1話:聖女追放
聖女の結界に守られ魔物の害も最小限に暮らせるヴァルシア王国。
王都にある公爵家の屋敷にいた私はその日、急報を受けた。
飲んでいたお茶を吐き出さなかった自分を褒めたい。
「も、もう一度言ってくれるかしら?」
カップを戻して口を拭いながら、私は焦りを押し殺しきれず聞き返した。
そんな反応に駆け込んで来た侍女も驚いて正気を取り戻し、息を整える。
「はい、イレーヌお嬢さま。ただ今、手の者を走らせていますが、教会より、聖女さまが出奔なされたと報告が入っております」
「どうしてラシェルがいきなり教会を飛び出すの!?」
聖女ことラシェルは私の友人であり、意味もなくそんなことはしない人物。
そのラシェルが出奔したのなら教会で並みならぬことが起こったはずだ。
「それが、王太子殿下が教会で面会をなさっていたこと以外不確かなようです」
「それをお父さまには?」
「はい、旦那さまも事実確認と王城における対応に向かわれました。旦那さまより、お嬢さまには聖女さまの保護をせよとのご命令を承っております」
「保護? 教会から出てうちへ向かっているの?」
聖女として修道院で清貧に暮らすラシェルは、男爵家の出身。
王都に実家の屋敷はあるけれど、娘のラシェルが聖女となった時に男爵家へ与えられた物。
ラシェルが住んだことはなく、それよりも友人として何度となく招いたこの屋敷のほうが馴染みもあるだろう。
「それが…………どうやら王都の門を出たことが確認されたそうなのです」
「王都の外に!? どうやって! いったい何処の馬車に乗ったの!?」
「…………徒歩です」
言葉が出ない。
身の回りのことは自分でやるよう育てられたラシェルは私より腕力はある。
けれど聖女になってからは座っていることも多く体力はないのだ。
なのに、徒歩?
「…………すぐに追うわよ! 馬車を用意して!」
外出用のドレスではないけれどそんなこと言っていられない。
別の侍女に靴だけは替えさせて私は馬車に飛び乗った。
御者と従僕だけを共に、王都の門を公爵家の家紋で黙らせ素通りする。
「イレーヌさま、どちらへ向かえば?」
馬車の後方に乗る従僕が指示を仰ぐ。
開いた小窓からは激しく回る車輪が小石を跳ね飛ばす音がした。
「ラシェルが実家の男爵領に帰るとは思えない。何も言わず徒歩で王都を出たなんて正常な判断ではないわ。となれば行先もなく道なりに歩いているはずよ」
「では門より真っ直ぐ進めます」
従僕が小窓を閉めて御者に指示を出す。
私は揺れる馬車の中、天井から垂れる紐を掴んだ。
事故の際など掴んで体勢を整えるための紐は、普通に馬車を走らせるだけなら決して使うことのない備品。
まさか使う日が来るとは思わなかった。
「男爵家だけは絶対ない…………。あんな弟ばかり偏愛する家。けれど私を頼ってくれないのはどうして? 殿下との関係で悩んだ時には、相談に来ていたのに」
王太子殿下が出奔のきっかけだと侍女は言った。
けれどいったい何があれば聖女が一人で、徒歩で! 王都を出て行くなんてことに?
考えるほどわからない。
そんな時小窓が外から叩かれた。
「どうしたの?」
「あの、たぶん、見つけました」
「え、もう!?」
「はい、あの…………修道服で一人歩いているんです」
「浅葱色ならそれよ!」
その人物を通り過ぎて馬車は停まる。
従僕が馬車の扉を開けるのを待たず、私は道に飛び出した。
「ラシェル!」
「え…………? イレーヌ? どうしてここにいるの?」
返事をしたラシェルは浅葱色の修道服を着た見慣れた姿。
怪我はなさそうだけれど見るからに着の身着のままの格好で、腕に抱えた布の包み以外何も持ってない。
「こんな王都が見えなくなるくらいの距離を一人で歩いてよく無事だったわね。さ、乗ってちょうだい」
「でも、私…………」
「何があったか聞かせて。それとも、私にも話せないこと? だとしてもあなたを一人で放り出すことはしないわよ」
「イレーヌ…………」
くしゃりと顔を顰めて泣きそうになるラシェル。
そんな表情一つさえ作り物のように美しい。
金糸よりも繊細に輝く白金の髪、清廉な泉のように澄んだ瞳、肌は白磁のように白く艶やかで、禁欲的な修道服が近寄り難ささえ感じさせた。
「本当に無事で良かったわ」
こんな絶世の美少女が一人で、悪い人間に見つからなくて本当に良かった。
私は馬車にラシェルを乗せて、御者には回り道で王都へ向かうよう指示をする。
「そう、そうよね。イレーヌにはお礼を言って出て来なくちゃいけなかったわ」
「お礼よりも、あなたがいきなり出奔した理由を教えて。私、あなたが王都を出たと聞いてともかく追って来ただけなのよ」
事情を知らない私に、ラシェルは言いにくそうに俯いた。
「…………あなたが出て行く前に、王太子殿下が訪問なされたとは聞いたわ」
「あ…………うん、そうなの。それで、それでね、私…………聖女の身分の剥奪と追放、それに伴って婚約破棄を申しつけられたの」
「…………うん? 聞き間違い? 誰が、聖女の身分を剥奪?」
「殿下が、命令書を持っていらして、区長さまもそれをお受け取りになったわ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。…………え? 区長は止めなかったの?」
私の確認にラシェルは頷く。
色々おかしい。
なんで国事行為を行える聖女の身分を殿下が剥奪?
しかも追放なんて刑罰じゃない。
婚約破棄はまぁ、いいわ。
「ねぇ、どうして素直に出てきてしまったの。おかしいとは思わなかったの? ラシェルが聖女をやめて、いったい誰が次の聖女になるというの?」
「それが、区長さまがおっしゃるにはちゃんとした命令書だというのよ」
「あの婆…………」
「イレーヌ、区長さまにそれはちょっと」
「権力かさに着て偉ぶりたいだけのお山の大将だとは思っていたけれど、まさか王太子の権力に屈したの? 俗世の権力には阿らないとか独立不羈がとか言っておいて?」
「イレーヌ…………」
ラシェルが居心地悪そうにしているので、私は一度口を閉じた。
区長と言う地位につく老年の修道女に思うことはある。
世俗の権力者の家に生まれた私をずいぶんと可愛がってくれた。
けれど今はラシェルの話を聞こう。
「ごめんなさい。できれば最初から話してほしいのだけれど?」
「えぇ、私もあの時は混乱してしまって。国の決めたことならと頭から信じていたけれど、イレーヌに相談すれば良かったわ」
ラシェルも慌てていたようだ。
だからって徒歩で王都を飛び出すなんて行動力はいらないのだけれど。
ともかく私たちは、王太子が教会へやって来た時から順を追って状況確認をすることにした。
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