95話:友のため
ラシェルだけ逃がそうとした私に当人が不服を申し立てる。
「イレーヌが残るなら私も残るわ」
「ラシェル、今は危険よ。この反乱が収まってからがあなたの出番じゃない。ここを乗り切った後、あなたがいないと」
「もし、私が反乱のただなかに巻き込まれたら、イレーヌはそう言われて逃げる? イレーヌはそんな人じゃないでしょ」
ラシェルが責めるように私を見る。
あなたは私と違って聖女だから、なんて言えない。
友人として、見捨てるわけにはいかないと言ってくれている。
その気持ちを否定したくはない。
「私は聖女よ」
今まで自分からそう名乗ったことのなかったラシェルに、私は驚いた。
「この国を守るためにいるの。守られているばかりではいけないはずよ」
私には打算がある。
それと同時に友人を危険から遠ざけようという思いもある。
そしてラシェルが私を助けようとしてくれるのは友人だからだ。
同時に使命感もあって、残ると言っている。
単純に危険を説いても退いてはくれない。
「…………そう言われると、否定できないわ。けれど聖女であると言うのなら、なおさら今じゃないのよ」
王都で起きた反乱は、確かに国体を揺るがす由々しき事態だ。
けれど今王都にいるだけが、全ての反乱軍でもある。
長続きはしないとわかる者にはわかる状況は、まだ最悪じゃない。
けれどこの反乱軍によってラシェルが再起不能になってしまえば?
それは誰の目にも最悪の結果だとわかる。
きっと、聖女を名乗ったラシェルも、そのことはわかっているはずだ。
「シヴィルも聖女の御坐所に入らず、結界維持には普段よりも負荷がかかるはずよ」
「シヴィルさんが長く結界の調整をせずに、反動で気を失ったらしいと言うのは聞いたわ」
「区長が聖女の素養を持つ修道女を何人も入れて揺らぎは酷くなっているはずよ」
手紙では伝えていなかった区長の暴挙に、ラシェルも驚く。
訳あって長く聖女の御坐所を離れた聖女は過去にいた。
その記録によると、普段は祈祷文を口ずさんで祈るような短時間の集中で済んでいた結界維持だったという。
ところが長く離れた後はまるで穴の開いた桶に水を汲むようだったと書き残されていた。
当時の聖女個人の感覚なので何処までかは推し量るしかない。
ただ負荷が増大したことは確かなのだ。
けれどラシェルは余計に決意が固くなったような顔をする。
「命に関わることはないとでも言うのなら、違うわ、ラシェル。敵に囲まれた状態で気を失うことの危険を考えて」
教会は王城近く。
聖女の御坐所にラシェルがいると知られれば反乱軍が来る可能性がある。
そこで捕まれば結界維持どころではない。
聖女の御坐所に素養のない者が入れないにしても、三日寝込んだ聖女の例もある。
きちんと守れる状況を整えてからでなければ…………。
「…………イレーヌが見落としだなんて珍しい」
ラシェルが思わぬことを呟いた。
それにジルも頷く。
「それだけラシェルを心配してるんだろう」
「何?」
「イレーヌ、私が行って王都の守りを起動させれば、騒擾を鎮められるわ。敵の心配はないはずよ」
「あ」
そうだ王都の守りには鎮静効果がある。
そのために私も起動しようと考えていたのに、頭から抜けていた。
ジルの指摘どおりラシェルの安全第一で、私は自分が思うより冷静ではなかったようだ。
確かにここで逃げるよりもラシェルが行ったほうが危険な状況をいち早く鎮められ、国を守る結界の調整にも入れる。
顔を覆って黙る私にラシェルとジルが笑い合う。
「ね、イレーヌ。お願い、私にも守らせて? 国のために働きたいの。そしてそのためにはイレーヌの協力が必要なのよ」
ラシェルは私が中央教会をそのままにしているとは思っていないようだ。
その信頼に応えたくなる。
「ラシェル、確認よ。以前二十日ほど別荘地で滞在した後、聖女の御坐所に入った時に変調はあった?」
「過去の聖女の記録でそう言うこともあると覚悟していたけれど、なかったわ」
私も聞いた覚えがない。
過去に寝込んだ聖女はいても意識を失うことは報告されていない。
けれどシヴィルが倒れたという前例ができてしまっていた。
「感覚的な違いは?」
「えーと、例えば目の前で揺れてる縄があるとするでしょう? それをいつもなら一度手を伸ばせば確かに掴めるの。けれど離れた後だと感覚を忘れたように、なかなか掴めないようなもどかしさがあったわ」
また個性的なたとえね。
けれど普段容易だったことが難しくなったという意味は通じる。
そう考えると過去の聖女と同じと思っていいかしら。
ただ受ける印象から負荷は軽そうにも思える。
「時間をかけてゆっくり集中すれば平気なくらいよ。倒れるような心配はなかったわ」
「集中…………そう言えばラシェルは結界維持のために集中すると言っていたね」
ジルはこんな時にまで考え込む。
「聖女の結界維持に必要なのは集中力? けれどそれで倒れる? 気力か? いや、それとも…………」
どうやら聖女の結界の不思議に対する考察をしているようだ。
結界維持に消費される聖女の力とは何かを以前にも考えていた。
もちろん私もその辺りは気になる。
なので故国を案じるラシェルの気を逸らすために、手紙でジルに協力して研究を一つの形にしてくれるように伝えた。
そんなに経っていないから形にする前にこうして帰ってきてしまったけれど。
「集中、そう言えば聖女の御坐所での祈りを嫌がるシヴィルに、区長も集中が足りないと言っていたわね」
集中力は聖女の素養として必要なのかしら?
だとしたら区長は案外経験だけは確かなのかもしれない。
「二人とも、今は学問の時間ではないと思うの。まずはロジェを助けましょう」
「「あ!」」
ラシェルの言葉で私もジルと一緒に考え込んでいたことに気づく。
窓を振り返るとロジェたちは反乱民に包囲を縮められていた。
どうやら不毛な言い合いに疲れて反乱民は実力行使に動こうとしているらしい。
けれど一部は本物の軍人なので包囲するだけで動けないと言ったところ。
「イレーヌ、結界を消してちょうだい。後は私が」
「わかったわ。行くわよ。三、二、一」
合図を送って私は張っていた結界を消す。
同時にラシェルは我が家周辺を結界で覆った。
私の結界が児戯のように思える範囲だ。
光に覆われて慌てる反乱軍に対して、ロジェは一度見ているので冷静だった。
「お前たちの敵はここにはいない! それとも国を守る聖女を殺すためにその手に武器を持ったのか!?」
闘争心は抑制されるはずの結界の中、ロジェは勇ましくそんなことを言う。
「聖女さま?」
「あぁ、本当に聖女さまだ。見たことがある」
「どうしてここに、いや、俺たちは…………」
「お、俺たちだって代官さまを助けるために」
「けど別に聖女さまをどうこうは…………」
聖女の結界に茫然としていた反乱民は戸惑いを見せた。
それぞれが話し合い、そしてほどなく武器を降ろして沈静化する。
王都の守りと同じことを、ラシェルは身一つでやってみせたのだった。
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