17_問題
人はいつでも問題に直面している。とわたしは思う。
程度の差はあれど、誰だって何か問題を抱えているものだと。
問題を解決する方法はいろいろあるだろう。
人に話したり、時期が来るのを待ったり、あるいは勇気を持って踏み出したり。
「…………」
わたしが今直面している問題は、ある意味では時間が解決してくれるものだった。
だけど、わたしは確かに知っているはずなのだ。
この問題の答えを。
――だって、昨日暗記したはずだから!
わたしは頬杖をつき、ずっと悩んでいる問題を睨む。
あー、何だったかな……第二代国王の名前……。
悔しいくらい何も浮かんでこない。微妙に何か浮かんできてもそれはそれで悔しいけど。
普通だったら適当に埋めるんだけど、遠い昔のこととはいえ国王の名前を間違えるのはなんかまずい気がしてそれもできない。
時間が無情に過ぎていく。
まあ、時間があったところで思い出せるかは怪しいところだけどね。
わたしの記憶力は基本的に残念なのだ。
特に人の名前を覚えるに当たっては。未だにクラスメイトの顔と名前が一致していない自信がある。話しかけられることがないからそう困ったこともないけどね。
もはや解答を捻り出すことを諦めつつあったところで、試験は終了。
結局、答えは分からないまま、タイムオーバーだ。
一つの空欄を残してわたしは試験用紙を提出したのだった。
――ということで、なんとか試験が終わったわけだけど。
問題はまだ解決していなかった。
国王の名前? それはもう終わった話だね! 試験の復習をするほどわたしは真面目じゃないよ!
そのことじゃなくてね、別の問題。
グレアムを連れて廊下を歩くわたしに、いくつも視線が突き刺さる。じっと見つめられるんじゃなくて、ちらり、と見られるヤツね。
わざとらしく囁き合う声が漏れ聞こえてくる。
「……まあ、ヘレナ様が? 殿下と?」
「ええ。ダンスのパートナーに」
「妥当ではありますけれど……本当に殿下がお選びになったの?」
「まさか……どうせ侯爵家の力でしょう」
「そうよね、ヘレナ・ラスウェルですもの」
くすくす。
ヘレナ・ラスウェルだから何だと言うんだっ! そこで揃えたように意味深に笑い合うのは何なの? 気が合う仲間なの?
とまあ、そんなことはどうでもいいね。
問題とはこのこと。
名前も知らぬ令嬢たちが囁いていたように、今、何故か、わたしと王子の噂が飛び交っている。
わたしと王子が今度のダンスパーティーでパートナーを組むんじゃないかって噂だ。何がどうしてそんな事実無根な話が飛び交っているというのだろうか。そりゃわたしと王子は多少話す仲ではあるけど、キャロルさんの方が親しげだし、王子には他にも仲良い令嬢いるし。
まあ、原因はなんとなく分かる気がするけどね。
ていうか絶対図書館での件のせいだよなぁ……。それ以外に心当たりがない。あの件だってどこにどう火をつけてそうなったの!? って感じだけど。
この変な噂の何が問題かって、面倒くさいところだよね。
こう、あからさまにわたしに聞こえるように陰口を叩いてくるんだよね。雨はやんだっていうのに、じめじめしてて鬱陶しいんだ。一種の精神攻撃だよ。
噂は噂でしかないから、パーティーが終わってしまえば解決する問題だとは思うけどね。
「それにしても、なんで侯爵家? ヘレナは家族と不仲なんじゃなかった?」
噂の大半が、侯爵家の力を使ったとかなんとか言ってるんだよね。でも、ヘレナは侯爵家の力というか、親に頼ることはできないと思う。未だ会ったことがないくらい、嫌われてるっぽいから。
「そういうところは上手くやる人たちですから。もちろんお嬢様も含めて」
つまり、不仲だということは外には知られていない、と。
「え、ヘレナも?」
冷遇されていたのに、外では円満な家族を演じていたというのだろうか。すごい精神力だね。
「その方が楽だと考えたのだと思います。貴族の間で無駄に隙を作るものではありませんし」
まあ、家族が不仲って別に言いふらしたいことでもないよね。人によっては深刻な悩みになるだろうからね。……ヘレナはどうにもそういう感じがしないけども。
「ヘレナって、家族のことを嫌ってなかったの?」
「少なくとも好きではなかったと思いますよ。ですが、感情を向ける程の興味もなかったかもしれません」
「わーお……」
家族相手に無関心ですか。
この先わたしがその家族と会うことってあるのかな。どういう態度で臨んだらいいんだろう? できれば会わないといいなぁ、家族相手に誤魔化すのってハードル高そう。あ、でも夏期休暇が来たら、領地に帰るんだっけ? ……うん、今は考えないことにしよう。
「ところでお嬢様」
「ん?」
「噂は放置されるのですか」
「まあただの噂だしね。放っとくのが一番じゃない?」
パーティーなんてあと十日ぐらいでやってくるし。
もちろんわたしは王子のパートナーになんて選ばれてないし。ていうか、普通に嫌だからね、王子と踊るとか。だって絶対注目浴びるじゃん! わたしダンスには自信がないんだよ……。王子どころか誰とも踊りたくないのが本音だ。
「そうですね、噂は噂です。ですが、根拠もなく信じ込む人はたくさんいます」
「まあ、そうだろうけど……でも、数日したら真偽が分かることだよ?」
「その数日を待っていたら手遅れになると思う人もいるでしょう」
「手遅れって……?」
「学園の行事とはいえ、殿下が侯爵家の令嬢を連れてパーティーに参加したら、どうなると思います?」
問題形式ですか。
今日はもう試験で頭を目一杯使ったからあんまり考えたくないんだけどな。
わたしと王子が一緒にパーティーに参加したらどうなるか。
「……仲良しって思われる?」
「……もう今日は休みましょうか」
「待って、ちゃんと考えるから! ていうかあながち間違ってないでしょ!?」
お願いだからところ構わず抱っこしようとしないで。遊び疲れて寝ちゃう幼児じゃないから、わたし。教室から寮までぐらい歩いて帰れるからね!
「そうですか。無理はしないでくださいね」
いい笑顔を見るに、またからかわれたっぽいね?
まあ、先にちょっとふざけたこと言ったのはわたしだけどさ。いや、割と真面目に言ったけど……。
「グレアムが言いたいのは、アレでしょ? ヘレナが王子の婚約者に収まる可能性が高まるって思う人がたくさんいる、みたいな」
今度はもう少し頭を働かせたよ! 言い方はアホみたいになっちゃったけど。
グレアムは頷く。
「はい。そうなったら困る人も大勢いるでしょう。今は陰で何か言われる程度で済んでいますが、噂が現実にならないよう多少荒い手を使う人も今後出てくるかもしれません」
「な、なんだか、和やかじゃない雰囲気だね……?」
パーティーのパートナーになったら自動的に婚約になるわけでもないのに。うん、まあ、でも、ほぼ確定とは思うか。前々から話はあるんだもんね。
「そうですね。何をしても王家と縁を結びたい人間は少なくないですから」
うーん、物騒。何をしてもって……。王子が人気だと思ってたけど、王家が人気だったのかなぁ。
「あれ、でも、前にグレアムは、王子との婚約は好きにしてもいいみたいなこと言ってなかった?」
確か、入学してすぐにあったパーティーの時。
グレアムは難しそうに眉を寄せる。
「婚約するかもしれないという噂と、婚約したという発表では状況が違います。噂の方が厄介です」
「う、うーん? そう、なの?」
「婚約は家と家の契約です。契約には責務が生じます。仮にラスウェル侯爵家と王家があなたたちを将来結婚させるという契約を交わしたとします。その結果、この契約を遂行するための責務が両家に発生します。その責務の内に、あなたを守ることも含まれます。あなたがいなくては為し得ない契約ですから」
「え、何? 分かんなかったんだけど……」
ちょっと今の頭にその内容は入ってこない。
「要は婚約を交わせば王家はあなたを守りますが、噂の段階では王家にあなたを守る理由はありません。ですから、外部の人間も手が出しやすいのです。王家に守られた令嬢と一介の侯爵家の令嬢とでは、リスクが全く違いますから」
「え、今が狙い目ってこと?」
「噂を信じる人からすれば、ですけどね」
信じない人にわたしを害する理由はそもそもないもんね。
「でも、今までだって婚約の話はあったんでしょ?」
婚約はしてないけど、婚約の可能性はずっとあったはず。
なのにそんな危険を感じたことはないよ?
「ありましたが、お嬢様は上手く躱していましたし、実際、殿下にも会ったことはありませんでした。現実味がない話だったんです。まあ、それでも何もなかったというわけではありませんが、お嬢様ですからね。薄笑いで返り討ちにしていましたよ」
「そ、そうでしたか……」
返り討ちって。
わたしの想像の中のヘレナがどんどん強化されてくんだけど。
「お嬢様が婚約に全く乗り気でないことや、襲撃されたところでかすり傷一つ負わないことで、ここ最近はそういった危険はありませんでした。噂が立ってすぐに行動が見られないあたり、その点を考慮して慎重になっているのでしょう。ですが、今のお嬢様はあなたですからね……隙を見つけたら何かしてくるかもしれません」
今までのヘレナの行いでわたしは安全だったってわけか。
「それに、です。現実味があるんですよ。今のお嬢様と殿下では」
「まあ、多少の交流はあるもんね。席近いし」
「それもありますが、殿下はかなりあなたに好意的に接していると思いますよ」
「ええ、そうかな? 誰にでもあんな感じだと思うけど」
あれが王子にとっての普通だと思うよ?
「とにかくそういうわけですから、このままだと焦った人間が何かを仕掛けてくるかもしれません。ですから噂を放置するのは悪手だと思うのです」
「な、なるほど……ちなみに、今日それを言ったのはどうして?」
噂が立ったのは昨日今日じゃない。わたしが気づいたのは一昨日ぐらいだけど。
わざわざ今日言ってきたってことは既に良くない情報でも掴んだのかな。
「試験勉強に必死だったあなたに言えませんよ」
なんだ。気遣ってくれてただけか、ありがとう。
「そういえば、試験はどうだったんですか。手応えはありました?」
部屋の前に着いたので、グレアムが扉を開けてくれる。
「お、思い出したくないことを……。わたしは、過去は振り返らない主義だから!」
試験のこととかもう思い出したくないんですけど。部屋に戻ってきたことだし、本当にもう寝ようかな。頭がパンクしそう。
「人は経験から学ぶものですよ」
正論。
「なんて、冗談ですよ。お疲れ様でした。よく頑張りました」
扉を閉めたグレアムがぽんとわたしの頭に手を置いて、撫でた。
く、悔しいけど、嬉しいぞ。だって、褒められるのは誰だって嬉しいでしょ!
悔しいのはこの子供扱いだね。グレアムはわたしのこと小学生ぐらいの年齢だと思ってるでしょ絶対。年齢言ったことなかったっけ? なかった気がするけど、今更言うのも恥ずかしいな……。
「おかしな顔ですね」
「……グレアムは、楽しそうな顔だね」
「あなたといるのは楽しいですからね」
「それは良かったね、わたしも楽しいよ!」
怒ってるわけでもないのに、ちょっと叩きつけるように言ってしまったのは、気恥ずかしかったからだ。
グレアムはやっぱり楽しそうに笑っていた。




