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22話:ボルボーという国

 海が近いのか潮騒が風と共に通り抜ける。

 私は小道に立ち尽くしていた。


「…………何、あの人?」

「僕は一度も何も言われなかった…………」


 私の呟きに続けて、ジルが悄然とぼやく。

 確かにロジェはジルには一切触れず去ってしまった。


 恰好から公国の貴族だということくらいはわかるはずよね。

 その上で相手にしなかったのは…………。


「ただの女好きね」


 断言してしまいましょう。

 突然口説くだとか惚れただとか軽々しく言うのですから、えぇ。


 けれどラシェルは私とは違う意見のようだ。


「そうかしら? 隣国の王子さまなのでしょう? 何か深い事情があってお忍びをされているのではない? ニコラ殿下とはずいぶん違ったけれど」


 ラシェルは基本的に誰かを悪く言うことはない。

 それに比較対象が違いすぎる。

 生まれながらに後継者として、国を担う者として教育された方と比べるのは可哀想だ。


 …………中身の残念さは置いておいて。


「イレーヌ、ボルボー王国はどのような国なの? あんな風に飾らない王室なのかしら?」

「ボルボー王国は王族と言っても以前あった国の一貴族からなり上がった家で、王統の教育などあってないようなものなの」

「北の侵攻に無条件降伏しようとする勢力を倒して新たな国を作ったんだったかな? 確かボルボー王国を名乗ることにヴァルシア王国は難色を示したんだったね」


 有力貴族の子弟なので、ジルはさすがにボルボー王国と我が国の関係を知っていたようだ。


 そして王都の教会暮らしで外交に疎いラシェルも気づく。


「あら、歴史上にボルボー大公と言う方がいらっしゃったはずね。ヴァルシア王国はそのボルボー大公の系譜ではなかった?」

「そう。我が国の王室は最後のボルボー大公の孫娘を妃に迎えてボルボー大公領を継承したわ。あちらは建国に当たって古い血筋の権威を借りたかったのでしょうけれど、あまりに我が国への配慮がないと問題になったの」

「継承した王国を差し置いてボルボー大公の名前を使うならそうなるだろうね。ちなみに、本当にボルボー王国王家は大公の血筋なのかい? 最初、ボルボー王国からボルボー大公の末裔であることを証明してほしいとヴァルシア王国に要請があったと聞いたけれど」


 ジルは十年前のやり取りについても学んでいたようだ。


「えぇ、辿ればボルボー大公の傍系から発した家ではあるのよ。だから名乗ることは不自然ではない。けれど国名まで名乗るのは、そのボルボー大公の遺産を有する我が国に喧嘩を売るようなものね」

「えっと、つまり、あのロジェという方とはお付き合いすべきではないのかしら?」

「え!? あ、あの王子に興味があるのかい、ラシェル!」

「ジル慌てすぎ」


 私は声を高くするジルに釘を刺して、ラシェルの疑問に答えた。


「そういう諍いの種を自ら撒いたボルボーに対して、ヴァルシアでは礼儀知らずだと言われているから、懇意にしてもいい顔はされない相手よ」


 ただほぼ自力で国を覆し、北からの侵略に耐えたその力は本物だ。

 それだけボルボー王国の軍事力は侮れない。

 そのため、ヴァルシア王国は不快感を表明することはしても、ボルボー王国と表立って争う気はなかった。

 元より、敵の敵は味方。

 ボルボー王国と我が国が争って喜ぶのは、北の敵だけだ。


 まぁ、こんな政治的な話しはラシェルに言わなくてもいいでしょう。

 聖女は国の安寧のため祈ることが仕事だ。

 王妃になる必要もなくなったのだから、面倒な国際情勢など聞き流していい。


「いつまでもここにいるわけにはいかないわ。戻りましょう」

「あ、ジルが言っていた景色を見損ねたわ」


 道を抜けたすぐそこだけれど、今はラシェルの安全が第一。


「また来ればいいよ、ラシェル。今回は戻ろう」


 そう促すジルを盾にして道を戻り、私たちは誰に邪魔されることなく別荘へと帰った。


「私、この国から出たほうがいいかしら?」


 戻って一息ついた時、ラシェルがそんなことを言い出した。

 ラシェルなりにすぐさま聖女とばれる現状を鑑みた結果なのだろうけれど。


「あんな目にはもう二度と遭わせないと誓う! 嫌なことがあるなら改善するから言ってくれ!」

「落ち着きなさい、ジル」


 私はあからさまに慌てる広い背中を叩いて座り直させた。


「ラシェル、別にここにいてもいいし、他へ行ってもいいわ。ただ行く先は知っておきたいところね。行ってみたい国でもできた?」

「そういうことじゃないわ、イレーヌ。それにここはとても素敵。海の光りをバルコニーから眺めて往来する船を見るだけで飽きないの」

「えぇ、私もこの伯爵家の別荘は素敵な場所だと思うわ。ラシェルが気に入ってくれたのなら嬉しいくらいよ。ただ今回のことで治安については思うところがあってもおかしくないわね」

「いいえ、あれくらい平気よ。それにジルも良くしてくれて本当に楽しいの。それに救貧院への手伝いもしているから、突然移動となったらせめて手紙くらい残したいと思って」


 ラシェルなりに国に戻れない身の上を理解している。

 今回初見のロジェにばれたことが危機感を呼んだようだ。


「そう、その救貧院。私も行ってみたいと思っていたのよ。次に行く時は私も一緒に行っていいかしら?」

「えぇ、もちろん。子供たちはみんな素直で聞き分けの良い子なの。でも、その分我慢してしまうところがあるようなのよ。私が手伝う間は、あの子たちに好きに遊んでほしいのだけれど」


 どうやら公国の救貧院にラシェルは心傾けているようだ。


 というか、親の現状を理解して遊ぶことに罪悪感を覚えるなんて、ラシェルみたいじゃない。

 本人は気づいていないけれど、これは親のために何かしようとする子供たちに親に振り向いてもらえなかった自分を重ねている節がありそうね。


「救貧院の者たちは大人も子供も君の来訪を心待ちにしてる! どうかこのままここにいてほしいと願っているよ!」


 ジルが拳を握って断言すると、ラシェルは照れたように微笑む。


「力になれていればいいと、思うわ」

「ジルも一緒に行っていると聞いたけれど、あなたは何をしているの?」


 聞けばどうやら外遊びの相手をしているらしい。


「教養深い二人が揃って何をしているの。ジルの体力だって並み程度なのに。あなたたち、外遊びの相手をするには役者不足よ」


 私の指摘にラシェルとジルは今さら気づいた様子で顔を見合わせた。


「遊び相手を務めるのなら、勉強を交えた遊びをすべきよ。その救貧院では読み書きを教えたりする? 計算は?」

「そうね、そうだわ! あぁ、ジル。どうして私思いつかなかったのかしら?」

「いや、僕もだよ。遊びながら学ぶのか。だったらまず文字を覚えるためにカードゲームでも作ってみよう」


 ラシェルとジルはそのまま二人してどんな遊びがわかりやすいかと話し合い始める。

 予想以上にラシェルはこの公国での暮らしを気に入っているようだ。


 問題となる新王を廃したところで、ラシェルが帰国を渋ればもっと大きな問題になる。

 定期的に移動して、他国への愛着は薄くしたほうがいいとは思う。

 けれど友人として聖女に守られる国民として意思は尊重したい。


「イレーヌ、カード捲りなら文字を覚えることに使えないかしら?」

「えぇ、いいアイディアね。イラストをつけてもいいかもしれないわ」


 私は楽しげなラシェルに答えつつ現状を維持する方向で考えを纏めることにした。


毎日更新

次回:救貧院

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