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引っ張るお嬢様と後ろをついてくる執事

 顔面に突っ込んでくる小石を躱すと、蹴り足が迫っていた。さらに身を屈めてやり過ごすと反対の足が、俺の顎を掬い上げる。とっさに額で受け、木剣で叩く。


 木剣はひょいと躱され、一気に5歩の距離を空けられた。今のやりとりにかなりの集中力を食われた。俺はもう肩で息をしているが、相手は準備運動にもなってない、と余裕そうだ。


 相手は、頭にターバンを巻いた、軽業師のような男。名前はガラン。バードックさんが俺の鍛錬相手に雇ってくれた、元盗賊。

 人を殺さず、身軽さと足技だけで貴族の館から盗みを働き続けた。お芝居のモデルにもなっていて、ある武人と一対一の戦いに追い込まれて捕まり、死刑になるところが、盗賊の対策に協力するという約束で逆に雇われることになった、すごい人だ。


 盗んだ物は全て借金という形で負わされており、死ぬまでに絶対返しきれないらしい。


 逃げたら即死刑。俺との鍛錬も、衛兵とフランネルに見張られながら行っている。


「いや、貴族の道楽かと思えば。よく反応するねえ」


 俺の相手をしながらも、視線は左右にぶれる。逃げるタイミングを計っているのか? ここは、屋敷の近くの草原の一部を柵で囲まれた、簡易な訓練場。柵は大人の背より高いが、この男なら楽々登れるだろう。


「これくらい凌げなきゃ、師匠にボコボコにされる」


 俺の今世の師匠はスパルタなのだ。前世の師匠は優しい人だったが、大人相手だとやはりボコボコにしていた。


「いい師匠だねえ。道場剣術とは一味違うっよっと」


 喋ってる途中で飛び込んできた。足元を掬う下段の回し蹴り。俺ならそのまま吹き飛びそうだ。

 分かり易く跳んで逃げるのはダメだ。この男の狙いはそれ。一拍、空中で身動きが取れなくなることを狙っている。踏ん張ることもできない。いや、踏ん張らない!


 蹴り足に対して垂直に木剣を立て、柄と刃の先を掴み、両足で跳ぶ。蹴りに逆らわず吹き飛ぶ。飛んだ先で受け身を取ってゴロゴロ転がる。

 素早く起き上がると、ガランはまだその場にいた。


「おうおう、食い下がるねえ」


 一撃一撃は脅威ではない、と思ってしまう。迫力がない、というか、わざと侮られようとしている。

 例えば、キキョウの剣の一振りは怖ろしい。模造品でも、命を刈り取るイメージがある。比べてこの男は、”当たり所が悪ければ昏倒する”程度の攻撃しかしない。しかし、”当たれば必ず昏倒させる”技術も持っているのだ。油断は即敗北に繋がる。


 俺が息を整えている間、ガランはのんびりとあくびをしていた。


「お休みかい? いいぜ、俺は時間までこうしてボォーとしてても」


 ガランは俺の教師というわけではない。時間まで付き合えば、内容はどうでもいいんだろう。攻めなければ、鍛錬にならない!


「フッ!」


「ホイヨッ」


「ふべらっ!」


 突っ込んだ俺は、ガランが手に仕込んでいた土くれをもろに顔に浴びた。




「…ぶはっ」


 くさはらで目が覚めた。ガランに意識を刈り取られた後、そのまま放っておかれたらしい。


「欲目を出さなきゃ悪かねんだが。命あっての物種だぜ?」


「死刑を免れた人が言うと、説得力が違う」


「ぶははっ。確かに」


 ガランは柵の上で逆立ちをして暇を潰していた。


「ヨッと」


 宙返りを披露して着地。手をパラパラ振ってほぐしながら、日の位置を確認していた。


「もうそろそろ時間だが…あと1回やるかい?」


「…目が回って起き上がれない。今日はここまで」


「ほいほい、毎度」


「ありがと」


「ふへへっ」


 ガランはヘラヘラ笑いながら、両手を上げて柵の外側に近づく。フランネルが腕を枷で拘束し、衛兵に受け渡す。

 衛兵に引っ張られるガランを、気持ちだけで見送る。


 ガランが馬車に放り込まれたのを見届けたあと、フランネルが柵の中に入って来た。


「もう少し、そこで休んでいかれますか?」


「いや…帰るよ」


「では、手を貸しましょう」


 フランネルは俺の背中に手を潜らせると、ゆっくりと上体を起こしてくれた。俺は、そのままフランネルの手を借りて起き上がった。


「そろそろ、お嬢様の午前のお稽古が終わる時間です。お待ちかねになっているでしょう」


 フランネルはニヤニヤしながら俺をからかった。見た目は涼やかな美少年なので、嫌味がない。


 俺は何とも言い返せず、複雑な気分になった。




 屋敷の戻って、いつもの小部屋で着替えて体を拭く。気持ち急いで食堂へ行くと、既にローズが待っていた。


「やっと来たわね」


「うん、お待たせ」


 ローズの表情は楽しげだ。バードックさんの誕生祝いから半季、前世で言うと3ヶ月経った。ローズは俺に対して、明らかに好意的になった。俺は、ローズに対してどう対応しようか決めかねて…曖昧な態度を続けていた。

 まだ子どもだし、という言い訳はいつまで使えるんだろう…。




 昼食が終わり、ローズは俺の手を引っ張って廊下を邁進していた。ローズは午後の授業はお休みの日で、これから俺に勉強を教えてくれる。


「お勉強が終わったら、中庭でお茶にしましょう」


 温季も四分の一が終わり、ピークに向けて温かくなってきた。外でのお茶会やピクニックにうってつけの時季だ。温季の真ん中まで行くと蒸し暑さがちょっと気になってくるから、外で遊ぶのは今頃が一番いい。


 俺の後ろには、フランネルが足音も無く控えている。体の調子はもう戻ったと思うのだけど、未だに俺の面倒を見てくれている。


 前には俺の手を掴んで離さない女の子。後ろには俺の世話を焼いてくれる執事。前世では考えられないくらい恵まれているが、夜にはふと寂しくなる。


 この屋敷に預けられてから半季。母はまだ帰ってこない。


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