第29話 人類最強と魔王の誘惑
違う、違うんだ! これは恋では無い! 確かにヒョウカは俺の好みドストライクの理想女子だ。そんな彼女の美貌に一目惚れしたのは事実だ。でもそれは、タイプの芸能人を見たときのような感覚で、一種の憧れというか、観察対象というか……少なくとも恋と呼べるものではなかった……気がする。今までの『惚れました!』とかの言葉は半分おふざけで言っていただけだ。本気だったらそんな恥ずかしい事言えたもんじゃない。
俺は腕の中のヒョウカを見下ろす。途端に心拍数が上昇するのが自分でも分かってしまった。
ぐわぁ〜ッ! 胸が苦しい! 鼓動がバックンッバックンッ鳴っとるんですけど! マジか俺! マジなのか俺!! くそぅ、ただでさえ外見が好みなのに、普段は見れない彼女の弱さを目の当たりにしちゃったら、そんなのもう反則!
俺が1人悶えていると、今まで規則正しかったヒョウカの寝息が少しだけ乱れた。
「……すぅ……すぅ……ぅんん……うぅん……」
小さく可愛らしく呻きながら、ヒョウカはゆっくりと瞼を開けた。
「……んぅ? ……ケイ?」
ヒョウカがボ〜っと焦点の定まらない視線を俺に向けてきた。
「えと……おはよう、ヒョウカ」
「………………ぅむ……」
俺は取り敢えずヒョウカに声をかける。それにだいぶ遅れてから、小さく頷くような反応が返ってくる。どうやらまだ覚醒しきれていないようで、半分寝ぼけているようだ。
てか寝起きのヒョウカまじ可愛いんすけど? 眠たそうに手で目を擦るその仕草、何それ? 可愛いんだけど? ねぇ、可愛いんですけど!? 寝ぼけてるヒョウカにギャップ萌えぇぇっーッ!!
「…………ケイィ……」
「えっ!? ちょっ! ヒョウカ!?」
少し間延びした感じで俺の名を呼ぶと、なんとヒョウカはギューっと抱きついて、俺の胸元に頬ずりをしてきた。
か、かか、かわえぇぇーーーッッ!!!! なんじゃこりゃッ!? 可愛い過ぎやろがボケェ!!
胸にスリスリしている彼女に、俺は爆発した。何かこう、内面的な何かが爆発した。
普段の彼女が俺に寄ってくるときは、やはりどこかに計算やあざとさ等の裏の意思の様なものを感じてしまう。しかし、今のヒョウカの状態は完全にピュアである。俺に頬を寄せるその表情は、いつもの凛とした表情ではない。完全に緩み切って、にやぁ〜と笑みを浮かべるその表情は、ちょっとアホの子に見えなくもない。もう究極のギャップ萌えである。
こんな純粋に甘えられたら、そりゃもう頭撫でちゃうでしょ?
俺は彼女の綺麗な黒髪を優しく撫で付ける。
「……ふふふぅ……」
頭を撫でられて気持ち良かったのか、ヒョウカは笑みを零しながら薄く目を閉じる。
そんな感じで、しばらく俺はヒョウカの頭を撫でながら、頬ずりをされていたのだが、急に彼女の動きがピタッと止まった。
どうしたんだ? と思って俺が彼女に視線を落とすと、先程までは何ともなかったヒョウカの耳が、びっくりする位赤くなっていた。そして、ギギギッという音が聞こえてきそうな程ぎこちない動きで、ヒョウカは俺の方へと顔を向けた。耳と同じかそれ以上に顔を赤く染めている彼女と目が合う。
どうやら完全に目が覚めたようですね。そんで寝ぼけた自分の行動を認識しちゃったパターンですな。うんうん、顔赤くする気持ちわかるよ。俺も中学生の時に寝ぼけて『ウル○ラマンになる!』って宣言した時は羞恥に悶えたよ。中学生にもなってウル○ラマンはないよね。どうせなるなら仮面○イダー一択だよね。だってバイク乗れるし!
ここは何事もなかったように、さらっと流すのが得策かな? そんな感じで俺が考えていると、消え入りそうな声で、ヒョウカが聞いてきた。
「…………起きていたのか?」
「あ〜、えーっと?」
俺は若干目を泳がせてしまう。
「妾よりも先に起きていたのかと聞いているのだ!」
切羽詰まったように聞いてくるヒョウカに、俺はどう返答したものかと頭を悩ませる。
「どうなのだケイ!? 起きていたのか!?」
「まぁ……そう、だね。起きてたよ」
俺のその言葉を聞いた瞬間、ヒョウカは表情を隠すように、顔を俺の胸に押し付けた。それから暫く『うぅ……』やら『あぁ……』やらといった苦悶の呻きが聞こえてきた。
寝起きの羞恥を晒しちゃった苦悩はお察ししますが、俺の胸に顔をグリグリするの止めてくれませんかね? 色々なものが堪え切れなくなってくるんで。
「……昨夜……ケイが、言ったからだ」
ヒョウカが小さく呟く。
「え?」
んん? 昨日の俺、何か言ったんですか? 全然記憶にないんすけど?
キョトンとした顔をしていると、ヒョウカがジト目で俺を覗き込むように見てきた。
「よもやお主、昨日の事を覚えていない、とは言わぬであろうな?」
「ははははっ、まさかそんなわけ。ちゃんと覚えているとも」
ヒョウカの問い詰めに、若干冷や汗が出るのを感じる。てか俺、昨日の記憶がドワーフ達との宴会の途中からぷっつりと途切れてるんすけど? そして気が付けば、ヒョウカに抱きつかれて迎える朝。これで二日酔いがなければ、もう最高以外のなにものでもありません! それにしても、昨日の俺はどうやってこの状況に持ってったんだろうな? ヒョウカに腕枕という高難易度ミッションをこなしてみせるなんて、昨日の俺なかなかやるじゃん。褒めてつかわそう! んで、昨日の俺はヒョウカに一体何を言ったんでしょうか?
必死に昨日の事を思い出そうとしている俺をヒョウカが半目で睨んでくる。
「な、なんでそんな目で見てくるんだ? ヒョウカはもしかして俺を疑っているのか?」
こういう時こそ、強気の姿勢を崩してはいけない。女性という生き物は、嘘を見抜くことに長けているからな。男には決して引けない戦いというものがあるのだッ!
「ふむ……いや。妾はお主を信じておるよ」
急にジト目を止め、ふっと表情を柔らかくするヒョウカ。しかし、その笑顔の裏に何やら薄ら寒いものを感じてしまう。
あ、これバレてるやつだ。俺に昨日の記憶ないことが筒抜けになってる! ジーザス! 男とは女には勝てぬ宿命を背負わされているというのかッ!?
「信じているとも。だから……ちゃんと責任も、取ってくれるのだろう?」
「ぇ……ぁ、ぁあ、お、おう……」
責任ッ!? なんの責任!? 昨日の俺は一体彼女に何してくれちゃってんの!? 本当にナニしちゃったのッ!?
俺は反射的に、視線を下の方に向けてしまう。
大丈夫だ。お互いにしっかりと服は着ている。一線は超えていない。つまり、俺の大魔導師への道は絶たれていない! ……はず。
半ばパニック状態に陥っている俺の内心を見通しているのか、ヒョウカがニヤッと妖艶な笑みを浮かべる。
「昨夜のお主は、少し強引で怖くもあったが、そこもまた男らしくて頼もしかったぞ? それにお主の手で、あんなに気持ちよくしてもらえて、妾はもう、お主の虜だ」
少し恥じらうかのように、頬を染めて顔を俯かせるヒョウカ。
て、おぉーーい!! 俺何した!? 何しちゃったのマジで!? 手で? ヒョウカを気持ち良く!? もしかして18禁? 18禁的なことが起きちゃったの!? それならなんで記憶がないんだーッ!! 蘇れ我が記憶よ!
うごぉーー! と必死に頭を回転させて、なんとか記憶を掘り起こそうする。そんな俺に、なんとヒョウカは両手を俺の首に抱きつくように絡ませてきた。そして、そのまま顔を寄せてくる。
キスをされるかもしれない! そう思った俺は反射的にギュッと目を閉じた。しかし、俺の予想に反して、彼女の顔は俺の唇を通り過ぎると、そのまま俺の頬に彼女の頬を合わせてきた。
キスじゃないんかーーい! ただの頬ずりやないかぁーい! 俺、目を閉じちゃったじゃんかよ。恥ずかしいッ! でも今の状態もものごっつ恥ずかしいッ!!
俺の上に覆いかぶさるように乗っかって、首に抱きついて頬を寄せ合うとかこれ完全に恋人同士じゃん? ヒョウカが恋人とか最高すぎるんすけど。マジで今の俺、人生の絶頂期を迎えています。
あまりの幸福感に、俺の頭がボーっとしていると、耳元でヒョウカが囁く。
「……昨夜のケイは、本当に素敵だったぞ? ……ありがとう」
そういう彼女の口調は、さっきまでの妖艶な雰囲気とは全く違う、心の底から感謝を伝えるような真っ直ぐな言葉だった
ほえ? なんで? なんで急に感謝の言葉を? しかもそんなに真心を込めて言うんすか? 一体昨日の夜に何があったんだぁーーー!!!
「これは昨日のお礼だ」
そう言うと、ヒョウカはぎゅ〜っと強く俺を抱きしめてきた。それはもう、足まで絡めて全力で抱きしめてきている。
「えっちょっ、ヒョウカ!?」
突然の熱烈な抱擁に、俺は戸惑ってしまう。だって、一寸の隙間も無く密着してるんですぜ? そりゃドギマギしちゃうでしょうよ! だって、彼女の胸が俺の胸に当たって押し潰されているのまで分かっちゃうんですぜ旦那ぁ!! 一体何が起こってるんでごわすかぁーーッ!!
そんな感じで俺の脳が暴走状態に陥っていると、最後にヒョウカがとどめを刺してきた。
「……ちゅっ」
僅かに聞こえてきた瑞々しい音、それと同時に頬から伝わる柔らかい感触。
あ、これダメだ。俺、もう何も考えられません……。
完全に思考停止してしまった俺に、ヒョウカは最後にもう一度ぎゅっと抱きついてから、ゆっくりと俺から離れた。
「どうだ? 理想の女性からの抱擁と接吻は?」
そう聞いてくるヒョウカの顔は、赤く染まっている。でも、おそらく今は、俺の方が顔を赤くしているのだろう。今ならおでこで目玉焼きを作れる気がする。あ、ヤベッ。この世界には醤油がない! 俺は目玉焼きには醤油派なんです! ソースなんて邪道なものは一切認めません!!
「最高の抱擁でした。ただ……キスは唇が良かったなぁ〜」
ほとんど正常に働いていない俺の脳は、思ったことをそのまま話してしまう。これも、ヒョウカに返事したと言うよりかは、独り言を呟いたに近い。
「それは……まだ……ダメだ」
俺の言葉を聞いたヒョウカは、そう言ってプイッと顔を背けてしまった。
あぁ、可愛いなぁ。でも何で、俺の理想の女の子がヒョウカだって知ってるんだろうな? 昨日の俺が話しちゃったのかな? だとしたら……恥ずいなこれは。
そんな事を考えていると、ヒョウカは俺の上から降りて、ベットからも出てしまった。
「もう陽は完全に登ってしまっている。常にお主に構っていられるほど、妾も暇ではないのでな。ケイもあまりダラダラせずに起きるのだぞ? それではな」
そう言い残し、彼女はさっさと部屋からいなくなってしまった。
俺はヒョウカがいなくなって、妙に軽くなった自分の体を見下ろす。
「異世界……最高ですッ!!!!」
俺はガッと拳を突き上げて、ガッツポーズをする。そしてその瞬間に、途轍もない嘔吐感に襲われる。それと同時に、頭痛とか胸焼けとかの二日酔いの症状が再発してきた。
ヒョウカがいなくなった事で、体が再び二日酔いの事を思い出してしまったようだ。
「……ぅぐふッ! ……うぅ……最…悪だ……」
酒は二度と飲まないと、俺は誓った。
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ケイのいる部屋から出たヒョウカは、しばらく廊下を歩いて十分に部屋から離れた事を確認すると、一つ大きく息を吐き出した。
「はぁー……やり過ぎた、かもしれぬ」
先程、自分がケイにした行動を思い出したヒョウカは、しきりに自分の髪を撫で付ける。
「いやしかし、これも必要な事だ。そうだ、必要な事なのだ。それにケイも嫌がってはいなかったではないか」
言い聞かせるように呟くヒョウカ。自分が抱きついた時は、面白いくらいに顔を赤くして、鼻の穴も膨らんでいた。その時ケイの顔を思い出して、ヒョウカはクスッと笑みを零す。
「あの男は本当に面白いな。それに……男性の腕枕とはあれ程までに心安らぐものなのか」
最近のヒョウカは、怪獣討伐などの事で寝付きが悪く、寝不足がちだった。しかし、腕枕されながら寝た昨日は、自分でも驚くほどに心安らかに眠ることができた。
ヒョウカは、昨日ケイに言われた事を思い出す。
『今のキミは最強じゃない、俺がいるからな。だからもう一人で背負い込む必要はない。一人で頑張る必要はないんだ』
そんな事を言われたのは初めてだった。今までは『強くなれ』、『頑張れ』としか言われなかったし、自分もその言葉に応えるのが当たり前だと思っていた。
でも、昨日の夜にかけられた言葉はその真逆の言葉。なのに、それを聞いた瞬間に心がスッと軽くなるのを感じた。
「あんなに心が安らいだのは、相手がケイだったから……なのか?」
そう思った瞬間、自分の胸がトクンと高鳴ったのを感じた。
反射的にヒョウカは胸に手を当てる。
確かにケイに対しては、今までの異性には感じたことがない感情が芽生えつつある。先程彼に抱きついたのも、口では『お礼』などと言ったが、半分は自分がそうしたかったからである。彼に抱きつく事で安らぎを得たかったのである。
「『俺に甘えろ』などと言うから……なのに、あやつめ! 昨日の事を覚えとらんとはどう言う事だ!」
ヒョウカの表情が一瞬で不機嫌になる。
「今頃は妾の言った『責任を取れ』の意味をあれこれ考えているのだろうな。ふん、せいぜい悩むが良いわ!」
足音荒く、ヒョウカは去っていった。




