太子にしたわけか」
そのとおり。
と言っても、私よりずっと危機的状況だったけれど。
「屈辱王は残った少数の手勢も、聖女を守っていた我が国の精鋭に引き離されたわ。それでも屈辱王は聖女を捕らえれば勝てると思い込んで進んだ」
「まぁ、今目の前にいる聖女さまが脅威かと言われるとな」
ロジェはラシェルの力の一端を見たからこそ、屈辱王の心境を理解して頷く。
「聖女の前に辿り着いた時、屈辱王は一人。それでも丸腰の女性相手に負けるとは思わず…………」
私は両手で球体を描いた。
「囚われた」
話の落ちまでたどり着くと、ロジェはおかしそうに笑い始める。
「実際に見た後だと、なるほどどうにもできる気がしないな」
「言っておくけれど聖女の力があっても必ず身を守れるとは限らないのだから」
「あぁ、自ら囮になった上に重要な役回りを引き受けた聖女の強さには感服する。それに…………優位だったはずなのにあっけなく罠にはまって虜囚になったとなれば、はは、さぞ屈辱的だろうな」
短く笑うロジェは、ちょっと好戦的な光を瞳に宿していた。
そう言えばこの王子も戦場に立つ人だったわね。
それに今回は自らの国を詐称されているし。
もしかしたらなんでもないふりをして、今回の件に関しては相当怒っているのかもしれない。
「屈辱王の名は囚われた屈辱を生涯忘れないという我が国への怨みによる呼称だそうよ」
ラシェルが教えると、ロジェは気さくな様子で眉を上げる。
「怨みは晴らせたのか?」
「いいえ。結局、屈辱王は生涯我が国を落とすことはできなかったし、ヴァルシアの土を踏むこともなかった。その無念の思いから、北の国と国民は我が国への強い反感を抱くようになったと聞くわ」
「その癖、他の国にもちょっかいかけるんだからしょうがねぇな」
ロジェがそう笑った時、控えの間に外から声がかけられた。
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