98話:聖女の帰還
私が結界の壁を維持しながら横に避けると、後ろからラシェルが歩み出る。
「聖女…………!」
反乱軍が動くけれど、私の結界は越えられない。
「くそ!? なんだこの硬さ! こいつらの作った結界は叩き割れたのに!?」
反乱軍は乱暴に武器を振って結界を壊そうと騒ぐ。
けれどラシェルは目もくれずに聖女の御坐所へ進んだ。
「ラシェルさん!」
そこに区長が阻むように声を上げた。
「私を助けなさい! そうすればまた聖女にしてあげます!」
ラシェルは結界を隔てて区長のところで止まる。
声に反応したことで区長は勢いづいてしまったようだ。
「シヴィルさんは全くなっていません! 聖女というものへの理解も薄ければ、祈りへの集中力もない! 日々の研鑽で改善するのだと言っても聞く耳さえ持ちません!」
素養があればすぐに聖女の役割をこなせるわけではない。
だから賦役を課して、短くとも一年の修道生活で聖女としての素養を磨くのだ。
その中から素養の高い者を見つけて聖女とするのが中央教会だった。
「毎日聖女の務めをするように言っても、大事な役目を面倒などと! だいたい誤魔化しばかりで実のないシヴィルさんなんて最初から聖女の崇高な務めは重すぎたのです! 聞けば王妃として学ぶべきことからも逃げ回っているとか! 何もかも! シヴィルさんが望むのは分不相応なものばかり!」
まだ反乱兵に捕まっているのに、本当によく喋る方。
私は結界を維持したままラシェルのほうへ歩き出す。
後ろにはぴったりロジェがついてくる。
守ってと言ったのはラシェルのなのに。
「それに比べてあなたは従順で役目を厭うことなどなく、目上を敬う当たり前のことができていました! あなたのほうが聖女には相応しい! それを私が保証してあげましょう! ですからすぐにこの不逞の輩を拘束しなさい!」
「ラシェル、行って」
「…………うん」
「お待ちなさい、ラシェルさん!?」
歩みを再開するラシェルに、区長が騒ぐ。
一時的に結界を重ねがけして、私は防音性を高めた。
ラシェルは雑音に惑わされず真っ直ぐ聖女の御坐所へと近づく。
すると見たことのない変化が聖女の御坐所に起こった。
「聖女の御坐所が、招いている?」
入り口には光のカーテンのようなものがいつも揺らいでいた。
風もないのに揺れているのが普通だった。
けれど今は聖女の御坐所の内部から強風を受けたカーテンのように、大きく御坐所の入り口が開いている。
まるでラシェルが戻るのを待っていたかのように。
「…………主はあなたと共に」
思わず聖女を讃える祈りの文句が口から洩れる。
すると背後で衣擦れの音が波のように立つ。
「主はあなたと共に」
反乱民が膝を突いて祈りの姿勢で、私と同じ言葉を口にした。
私が張った結界は左右を覆うだけ。
そこに重ねて防音をした。
だから背後の者たちには私の声は聞こえていたのだ。
「聖女…………、あぁ、主はあなたと共に…………」
ラシェルが聖女の御坐所に入ったのを見届けて防音の結界を解くと、反乱軍のほうでも祈りを口にする者がいた。
代表者も、聖女を人質になんて言っておいて動かない。
…………けれど一人だけこの神秘としか言いようのない光景にも心動かされない者がいた。
「…………な、なん、なんたること! イレーヌさん! いったいラシェルさんに何をしたと言うのです!? 私を無視するなんて!」
「はぁ、呆れますわね。それは本気のお言葉ですか?」
区長は私を睨んでいる。
まぁ、本気なのでしょう。
区長と呼ばれる人間がまさかここまで信仰心がないなんて私のほうがどういうことかを聞きたいくらいよ。
「国を守るために戻った聖女が、何故あなた一人を相手にしなくてはいけないのです? あぁ、聖女にしてあげます、でしたか? なるほど、あなたにとってラシェルは自分が聖女にしてあげた、自分を無視することは許されない存在と思い込んでいらっしゃるのね」
「私は聖女を選び、その生活を支える者です! その長です! 当たり前でしょう!?」
「だからご自身で追い出しておいて、立場が悪くなったら気分で呼び戻していいと思っていらしたのね。聖職者にあるまじき思い上がりを恥じることもないなんて。けれど納得もしますね。どうりであなたからは一度もラシェルの身を心配する言葉が出ないわけです」
「なんたる侮辱!? 追放したのは陛下であって私ではないというのに! 罪を擦りつけるだなんて!」
「以前にも言いましたが、いつどこへ追放するとも言われていないのに、区長の座を降ろすと脅されただけで、即日修道院から追い出したのはあなたではないですか」
「私はただ臣民として陛下のお言葉に従っただけで! どうしても私を悪者にしたいのですか!? なんて心の醜い! そんなあなたが囲ったせいで、ラシェルさんは聖女としての徳を失くしてしまったのですよ!?」
「善人や聖人であるとは思いません。ですが、ラシェル以上に聖女に相応しい者がいるとも思いません。ラシェルが聖女としての徳を失くした? つまりあなたはラシェルを聖女に相応しくないとおっしゃるのね?」
揚げ足を取ったくらいでは、もちろん区長は黙らない。
けれどこれ以上相手にするのも馬鹿らしい。
「それ以上の言い訳は司教さまへどうぞ。何故あなたは司教さまより自室からの外出を禁じられていたのにもかかわらず聖堂からこちらへ? まさか本当に信徒を捨てて王都から逃げ出そうと?」
まず区長がここにいるのがおかしい。
私たちは聖堂で争った跡を追いかけて来た、つまり最初は聖堂にいたのだ。
「こ、この非常時に祈りの場を守るために動いて何が悪いと言うのです!?」
別にそんなことは言っていない。
けれどこれで司教には区長を罷免する口実ができたという事実確認だ。
それだけのつもりだったのだけれど、思わぬ方向から声がかけられた。
「俺たちが聖堂に入った時、そいつら祭具を盗もうとしてたぜ」
反乱軍の代表がばつの悪そうな顔をしながらそう言った。
「あぁ。だから祭具を投げるなどという不信心なことを」
「言いがかりです! 私たちは希少な芸術品でもある祭具を暴徒の手から守るために!」
結局投げているのだから、信仰心の程度は知れる。
そして私たちということは、他の捕まっている修道女も同罪であることを白状してしまっていた。
私は区長を放置して代表に視線を向ける。
「まだ抵抗をなさる?」
「いや、聖女さまがあそこに入った途端、勝つためには卑怯な手なんて使ってなんぼって考え吹っ飛んだ。信じられないかもしれないが、聖女さまに手を出そうなんて気はもうない」
王都の守りの中心なのですぐに効果があったようだ。
もうここにいる反乱軍に戦闘継続の意思はない。
「では武装解除と共に、その方たちはあちらに引き渡してください」
私は聖堂に続く廊下とは別の方向を指す。
そちらからは司教を先頭に聖騎士がこちらへと走って来ていた。
王都の守りの発動を知って駆けつけたのだろう。
あの顔ぶれで固まっていたとすれば避難して来た信徒を守っていたのかもしれない。
王都の守りは問題なく機能している。聖女の御坐所の中のラシェルにも異変は見られない。
これならラシェルと交代しなくても結界の維持は大丈夫そうね。
さて、私も動かなくては。
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