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十歳・屋敷を出る

 いつもの、柵に囲まれただけの鍛錬場で、ガランと向かい合う。対人訓練を始めたばかりの頃は、ガランは徒手空拳だった。今では、右手に手甲を付けている。ガランがしぶしぶ手甲を付け始めた時は、俺の成長の証のようで嬉しかった。


 初めて会った時より、お互いに少しだけ歳をとった。俺の体は大きくなり、ガランはスタミナが衰え始めた。と言っても、背丈もスタミナも、まだガランの方が全然上。それに、ガランから学べる技術はまだまだたくさんある。


 ガランは右手の手甲を前に、ファイティングポーズをとる。口は軽薄に笑っているが、目は真剣。俺が、ナメて勝てる相手ではなくなったからだ。


 ガランが俺の足元を見る。フェイントだ。今なら分かる。なので、無視しよう。


 構わず攻め入る。一呼吸の間に一歩二歩、あと一歩で木剣の切っ先が届く。ガランの左手がひらめく、と見せかけて手甲で覆われた右手が、隠し持っていた小石を弾く。放っておくと俺の右目に直撃する。対応可能。頭突きで弾く。


 俺は真上から木剣を振り下ろす。同時に、落ちた小石をつま先で弾く。木剣を躱したガランの顎が通る軌道だ。


 企みは上手くいった。俺の木剣を躱したガランの顎に、小石が吸い込まれる。ガランは気付いていた。僅かに顎をそらし、小石が掠るだけになる。

 コンパクトに振り降ろした木剣を、素早く逆袈裟に切り替える。ガランは右手の手甲でガード。


 踏ん張ったな。


 一瞬固まったガラン。その隙に、左の足首を蹴りで狙う。ガランは逆に俺の足を蹴り返す。…足ではまだ勝てない。


 蹴り返されたものの、体勢を崩さない俺への追撃をガランは諦め、間合いを空ける。ガランは肩で息をしていた。


「まったく、やり辛くなったもんだ」


 俺は木剣をゆらりと揺らす。おしゃべりに付き合う余裕はない。


「…ホント、油断ぐらいしてくガッ!?」


 真上にとんだ小石、それを木剣の最小限の振りで撃ち出す。狙いは顎だったけど、当たったのは鼻。それでも、隙は隙だ。

 一歩で間合いを詰めて、木剣を振る。ガランは手甲で流すが、体勢は崩れた。苦し紛れの回し蹴りは肘で受け止め、ガランの腹に飛び込む。木剣の柄での一撃は、ガランのみぞおちに入った。




「あ~、やってらんねえ」


 くさはらに寝っ転がったガランが呻く。


「4年もチャンチャンバラバラやってれば、手の内も全部バレるってもんよっ」


 ガランは元々正面から戦うタイプではない。なんせ、元が盗賊だ。奇襲、逃走、隠れ身が本業。先手を取って手を潰し続ければ、優位に立てる。

 ガランの戦い方を全部知っても、そこから勝つまで1年はかかったけど…。


「ここまで付き合ってくれてありがとう」


「ふん、断れるわきゃないだろ。首の縄引っ張って連れてこられるんだから」


「それもそうだ」


 何だか可笑しくなって笑う。ガランも鼻で笑った。


「でも、これでお役御免かね」


「そう、だね」


 勝ったのは初めてだけど、近頃はほとんどが接戦だった。お互いの戦い方も知りすぎてしまったし、ここからは実戦訓練というより、ただの練習試合になってしまう。


「まあいいや。割のいい仕事だったし」


 そうだ。ガランは、盗賊時代の盗難被害を借金という形で負わされている。額としては返し切れるものではないけど、どうも本人は完済するつもりらしい。


「んじゃあ、あばよ」


 ガランは、『よっ』と飛び跳ねて体を起こす。


「うん。あばよ」


「…なっはっは」


 いつものように首輪と手枷をつけられて引っ張られていくけど、何となく満足げに見えた。


 十歳になった。もうすぐ寒季の誕生祝いだ。でも、その前に屋敷を出ようと思っている。


 


「ローズには何も言わないのかい?」


 屋敷のエントランスで、バードックさんが待ち構えていた。


 荷造りも、別れの挨拶も済ましているが…ローズを避けていたことはバレバレだったようだ。


「ローズの顔を見たら、母さんを諦めてしまいますから…」


 母を助けるために強くなった。でも、ローズの優しさや好意に応えてしまうと、きっと俺はそこで満足してしまう。

 …彼女から逃げるような形になってしまうのは、俺の弱さが原因だ。


「君はまだ十歳だ。市井の子だって、親の手伝いくらいはしているだろうが、その歳で独り立ちはしない。…王宮の方針に、君が不満を持っていることは分かっている。5年近く、消極的な調査しか行わないのだから、当然だ。だが、まだ子どもの君が、自分でどうにかしようと思わなくてもいいんじゃないか?」


「いいえ、バードックさん。俺じゃないとダメなんです。俺以外の人は、母さんと他の何かを天秤にかける。そして、母さんの方に傾くことはない。俺だけが、母さんを一番に想っている」


「君一人で、リナリア殿を助けられると?」


「いいえ…」


「なら、どうやって?」


「冒険者になって、仲間を集めます」


 この国には未開の地も多い。新しい土地を開拓するために、その土地の調査を行ったり、危険な魔物を間引いたりする職業が必要とされた。それが冒険者。氷雪に閉ざされた俺の故郷は、今最も開拓の求められている土地でもある。


「…冒険者には、真摯な志を持つ者もいる。だが”冒険者ギルド”には、ただの力自慢や傭兵崩れ、故郷を追い出された厄介者も多く在籍している。簡単に命を失う仕事でもある。そんなところに、飛び込んでいこうというのかね?」


 そう、危険な仕事だから、他に行き場のない人間が集まる。…そんな切羽詰まった人たちしか、『冬の王の領域に踏み込んで英雄になろう』なんて考えないだろう。


「母さんを取り戻すまで、死ぬつもりはありません」


「なら、この屋敷に残って、冒険者を雇って調査をさせてもいいだろう。君がローズの助けとなってくれるなら、領の施策として冬の王に挑んでもいい」


「それこそ、現実的ありません」


 一領地が組織立って侵攻すれば、きっと冬の王は見逃さない。今度はこの国全土が彼の領域になるかも知れない。

 それを最初からしないのは、したくない理由があるからだ。なら、何人かの命知らずが領域に迷い込んでも、冬の王は…多分気にしない。


「組織ではダメです。俺が公の立場になってしまったら、むしろ何も出来なくなる。なら、俺が自分で助けに行くしかない」


「君の聡明さを、今ほど厄介だと思ったことはないよ…」


 バードックさんが顔を手で覆い、嘆いた。俺が待っていると、バードックさんは顔を上げて道を開けた。


「いいんですか?」


「引き止めたいが、いや引き止めるのに失敗したが、その願いは君の骨子だ。我ら、ヴェスタリア領の英雄・リナリア殿の息子の願いを、私が奪うことは出来ない」


 こんなときまで、母に助けられた。


「それでは。お世話になりました」


「ローズのことは、君が何とかしたまえ。いずれ夫を探し、統治を任せるつもりだが…それを振り切って君の下へ行ったら…本当にどうにかしたまえよ?」


 バードックさんは喋りながら、泣きそうな顔になっていた。この人は為政者だけど、娘にはなんだかんだ弱い。俺もだけど。ローズに泣いて引き止められたら、振り離せる自信がない。


「……」


「……」


 しばし、同じような顔をしてバードックさんと見つめ合う。


「善処します…」


 バードックさんの情けない顔を振り切って、中庭に出た。


 そこで待っていたのは…フランネルだ。




「迷っていたのです」


「何を?」


 この底を見せない変態執事は、手を後ろに回したまま話し始めた。


「お嬢様のためにリーク様を引き止めるか、いっそリーク様に付いて行くか」


「なんだって?」


「付いて行った方が面白そうですが。お嬢様とリーク様のラブコメも見たい」


 ラブコメって言うな。俺は結構真剣に悩んだんだぞ!


「でも結局はローズ様を見捨てて行くのですよね?」


「うぐっ」


「あれだけ愛されて…それでも母親を取るなんて…なんてマザコンでしょうか」


 この執事、年々色んな事に遠慮が無くなってきている。5年経って、彼女も変わった。より強かに、より狡猾に。顔や体つきも女性らしくなり、蠱惑的な雰囲気も出てきた。涼しげな顔でニマリと笑うと、今では妖しい気配すら醸し出す。


「ボクにも全然靡かないし」


「人の服を盗んで臭いを嗅ぐ奴には靡かないよ?」


「まあ、それはそれとして」


 犯罪行為をアッサリ流したフランネルは、隠していた両手を前に出した。両方の手に、それぞれクナイのような暗器が握られていた。


「生意気なガキを叩きのめして、調教するのも面白いかなって」


「っ、この変態執事!」


 手に馴染んだ木剣を構えるのと、フランネルが暗器を投げるのは同時だった。


 まっすぐ飛んでくる得物を弾く。一瞬、フランネルを見失った。勘で足元を蹴り上げる。


「お見事」


 太ももに暗器が迫っていた。こわっ。


「昼日中の模擬戦ならボクは負けるでしょう。でも、夜はコチラの領域」


 日は既に沈み、辺りは薄暗い。真っ黒な執事服のフランネルの動きは、目では追い辛い。


 フランネルはまた2本、暗器を投げた。弾くと、また見失う。キキョウ師匠なら、真っ向からねじ伏せるんだろうけど…。


「俺は、まだそこまでじゃないからね」


 魔力を放出する。風を生み出し、体を竜巻で囲う。そよ風なんかじゃない。嵐だ。


 俺の背後に忍び寄っていたフランネルが、風に弾かれる。フランネルは確かめるように暗器を投げた。それも風が弾く。


「凄まじい。ですが、いつまで持ちます?」


 竜巻の内側に入られない限り、投げた暗器は怖くない。再び投げられる暗器に構わず、剣を振り上げて踏み込む。

 フランネルは生垣に飛び込んだ。それだけで、また見失う。


 このまま逃げ出そうか。ちらりと考えて、却下する。ここはまだ屋敷の明りが届くけど、外は月明りだけ。おまけに、外は腰の高さまで草の生えた草原。隠れるところは屋敷の中庭より多い。


 というか、なんで戦えるんだよ変態執事!


 時間稼ぎに逃げ回られて、俺の魔力が切れたら、必ずフランネルは仕掛けてくる。その時に…俺を導いてくれ、師匠!




 魔力が切れて、竜巻が解ける。途中、何度かフェイントで解いたけど、フランネルは乗ってこなかった。残りの魔力がバレているのか、フェイントが読まれたか…。


 足音、呼吸、衣擦れ、全て聞こえない。魔力切れで吐き気がするし、視界がにじむようにボンヤリする。だけど…懐かしい感覚が蘇って来た。


 暗器が空を切って、大気の揺らした。ただ木剣を合わせるだけ。弾かれた暗器が、明後日の方向に飛んでいく。2本、3本飛んできたけど、結果は同じ。


 不思議だろう。今にも倒れそうなのに、暗器はキッチリ弾く。結構投げてるけど、あと何本残ってる?


 正面にフランネルが立った。マチェーテのような、刃の厚い大ぶりな剣を持っている。流石に、それで切られたら俺死ぬんじゃないか?


 一歩一歩、フランネルはにじり寄る。ふっと姿が消えた。ただ屈んだ。視界が狭くなっていた俺は、また見失う。


 でも、人間なんて大きなものが動いたら、空気も大きく動く。フランネルは俺の背後に回った。ワンパターンな奴だ。フランネルが剣を振り上げた。合わせて、俺も動いた。


 まるで抱きつくように、フランネルに体を寄せる。フランネルはビクリと震えた。密着状態から、体の全ての動力を一部に集中させる。


「…はっけい」


 右上腕部を中心に、エネルギーを叩き込む。フランネルはポーンと吹き飛んだ。前世ではトラックを押し返した一撃だ。大分錆びついていたけど、それでも十分なダメージは与えられた。


 …俺は今世で新しい、魔力という力を得た。しかし、そのせいで前世で培った筋力から発するエネルギーを利用した拳法、陰陽相克拳が使えなくなっていた。魔力が強すぎて、微細な筋力エネルギーの感知が出来くなってしまったのだ。


「勝負あり、でいいか?」


 フランネルは、仰向けに転がって起き上がってこない。


「はい。体が動きません」


 はぁ…。切り札全部切らされた。身の危険を感じた時のために、奥の手を持っておきたかったんだけど…。


「底知れない人ですね…」


「ちょっとズルをしてるだけだよ」


 前世で作った隠し玉なんて、絶対見抜けない。


「それじゃ」


「はい。また、いずれ」


 変態執事のクセに、最後は随分としおらしい。


 中庭を出ると、もう引き止める人はいなかった…。

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