09_主人公は貧乏男爵令嬢
「お嬢様、遅くなって申し訳ありません。……お嬢様?」
声をかけられて、ハッとする。
わたしは今、何をバカなことを考えたんだろう。
二人に出会って欲しくなかったなんて。つい先程考えていたことと正反対じゃないか。キャロルさんが誰を好きになるか、なんていうのは彼女の自由。だというのなら、出会って欲しくないなんておかしな話だ。出会わなきゃ可能性すら生まれない。
これはきっとアレだ。仲の良い友達がとられてしまうようなそんな不安。
もしくは、弟妹に両親を奪われるのを怖がるような、そんな子供っぽい焦りだ。
わたしはきっと、依存している。この世界で唯一わたしを知ってくれているグレアムに。幼い子供のように寄りかかっているんだ。
だから――グレアムが居なくなったら一人になってしまう、なんて、そんなふうに怖くなったんだ。……わたしって結構、淋しがり屋だったんだね。いつもまわりに誰かが居てくれたから、気づかなかったなぁ。
よし、もう大丈夫。全ては気の迷いだ。わたしの目標は、主人公の恋愛を見届けて間接的に世界を救うことなんだから。
「――遅かったのね、グレアム。待ちくたびれたわ」
ゆっくり息を吐く。長々とポールスの相手をして正直疲れた。割と衝撃的な内容だったし。
「怒っているのですか……? 申し訳、ございません」
深々と頭を下げるグレアム。そんなに下げなくても。妙な間を空けてしまったから、怒っているように見えたのかな。あ、それとも単に人目があるから? ヘレナだったら怒る事柄なのかもしれない。
「――あ、あの、ごめんなさい、ヘレナ様! わたしが、悪いんです!」
そんなグレアムを見て、キャロルさんも勢いよく頭を下げる。ええっ、なんでキャロルさんまで?
もしかして、グレアムの迎えが遅くなったことに、キャロルさんが関係しているということかな。
詳しく尋ねようとわたしが口を開くより先に、グレアムが否定する。
「いいえ、全ては私の不手際のせいです。この方は悪くありません」
「グレアム……?」
なんだろう。なんか、いつものグレアムとちょっと雰囲気が違う。気のせい、かもしれないけど。
「いえ! わたしです! 間違いなくわたしのせいです! わたしが『疲労回復スタミナドリンク』を、転んだ拍子にグレアムさんにかけてしまったせいなんです……!」
え、何その働く現代人が飲んでそうなドリンク。
キャロルさん、そんなの持ち歩いてるの? あと転んだの大丈夫? 怪我ない?
「ええと……それで、服を替えていたから遅くなったということかしら?」
今グレアムの服は濡れてないからね。着替えてきたんだろうね。服が濡れたままっていうのは気持ち悪いもんね。
「はい。それから、わたしが責任を持って服を洗おうとしたら、グレアムさんに止められて、なかなか洗わせてくれず、更に時間がかかってしまったんです……」
キャロルさん洗濯できるの? 男爵令嬢だよね? あ、でも貧乏設定だったんだっけ……苦労してるのかな。パーティーのときもごちそう食べたがってたし……。
にしても貴族の令嬢に洗い物させるなんて冷や冷やしただろうなあ、グレアム。そりゃわたしでも全力で止めるわ。
「そんなことさせられるはずないでしょう……」
グレアムは、ばつが悪そうだ。
結局どちらが引いたのだろうか。
「結局どうしたの?」
「無理矢理服を奪われて手際よく洗われました」
ちょっと強引だけど、キャロルさんの勝ちか。まあそんな気はしてたけども。
「――キャロル、お前病み上がりだろう。そんなことして大丈夫なのか」
「ポールス様。大丈夫ですよ! わたし身体は丈夫な方ですから!」
心配するポールスにガッツポーズっぽく腕を曲げて拳を見せるキャロルさん。得意げな笑顔である。
グレアムはただただ申し訳なさそうにしている。
なんかもう災難だったとしか言えないね。飲み物かけられて、令嬢に洗い物させてしまって、わたしの迎えに遅刻して。
……いや、そうとも言えないか。ここから恋愛に発展するのかもしれないし、そうしたら今日のコレは乙女チックに言えば運命の出会いだ。
運命か……シナリオを知らないのが悔やまれるね。知ってたらわたしは……わたしは? どうするんだろう? んー……なんかもやもやする。お腹らへんが……お腹……あ、お腹空いた?
「グレアム、わたくしお腹が――グレアム?」
グレアムは一点を見つめていた。
「今日は本当は改めてポールス様にお礼をしたいと思ってたんですよ。会えて良かったです!」
「ああ、俺様もお前の元気そうな姿を見れて安心した。次からは気をつけろよ?」
楽しそうに会話をするポールスとキャロルさん。彼らのことをグレアムはじっと見つめていた。焦がれるような視線を向けるグレアムに、わたしはお腹のあたりがきゅうっとなった。何だろうコレ、空腹とは違うような……? でも、お腹も空いたような……?
「――姫様…………」
自分のお腹にばかり注意を向けていたわたしは、グレアムのほんの小さな呟きを聞き逃した。
*
「とにかくヘレナ様、ご迷惑をお掛けしてしまってすみませんでした。グレアムさんもすみません……」
改めてぺこりとキャロルさんが頭を下げる。
グレアムは頭を下げられて気まずげだ。
ポールスは、はよ許せって威嚇してきてる。キャロルさんのことめちゃくちゃ気に入ってるんだね。あれ、でもまだ出会ったばかりだよね、まさか一目惚れ?
わたしは腕を組んで息を吐く。
「はぁ、もういいわ。そもそもそんなに怒っていないもの。そこまで謝られたらわたくしが悪いみたいじゃない」
悪役だけどね。
でもこう言うぐらいしかヘレナっぽい許し方思いつかなかったんだ。ていうかもしかしたらヘレナは許さないのかな。うーん、わからん。
「そ、そんなつもりでは……!」
あー、ちょっと言い回し皮肉っぽかった? こっちもそんなつもりじゃないんだよ、ごめんね。
「分かってるわよ。あなたが責任を感じて謝っていることは。だから謝罪を受け入れるって言っているのよ」
うーむ、偉そうに許すって難しい。
ヘレナじゃなければ、大丈夫大丈夫、オッケーぐらいのノリで済むのに。
今度こそ伝わったらしく、キャロルさんの表情がパッと花が咲いたように明るくなる。うわっ、笑顔眩しっ!
「ありがとうございますっ!」
「これでこの話はおしまいね。わたくしたちはもう行くわ」
もう行っていいよね? 今更だけど、廊下にずっと立ってて足が痛くなってきたんだよね。部屋に戻って休みたい。ベッドに飛び込みたい。あ、お腹も空いてたんだった。晩ご飯何かな。
「――あの、ヘレナ様。また明日、です!」
歩き出したわたしを呼び止める声。
照れくさそうにえへへと笑うキャロルさん。
何そのかわいい笑顔。心臓撃ち抜かれるわ。
「――ええ。また」
また明日ね、バイバイ! なんて、なんとも幸せな言葉。
そんな言葉を交わしたの、ヘレナになってからは王子ぐらいだよ。つまり女の子相手では初めて。ちょっと頬が緩んじゃうね。
「――なあ、おい、グレアム。あれは本当にヘレナか?」
「何を言ってるんですか。どう見てもお嬢様でしょう」
「そうか? 確かに見た目はヘレナだが……何か違わないか?」
「人間、生きていれば変わるものですよ」
「そう、か……? あれはもっと根本的に違う気がするんだが……」
しばらく歩いて、グレアムがついてきていないことに気がつく。
振り返ると何やらポールスと話をしていた。
また何か言われているのだろうか。無視してこっちに来ればいいのに。
目が合ったキャロルさんが小さく手を振ってくる。
わたしも反射的に振り返す。おっと、コレ良かったのかな。ヘレナって手を振るようなキャラじゃないよね……失敗したかも。
ポールスがめちゃくちゃ驚いた顔でこっち見てるし。もう、グレアムがさっさとついて来ないせいだからね。置いて行っちゃうよ!
わたしは彼らに背を向けて再び歩き出す。
「――あの、グレアムさん。行かなくていいんですか? ヘレナ様、何度も振り返って見てますけど。待ってるんじゃないでしょうか?」
「ああ、そうですね。早く行かないと怒られてしまいますね」
もう、ようやくグレアムが動き出したよ。見た感じ、キャロルさんが声をかけてくれたみたい? キャロルさんって良い子だよね。うーん、これは困ったぞ。悪役ポジじゃなくて友人ポジで応援したくなって来ちゃう。
「お待たせして申し訳ありません、お嬢様」
わたしの側にやって来たグレアムが少し口元を緩ませながら謝罪する。さっきみたいに頭を下げてくることもせず、わたしの横に並んで歩く。
「本当に思ってる? なんか笑ってない?」
「あなたがチラチラこちらを振り返るのが面白くて、つい」
「分かってたなら早く来てよ。淋しいじゃん」
「ええ。申し訳ありません」
「ポールスにはまた何か悪口言われなかった? 言われたら教えてよ、言い返すんだから!」
「いえ。ポールス様はあなたが本当にヘレナか確認してきただけですよ」
「うぇ、それ本当? バレてた?」
「……まだ疑いを持ったぐらいでしょうか。誤魔化せる範囲だと思いますよ」
「やっぱりヘレナを知ってる人相手だと厳しいね。ポールスと話してて実感したよ。ヘレナってわたしの予想以上に過激だったし。まさか初対面の人を燃やそうとするとは……」
「燃やす? それはお嬢様の話ですか?」
「あれ、知らない? ポールスは初対面で燃やされかかったんだって」
そういえばポールスは、ヘレナを止めたのは使用人だって言ってたっけ。従者ではなく。
「ああ、その頃はまだ私はお嬢様に仕えていませんね。私がお嬢様に仕え始めたのは、お嬢様が八歳の頃のことで、ポールス様とお嬢様が初めて顔を合わせたのはそれよりも前でしたから」
「ん? 八歳? でも前にもっと小さい頃のヘレナの話、してくれたよね?」
「あれは屋敷内では有名な話ですから」
へぇ~、じゃあヘレナは今十六歳だからグレアムが仕え始めたのは八年前、グレアムが十二歳の頃ってことか~。十二歳!? そんな頃から働いてたんだ……。この世界ならそう珍しいことでもないんだろうけど、すごいね……。わたしアルバイト経験しかないから尊敬する。
「あ。じゃあもしかして、グレアムってこの学園通ってないの?」
グレアムも今のところ一応まだ貴族。男爵家の息子だ。
この学園は貴族が通う義務があるのに。
「ええ、まあ。端くれ貴族の次男、三男においては、珍しいことではないですよ」
貴族は入学義務があるけれど、それでも入学金やら授業料やら何やらとお金を払わなくてはいけないらしい。学園を卒業したということは、それなりに裕福な証拠。学園に入学もしなかった貴族は、貴族社会から爪弾きにされる風潮があるんだって。だから、貧乏な家は跡継ぎや嫁に出す娘以外は学園に行かせず、働きに出す、という話らしい。
貧乏に優しくない制度だ。
「……じゃあ、キャロルさんの家も大変なのかなあ」
「……そう、でしょうね……」
キャロルさんの実家は男爵家。それも貧乏な。
そんなことを思い出して呟いた言葉だったけれど、グレアムの表情が心配そうに曇ったのを見て、なんだかちょっと口に出したことを後悔した。
「ね――グレアム、今日は一緒にご飯食べよっ!」
「何ですか唐突に。ですがまあ……いいですよ。今日はお待たせしてしまいましたからね」
意外にもグレアムがすぐに承諾してくれ、嬉しくなる。
「本当? やったね、待った甲斐がある!」
「もし次があれば教室内で待っててくださいよ……足、疲れてませんか?」
「ん? まあちょっと痛いけど大丈夫」
「まったく……部屋に戻ったら診せてくださいよ」
ほらね、ポールス。わたしの従者は優秀だよ。
――たまに頼りにしすぎちゃうぐらい、ね。