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26話:失踪者の噂

 私たちはまた救貧院の手伝いへとやって来ていた。

 午前中早めに行って、今は院長に帰りの挨拶をしている。


 広くはない院長室にいるのは私、ラシェル、ジルにロジェの四人だ。

 三回目の今ではロジェのほうが子供と遊ぶようになっており、上着のボタンを外しただけのジルに比べ、ロジェは上着を脱いでクラバットも解いている。


「救貧院で失踪者ですか?」


 今日は早めにと願った院長がそう理由を説明した。


 ジルは知っていたようで、簡単に概要を話してくれる。


「多い所では十人もいなくなっていて、よほど待遇が悪いんだろうと噂だよ」

「いえ、それが。そんな噂聞いたこともない救貧院なんです。けれど失踪者は出ているので、大公さまからのお達し、今日見回りの方がいらっしゃる予定でして」


 院長が不安そうに言うと、ロジェは窓の外へと視線を投げた。


「なるほどな。だから子供たちと目いっぱい遊んで、大公の使者相手に失礼を働けないようにしたわけか」


 ロジェはあけすけに言うけれど、嫌みのない笑顔を向けられ院長は苦笑して頷いた。


「あ、だから今日はお母さんたちが身なりを気にしていたのね」


 ラシェルが手を打って普段との違いを上げる。

 確かに服の毛玉やほつれた髪を気にしている者たちが多かった気がする。


 全員が手でどうにかしようとしていたことから、ここには身を整える道具もないのだろう。


「院長。今さらですが、後日ブラシを寄贈させていただきましょう」

「まぁ、そのようなことは。イレーヌさまにはすでに勿体ないほどの寄付金をいただいております」


 院長はラシェルの身元に気づいている素振りがあった。

 だから口止めを兼ねて寄付金を渡している。


 純粋な寄付金ではなかった。

 とは言え貰いすぎても困るという院長の気持ちを汲まなければ、今回の純粋な心持ちでの寄付も受け取ってはもらえない。


「…………旅行の思い出に侍女たちへ公国風の意匠が施された物を与えようと思っていたのです。けれどすでに持っている物を重複しても喜ばれない。ですが、古い道具を寄付すればわたくしの贈り物も快く侍女も手にすると思うのです」


 寄付品はあくまでお古。

 とは言え公爵家に仕える侍女たちだ。

 安物は使っていないので、きちんと整えて寄付すればまだまだ使えるはず。


「ヘアブラシと衣装用のブラシ、あと靴用のブラシが五つもあれば足りるかしら?」

「まぁ、まぁ…………! お心遣い感謝いたします」


 どうやらこの言い訳で受け取ってくれる気になったらしい。

 帯同して来た侍女たちには、伯爵家に戻ったら話さなければ。


 思い入れのある物であったら私の物を寄付しよう。


「しつれ、失礼します! い、院長!」


 和やかな雰囲気になった時、修道女が慌てて入って来た。


 来客中にノックもないのは不躾だけれど、そんなことを叱れないほど狼狽している。


「どうしたのです? まぁ、なんですか?」

「おい、お出でに、お出でに!」


 修道女は慌てたまま院長を引っ張って行ってしまう。

 歳の院長は抵抗できず、引かれるまま私たちに謝って出て行ってしまった。


「ふむ、外から馬車の音がしていた。招かれざる客でも来たか?」

「そんな音していたかい?」


 異変の予兆を感じていたロジェに対して、ジルは首を傾げる。


 何か悪いことが起きているなら探るべきかしら?

 そんなことを思っていたらラシェルと目が合った。


「イレーヌのほうが聖女を名乗ればいいのに」

「ラシェル? 何を言っているの。聖女はあなた以外にいないわ」

「あ、ごめんなさい。口に出してた? あの、私、寄付なんて全然思いつかなかったから、聖女もきっとイレーヌなら上手く、続けられていたのかなって思ってしまって」


 恥ずかしげに言うラシェルだけれど、聖女を続けられなかったことは謝ることじゃない。

 というか、新王やシヴィルこそラシェルに謝るべきだ。


 いえいえ、そうじゃないわね。今はラシェルの落ち込みよ。


「私はラシェルが気づいたから次善策を提示しただけよ。こんな手回し、貴族の術であって聖女に必要な素養じゃないわ」

「でも、できないよりできるほうがいいでしょう?」

「ラシェル、あなたの責任感には感服するし敬意を抱きもするわ。でも、なんでも自分でしようとするのは間違いよ。できる人、得意な人がやればいいのだから」


 言ってもラシェルは困ったように笑うだけ。

 今は結界維持から離れているので、こう言ってもラシェルの無力感は払拭できないのだろう。


 ここはラシェルにできることをさせて自信を取り戻してもらおう。


「私、髪を解くのにも服を整えるにも靴を磨くにもブラシを使うことは知っているのよ。でも、やり方を見せろと言われたら困ってしまうわ。何せ、やってもらったことはあっても自分でやったことは数える程度なのだから」


 ラシェルは曖昧に頷く。

 どうやら通じなかったようだ。


 ここは貴族的な言い回しではなく、素直にやってほしいことをずばり言おう。


「寄付したブラシの使い方、手入れの仕方を教えてあげてくれないかしら、ラシェル?」

「あ、そう、そうね! えぇ、それなら私もできるわ」


 理解した途端に明るく笑うラシェルの素直さに、思わず私も笑みが零れた。


「お喋り中悪いが、どうも様子がおかしいぞ」


 ロジェが頃合いを見計らってそう言った。


 私とラシェルが座って話している内に、ロジェとジルは扉のほうに立っている。


「言い争うような声がする。たぶん院長がこっちに来ようとする誰かを止めてるんじゃないかな?」


 ジルは、扉に耳をつけてそう言った。


 ほどなく、私とラシェルにも聞こえる重い足音が近づいて来た。

 同時にロジェがジルを扉から引きはがす。


「軍靴だ」


 ロジェがそう言った途端、室内を確認することなく扉が乱暴に開かれた。


 ロジェが引きはがしていなかったら、ジルは強かに扉に打たれていたことだろう。


「この国ではノックをしないのが普通なのか、ジル?」


 扉を開けた騎士風の男が何を言う前に、ロジェが皮肉を投げかけた。


 私は一息遅れてラシェルを背後に庇う。

 長身のジル越しに私たちを見た騎士はたぶんラシェルの顔は見ていない。


「まぁ! なんて無礼な! この方々は我が院に奉仕活動をなさりに来てくださっているのだと説明しましたのに!」


 騎士の後ろから院長の抗議が聞こえる。

 それに答えたのは騎士とは別の人物のようだった。


毎日更新

次回:救貧院の公子

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