14話:脳筋お兄さま
公爵家の家族専用の居間でコーヒーの香りを楽しんでいると、荒々しい足音がした。
「イレーヌ! イレーヌは何処だ!?」
大音声に思わずため息を吐くと、兄のパトリックが駆け込んでくる。
私は給仕をしていた使用人たちに手を振って退出を命じた。
「ずいぶん騒がしいね、パトリック」
「お、お前!? どうして王都にトリスタンがいるんだ!?」
私とコーヒーを飲んでいた弟の姿にパトリックは指を差して驚く。
「叔母さまの所へ毎年旅行へ行っているでしょう? 今年はトリスタンもどうかと話していたのです。パトリックも同行なさる?」
「そんな話はどうでもいい!」
身長は女の私と同じくらいで、男性にしては小さいパトリック。
さらに筋肉で肥大化し余計に縦への印象が小さくなっているものの態度は大きい。
「カロリーヌの実家に賠償金の一括払いを命じるとは何事だ! しかも追徴金まで!」
「全て取り決めのとおりに粛々と進めております。異論があるようでしたら手続きを委任している法律家の下へどうぞ」
パトリックは苛立ちのまま手近な卓を殴る。
飾られていた花瓶が落ちて甲高い音を立てた。
「あー、勿体ない。絨毯まで濡れてしまったじゃないか」
「黙れ、トリスタン! 俺はイレーヌの非道を問い質しに来たんだ! 我が家の未来に影を差すような問題の前に花瓶の一つくらいでうるさいぞ!」
「我が家の未来? それは大変なことでしょうね」
「大変!? お前が聖女に不敬を働いた上に、聖女の実家を困らせるような底意地の悪いことをしているせいだろうが!?」
「請求理由については、あちらにお送りした書類にすべて記載されております」
「あんな嘘だらけの理由で誤魔化されるか! お前が協力を求める聖女を愚弄して区長と共にその地位を追い落とそうとなんてしたからだろうが!」
どうしてそんな話になっているのかしら?
シヴィル、あれだけ人がいたのにそんな嘘罷り通ると…………、思った上にこうしてパトリックは騙されているのよね。
「「はぁ…………」」
溜め息を吐いたらトリスタンと重なった。
そんなことにもパトリックは怒りを募らせる。
「馬鹿にしているのか!? 目上を敬うこともできない、賢しらぶって可愛げもない! そんなだから婚約者に捨てられるんだ! みんな言っているぞ! お前は自信過剰で傲慢な振る舞いから誰にも相手にされず行き遅れだとな!」
私は今年十八。
四年前の婚約解消から結婚の機会もなく、そうした陰口があることはわかっている。
「…………だからと言って婚約解消の理由になったあなたが、それを言うのですか、パトリック!?」
理不尽に対する怒りを抑えきれず、私は正面から兄を睨む。
私が怒ってから思い出すな!
馬鹿か!? 馬鹿なのね!? 救いようのない!
「婚約者のある身でありながら、浮気をして相手を孕ませ、なおかつそれを咎めた婚約者に暴力を振るって男性恐怖症にまで陥れた加害者が、他人を非難できる立場にあると!?」
「い、いつまでも昔のことを!」
「昔!? ではその昔に課された慰謝料と賠償金の支払いをいつまでも終えないあなたと妻の実家は、償いをいつまでも終わらせないだらしのなさだと?」
「あんな額たった四年で払いきれるか!」
「四年はパトリックにとって昔ですか、たったなのですか?」
トリスタンが突っ込むとパトリックはまた卓を殴る。
「女一人に大袈裟なのだ! だいたいカロリーヌと俺の息子を認めないといつまでも本家にも入らせないような嫌がらせをし続けるくせに! 他人をとやかく言えないのはお前たちもだろう!」
「それ決めたのは当主であるお父さまですよ。不服があるのでしたらご本人へ。それにあの家への慰謝料と賠償金の請求は元婚約者の家から行われているもので、公爵家は代行を委任されているにすぎません。イレーヌを罵っても何も変わりませんよ」
事実を告げるトリスタンに腹を立てたパトリック。
また殴られた卓は天板を支える部分が折れて曲がる。
「女一人などと本当に事態がわかっておりませんのね。そんなことだからいつまでも妻子を認められないのです。言っておきますが、加害者の妹である私を抜いても、あなたの行動で害を被った女性は五人、それに伴い不利益を被った家は六つ、さらにすべて相手のいる話でしたので、実数は倍以上になります」
「何を言っているんだ?」
「本当にわからないのですか? あなたのあまりに非道な婚約破棄騒動のせいで、そんな者が継嗣の家と縁続きにはなりたくないと婚約解消された親類の女性たちですよ」
「は? そんなの聞いたこともないぞ!」
「言わずとも察せるほど親族内では大変な騒ぎだったというのに。本家の集まりに顔を出さなくなった従姉妹、避暑地に我が家を招かなくなったはとこたちのことをなんだと思っていたのですか?」
表情からそう言えばいなかった、くらいの認識のようだ。
毎年の集まりにも代表一人しか来なくなっていたのに、継嗣として駄目すぎる。
「なんだか不安になって来ましたね。パトリック、賠償金が何故請求されているかわかっていますか?」
「またそうして賢しらぶって俺を馬鹿にするつもりか!」
反射的に怒鳴るなんて、これはわかっていないわね。
公爵家継嗣の婚約者になる女性の家もまた力のある名家で、我が家と姻戚のある家さえも大なり小なり害をこうむっているというのに。
「パトリック、何故イレーヌほどの女性が未だに婚約もしていないと思っているんです? 加害者家族として自らにきた婚約話を、従姉妹やはとこに譲っているからですよ?」
逆に何故一緒に住んでいないトリスタンがそれを知っているの?
ただ言えるのは、トリスタンでも知ることのできる内情を、同じ王都に屋敷を構えるパトリックは知らなかったことだ。
「そ、そんなことで俺に恩を売るつもりか! 浅ましい!」
一殴りで卓はもう完全に天板がもげてしまった。
寄木細工の施された芸術品なのに。きっと弁償する気などない。
「ともかく! 一緒に来て聖女に非礼を詫びろ! そしてカロリーヌの実家に頭を下げて賠償なんかが間違いだったと訂正するんだ!」
「しません。私はあの自称聖女に詫びることもなければ、賠償請求に過誤があったとも思いませんので」
「いいから来い!」
パトリックが不躾に寄ってくると、分厚い手を伸ばした。
これだけ力尽くということはやはり王太子の権限でもどうにもできなかったのだろう。
同時に一度に請求されるとカロリーヌとシヴィルの実家は傾く。
王太子の妻の実家が債務不履行など醜聞でしかないわね。
「ぐぁ!? け、結界!?」
私とトリスタンを包む陽炎のようなドームが現われる。
聖女の素養を持つ者は大なり小なり作れる結界だ。
「どんなに腕力を鍛えても、これを素手で崩せた事例は歴史上ありません。私にご自慢の力尽くが通じないと、いい加減学んでください」
昔から力自慢ではあれど、頭は悪くなかったはずで、継嗣教育もきちんとしていた。
なのにどうしてこうなったのかしら?
パトリックが無駄に結界を殴るけれど、陽炎のように儚く見えて結界は全く揺らがない。
「パトリック、これがイレーヌの本気じゃないことは知っているでしょう。慰謝料の工面について法律家と話し合うほうが建設的ですよ」
「くそ、くそ、くそ、くそ! 馬鹿にして! いいか!? 俺が公爵になった時、お前たちの居場所があると思うな!」
パトリックは捨て台詞を吐くと肩を怒らせて去る。
その後ろ姿にトリスタンは頭を抱えた。
「あの人、自分が今危機的状況にいることわかってるんですか? この期に及んで公爵になれると頭から信じているなんて」
「ここまで何一つ、自力で始末をつけていないところにあれでは、こちらも先を見据えて動いておいたほうがいいかもしれないわね」
「イ、イレーヌ? あ…………、怒り心頭なんですね」
顔を引きつらせるトリスタンに私はただ微笑みかけた。
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