母との再開
雪原の上に、母は倒れていた。
「母さん!」
周りが止める間もなく、母に駆け寄る。脈、はある。肩を揺すろうとして、思いとどまる。どんな状態か分からない。
手が氷のように冷たい。
…目を、開けてくれ。
冷たい手を握りこんでいると、母の手が微かに震える。綺麗な翡翠の瞳がゆっくり開いた。
「あ」
母から分かれて10年。俺は五歳の『リークちゃん』ではなくなっている。母は、俺が誰か分からないだろう。仕方のないことだ…。
「…リィちゃん」
「があざん」
よかった。うれしい。涙が止まらない。
「あら。リィちゃん、そんなに泣き虫だったっけ?」
母にからかわれ、抱き寄せられる。母親の胸で泣くなんて、成人した男のすることではないけど…ダメだ。
「が、あ、ざ、ん」
「赤ちゃんにもどっちゃったみたいね。よーしよーし」
「うえええぇぇぇ」
「はいはい。あなたのお母さんはここにいますよ」
散々泣き散らかした後、やっと落ち着いた。ここにいるのは母だけではない。恐る恐る顔を上げると、ちょっと離れたところから、仲間がチラチラ様子を見ていた。
スッと立ち上がる。母に手を貸して、助け起こした。
「あら、おしまい?」
「えー…っと。借りてる家があるから、とりあえずそこに行こう」
「はーい」
恥ずかしい。このまま母と姿をくらましたいけど、そうもいかない。チョイチョイと、仲間を手招きする。
「…いいか?」
「うん…」
キキョウと顔を合わせられない。
「ご無沙汰しております。リナリア殿」
「あなたは…キキョウちゃんかしら」
「はい。母もあなたのことを気にかけていました。ご生還、喜び申し上げます」
「ありがとう」
母は、チラッチラッと残りの2人を見た。
「リィちゃん、紹介してもらってもいい?」
「うん。魔導士のイベリス。神官のアザリア。2人とも、冒険者の仲間」
「仲間、ね。ありがと、リィちゃん」
母は二人に向き直った。
「2人も助けてくれたのね。ありがとう」
「ふっ。我が同胞の母となれば、我輩の母も同然。礼など…そんなにはいらぬ」
「はい、私は欲しいです。初めまして、神官のアザリアです。アザリーちゃんって呼んでもいいですよ?」
「分かったわ。イベリスちゃんに、アザリーちゃんね」
「わ、我輩はちゃんはなくて良い!」
イベリス、緊張しているな。
「あら?」
母の体が傾く。必死で傍によって支えた。
「ありがとう、リィちゃん」
「うん…早く暖かいところに行こう」
「そうね…。あら、足に力が入らない」
「背に乗って」
荷物を投げ出して、母を背中におぶさる。
「私の方が子どもみたいね」
「親孝行って言うんだよ」
「あ、難しい言葉を知っているのね」
「そんなんでもないよ」
コダストへ帰ろう。
母はびっくりするほど軽い。そして全身が冷たい。
「イベリス、魔導具の出力を上げて」
「分かった。…なあキキョウ。リークの奴、浮かれておるな」
「10年越しの悲願だ。無理もない」
「でもでも、私達のこと、ちょっとほっとき過ぎじゃないですか?」
「まあ…今は、仕方がない」
聞こえてる…。ここまで命懸けで付き合ってもらった訳だし、労うだけじゃ足りないくらいの恩はある。これから返していかないといけない。
けど、もうちょっとだけ、母に甘えさせて欲しい。
「ぎっ…ぎっ…」
引き摺られた元冬のなんとかがたまに出す変な音を聞きながら、俺達は母を連れてコダストへ帰還した。
「おかえりなさいませ、ご主人さま」
奴隷、改めメイドのアマリリスに出迎えられる。
「ただいま」
「奥さまが、リビングでお待ちです」
「マリ。ローズは奥さんではないよ」
「?」
いつものやり取りだけど、母に変な誤解をされそうで怖い。
母は俺の背中から降りて、自分の足で立った。今は肩を貸しているだけだ。
「リィちゃん。け、結婚してたの?」
「母さん。真に受けないで…」
玄関からすぐのリビングでは、ローズが待っていた。
「あら。お帰りなさい」
「ただいま」
「…あなたは、確か」
「お久しぶりです、義母様」
「久しぶりね、ローズちゃん…?」
「はい。色々お話したいこともありますけど…。寝室を用意していますわ。まずはゆっくりお休みになって下さい」
「こちらです。アマリリス、お茶の支度を」
「はぁい」
フランネルの案内で、母を寝室まで支える。
母はベッドに横たわり、長い溜息をついた。
「大丈夫?」
「大丈夫よ。…ちょっとビックリしちゃうことが多かったから」
母の見た目は、10年前から変化がない。時間の感覚も、そこで止まっているのかも知れない。
「リィちゃん」
「うん」
「お母さんがあの…魔導士に捕まってから、どれくらい経ったの?」
「10年」
「そう。リィちゃん、今、冒険者なのね」
「うん、金の冒険者」
「頑張ったのね」
「うん…」
「今度、ゆっくり、リィちゃんが頑張ったお話、聞かせてね」
「うん」
母はそこで喋るのを止めた。少しして、寝息を立て始めた。
「旦那様」
「ん?」
「リビングで皆さまがやきもきしながらお待ちですよ」
「なんで」
「それは、お返事のお約束の期限だからでしょう」
「あ~…」
もうちょっと先延ばしにしちゃダメかな。
「大丈夫だと思いますが。まあ、大戦争が起きる前に考えを纏めたほうがいいですね」
感慨に浸らせてほしい…けど。散々、ローズに至っては5年も待たせてる。猶予期間は終わったって考えたほうがいい。
「…母の傍を離れたくない」
「どうにかなったほうが面白そうなので、ボクはそれでも構いませんが」
どうなっちゃうんだろう。
…腹を括るか。




