28話:聖女の虫の報せ
深夜の公国。
公都郊外の救貧院で私は夜を明かすことになった。
硬いベッドの上で、ふと会話も途切れる。
「…………イレーヌ、つきあわせてごめんなさい」
「いいわ。あの公子殿下の話を聞いて知らないふりできるあなたじゃないもの」
知った相手に誘拐の可能性があると知って、ラシェルが無視できるはずもなく。
大興奮の公子は一度院長室から締め出し、私たちは院長と相談の上で日を改め、こうして救貧院に泊まることになった。
貴賓室のようなものはないので一番いい部屋に二人でベッドを並べている。
「それに、こんな風に侍女の目も気にせず寝られるなんて修道院生活以来だもの」
寝間着姿で下した髪を気取った仕草で背に払ってみせる。
救貧院自体が集団生活の場で、客を泊める場所が限られていた。
私はそれを理由に侍女は伯爵家に置いて来ている。
だからこそ、ラシェルと二人きりで寝間着姿のままお喋りに興じられた。
「ふふ、私も誰かと一緒に寝るのは久しぶりなの」
「あぁ、聖女には専用の部屋があるものね」
修道女たちとは違って一人部屋だ。
調度も整えてあり、貴族が寝泊まりしてもおかしくはない内装だったのは、ラシェルに招かれて見ている。
ただ貴族屋敷ではないので使用人はおらず、基本的には自分でなんでもする。
他の修道女たちの部屋からも遠いため、ずいぶん周囲は静かだった。
「楽しくて夜更かししちゃった。でも朝からお祈りと清掃だからもう寝ないと」
「そうね。ラシェル、私が日の出になっても起きなかったら叩き起こしてくれていいわ」
「そんな、イレーヌは寝起き良かったじゃない。大丈夫よ」
修道生活は質素倹約。
日が沈んだら寝て、日が昇ると働く。
私も夜が社交時間の貴族生活で生活習慣は狂っているので正直起きられる自信がない。
ここは大人しく横になろう。
「イレーヌ、まだ早いのだけれど起きて」
寝静まり、朝日の気配が地平を染める頃にラシェルが起きたようだ。
私は薄目を開けて室内の暗さに時間を推測した。
「イレーヌ、イレーヌ。なんだか外で物音がしたの」
「…………うん、物音? まだ暗いから誰か物にぶつかったんじゃない?」
「そうかもしれないけれど、ちょっと嫌な予感がする」
ラシェルの言葉に、私は眠気を振り払って起きる。
聖女の能力なのか、歴代聖女には虫の知らせがある。
ラシェルの予感は馬鹿にできないのだ。
思えば強くこの救貧院での宿泊を求めた。
何か起こっているのかもしれない。
「ドレスを着ている暇はないわね。上掛けとショールでいいわ。様子を見に行きましょう」
できる限り寝間着を覆って、私たちは室内履きのまま部屋を出る。
「たぶん桶か何かを蹴るような音の後に、ちょっと揉み合うような音がしたと思うの」
「桶、井戸かしら? 転落事故でも起きていたら大変ね」
私たちは洗濯場のほうへと向かうことにした。
勝手口から外へ出るとまだ周囲は薄暗い。
けれど動く人影は確かに見えた。
暴れる人物を複数の何者かが押さえ込んで引き摺っている。
「そこで何をしているの!」
「た、助けて! 息子が!」
引き摺られる女性が、私の声に必死の訴えを叫ぶ。
見ると麻袋のようなものを担いだ人影が先に進んでいた。
私はすぐさま持っていた警笛を鳴らす。
元より誘拐を警戒して備えはしてあった。
「まずい! すぐに逃げ…………うわぁ!? なんで兵がこんな早く!?」
女性ばかりの救貧院には、公子と言えど男性は泊まれなかった。
けれどラシェルが泊まるということで、恋に目の眩んだ公子は警備の兵と共に救貧院近くの林の中で一夜を過ごしていたのだ。
「ラシェル! 無事かい!?」
我が従兄弟ながら正直すぎるジルが、誘拐犯も目に入っていない様子で走って来る。
そして完全に無関係なはずのロジェも一緒だ。
え? ボルボーの王子が一緒に林で野営していたの?
「よく気づいたな。とは言え、その恰好は目に毒だ」
ロジェは防寒のために羽織っていたマントを私にかける。
男性用で大きいためすっぽりと体が隠れた。
「逃げ道を塞いだとは言え、人質を取られてるのがまずいな。加勢するか」
私にマントを預けて動きやすくなったロジェは剣の柄に手をかける。
その横ではジルもロジェを真似て、ラシェルにマントを渡そうとするけれどマントを脱ぐところでつまずいていた。
「ち! こいつら大公の兵だ!」
公子の顔を知っていたらしく、賊からそんな声が上がる。
そして何を思ったのかとんでもないことを言い始めた。
「ヴァルシアに抱え込まれた飼い犬如きが、歴戦のボルボーの強兵にかなうと思うな!」
「何!? 貴様らボルボーの者か!?」
賊の突然の名乗りに、公子は簡単に信じてしまう。
こちらが絶句している間に、賊と兵は互いに得物を抜いて争いが始まった。
声をかけようと思った時には、ロジェが目にもとまらぬ速さでボルボーを名乗る賊に肉薄する。
賊が気づいて身を返すと、ロジェは無言で蹴りを入れた。
「誰が、ボルボーの強兵だと? ボルボーを名乗るなら、まず剣の握り方くらい覚えてから出直して来い!」
ロジェの一喝は呻いて倒れる賊には届いていないことだろう。
ロジェは片手剣を握っている。
確かボルボー王家は盾を併用する古風な剣術を継承していると聞いた。
ロジェの怒りに公子は訳がわからず顔を向けるので、私は声を上げる。
「公子殿下! ボルボー王国でロジェの顔を知らぬ兵はおりません!」
誇張だけれど相手の欺瞞を指摘するためだ。
「そうなのか!? ロジェとやら、この者たちは?」
「ボルボーの兵だと言うなら、俺がこの場で全員首を飛ばす! 俺にはその権限がある!」
本気のロジェに賊のほうが混乱し始めた。
「お、俺たちは、ボルボーの」
「まだ言うか! 構えからして違うのもわからない素人が!」
ロジェは片手剣を利き手に、鞘を盾代わりに構えてまだ嘘を吐く賊を叱りつける。
片手剣で切り降ろすロジェに対応した賊は、死角から振られた鞘に気づかず顎を打たれて倒れた。
その鮮やかに連撃に公子は目を瞠る。
「殿下! ボルボーの兵は盾を構えるため左を前にすると聞きます。あの者のように!」
「なるほど、となると何をもってボルボーなどと欺瞞を弄す? その後ろ暗い策謀、吐いてもらうぞ!」
公子の兵にもボルボーの戦い方を知っていた者がいたらしく、公子は賊は賊として捕縛に動く。
賊の意識は完全に公子側に向いていた。
私はその隙に麻袋を確保しに走る。
争いが起こった時に、乱暴に放り出されたのを見ていた。
するとジルは一拍遅れて、剣の争いの中縮こまる母親のほうへと向かってくれる。
「もう大丈夫よ。さぁ、お母さまの所へ戻りましょう」
私は麻袋の口を開いて、声をかけた。
歯を食いしばって泣くのを堪えていた少年は、剣の音に震えながらも確かに頷く。
私は少年の手を握ると、背後に隠すようにしながら救貧院に向かって走った。
その間に争いから抜け出した賊の一人が、何故か同じように救貧院へ走る姿を見つける。
「ラシェル! そっちに賊が!」
「…………あ!? 火を持っているわ!」
救貧院の勝手口から中に隠れているよう伝えていたラシェルは、賊の狙いを知ると止めに走る。
ラシェルは井戸の横にある水入りの桶を手に取ると、火を持った賊に浴びせかけた。
「ぐ、このアマ!?」
濡れて前の良く見えない賊は適当に拳を振り回す。
避けられないラシェルは腕を顔の前に掲げて身を硬くした。
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