#1 夏休み Летние каникулы
これまでのお話
日本を襲った未曾有の震災・東日本大震災から五〇〇年。
震災に続く電源燃料の枯渇が招いた電力飢饉により国内産業が致命的に崩壊、追い討ちをかけた世界的食糧難が、日本という国の形を大きく変えたが、それでも日本は復興を果たしていた。
そして世界もその地図を大きく塗り替え、復興を遂げた日本も国連の構成単位国家・日本として世界政府の一翼を担っていた。
一方、二三年ほど前から、従来の地震学では説明できない特殊な局地地震が頻発し、露国アカデミヤはこれを巨人の足跡、英語で『巨人の足跡 』と名付けた。
そのTFPは、活断層やプレートに起因する地震とは全く異なり、その発現原因は未だ不明。その発現端緒は無作為に見えるが、その実、極めて数学的な規則性と再現性、相関性を持っている。そしてそれはお互いに影響しあいながら、三〇〇年後、三陸沖の特定のポイントに多大なストレスを蓄積し、最大級地殻 破壊・GDEDを招くと予見された。
これがT—TFP・巨人の足跡理論である。
これを阻止することが出来るのは、世界各地で発見された柱状遺構類。
日本においては、東日本大震災で奇跡的に僅かな被害しか被らなかった東北州宮城圏石巻市南東の田代島を拠点に、五人の少女たちを中心とした公益特殊法人・タシロ計画災害防衛隊 が、日本唯一のピラーズ・天沼矛を用い、日夜三〇〇年後の災厄を避けるべくTFP処置に奔走していた。
その中心となる少女の名はサクラ。
猫の島としても有名な田代島、その猫神を祭った猫神社で保護された『島の子』であったが、猫神の使いと噂され、誰にも見えないTFPを予兆する不規則移動痕跡・RATたちが見えるのだった。
東北の夏は、遅く始まって早く終わる。
梅雨が明けたなと思った頃に始まり、夏休みが終わるお盆過ぎには、もう秋風が感じられるようになる。
東北州宮城圏石巻市の東南海域に浮かぶ田代島と網地島は、その短い夏休みの間、人口が激増する。秋風に追いつかれては大変とばかりに、お盆前まで多数の観光客が大挙して押し寄せる。
東北の玄関口、宮城圏仙台中央に東北TUBEで降り立つ観光客は、八月六日から八日にかけて行われる東北六大祭の一つ・仙台七夕祭りにターゲットロックオンするか、逆にこの時期を外して豊かな自然が残された山や海を目指すかの二通りの行動をとる。
今日は七月三一日の日曜日。石巻市の夏祭り『石巻川開き祭り』が今夜の前夜祭から始まることもあり、田代島は後者の観光客でいつになく賑わっていた。
一方で、その賑わいに苦言を呈する輩がいるとかいないとか、それはまた別の問題なのだが……。
苦言その1。
「どうして夏休みなのにこんなことしないといけないの〜?」
「スパシーバ、アイスクリームは全て税込み一〇〇円です。」
苦言その2。
「なんですぐそこ海なのに泳げないの〜?」
「お手洗いはビーチのものか、RNF漁研のものをご利用ください。」
苦言その3。
「今日、石巻川開き祭り前夜祭だよ〜。明日は孫兵衛船競漕、ブルーインパルスも飛ぶし、夜は花火なのよ。なんで遊びに行けないの〜?」
そして古来から言うところの『仏の顔も三度まで』は現実のものとなる。
「サクラ! ザスタヴィキー ラボータツ!」
働きなさいよ!
ついにキれたナスターシャがアイスクリームの詰まった冷凍ストッカーの蓋を勢いよく閉めて怒鳴った。
「だって夏休みだよ〜。貴重な休みだよ〜。年に一度の川開きなのよ〜。なのにど〜してポケットビーチでアイスとか売らなきゃいけないの〜?」
サクラは悪びれもせず、ジュース類が氷の塊の間を泳ぐ大きなタライを前に、三人掛けのベンチの右端にダレて斜めに座っていた。
黄色い『渋谷商店』ロゴの黒いタンクトップにOD色のカーゴタイプのショートパンツ、サンダルの紐がすでに足首に白い線を彫り込むほどに健康的に日焼けしていた。
このダレ気味の女子高生が、まさかタシロ計画災害防衛隊 ・通称DG—TPのメインクルーだとは、誰も気づきはしないだろう。
「仕方ないわ。日本政府との契約更新がうまくいかなくて、創設以来最大の赤字なのよ。わたしたちタシロ計画災害防衛隊は。」
斜めに座るサクラの横できちんと座ってキャシーが言った。
彼女はDG—TPの災害対処クルーのリーダーで、国籍は米国。サクラと同じく一七歳だったが、ずっと大人びて見える。
昨年暮れに発足したばかりのDG—TPだったが、試行期間ということで、各国、関係機関とは半年間、五月半ばまでの暫定契約だった。
そしていざ正式な契約に更新、という段になった時、一番の契約先であるはずの日本政府が契約条件に納得せず、未だ契約更新停止状態で収入源が絶たれている状態なのだった。
現在、日本以外の国、各種機関とはちゃんと契約を取り交わしており、働き相応の対価を得てはいるのだが、主な管轄である日本領内の働きは現段階、ただ。
嵩む燃料代や機材の点検経費、人件費もろもろ。
やっと半年を過ぎたところで、DG—TPは経済的に破綻しかけていた。
「だから、わたしたちDGクルーもアルバイトしなきゃいけないわけ。幸い、ここしばらくは赤六角もないし。」
田代島の南側の港・仁斗田港の一角に作られた小さな人工の砂浜・ポケットビーチ、その港側からの入り口になっている小さな階段の横、狭いベンチに三人。
日傘の日陰に無理矢理隠れようとして身体を縮めているが、日傘二本の作る日陰は微妙に狭すぎる。
「宝田も阿部司令もしずえさんも本郷もゲルトルーデも、みんな頑張ってるの!」
ナスターシャは唇を尖らせ、ダラけきったサクラを睨みつけた。
短い銀髪に端正な面差しは一見すると美少年。彼女は露国から出向してきている巨人の尾のオペレーター。
クボストギガンスキは、『巨人の尾』を意味するTFP発現試算データベース。アカデミヤが構築した量子コンピューター群ネットワークの通称である。
TFPは、活断層やプレートに起因する地震とは全く異なり、その発現原因は未だ不明。その発現端緒は無作為に見えるが、その実、極めて数学的な規則性と再現性、相関性を持っており、世界各地の今後の発現状況、発現後の影響範囲等について、リアルタイムでの発現試算が可能だった。
この巨人の尾を利用することで、TFPの発現を予測し、また阻止結果をフィードバックして次の発現を試算するのが、彼女の役目。
そして、誰でもがこれを扱える訳ではなく、ナスターシャの持つ超人的な数学力があって初めて、巨人の尾は運用できるのだった。
さっき会話に出ていた赤六角は、この巨人の尾で試算されたTFP発現確定エリアのこと。ちなみに、黄六角はTFP発現が確定ではないが、外的要因の変化で赤六角に移行する可能性が捨てられない怪しいエリア。発現の見込みがないエリアは青六角という。
「わたしだってこんな暑いところ嫌だわ。」
ぽろりと露国生まれの本音が出た。
「じゃ〜交代で泳いで来よ〜よ〜!」
サクラは立ち上がって提案した。
「二人いれば何とかなるわよ。最初はわたしね!」
言うが早いか、タンクトップとショートパンツをばっと脱いだ。
「サクラはしたない!」
キャシーは思わず目をつぶったが、サクラはタンクトップとショートパンツの下に、肩紐のないワンピースの水着を着込んでいた。色はピンク。
「チリズミヤラメン。」
やりすぎ。
ナスターシャは思わず目を覆った。
「ね〜ね〜彼女どこからきたの〜?」
若い観光客がすぐに水着姿のサクラに寄ってきた。
「地元民だよ〜。お客さんこそどこから来たの〜?」
「もちト〜キョ〜。一緒に遊ばな〜い?」
「いいね〜いいね〜渋谷/新宿とかよく遊びに行くんですか〜?」
サクラの余りに軽いノリにキャシーもナスターシャも驚きベンチから立ち上がった。
「え〜おともだち、外人さん? すごい美人だね〜。ぼくたちと一緒に遊ばな〜い?」
サクラに絡んでいた若者たちがキャシーたちにも気づいた。
「な、何を……。」
「ダー! よろこんで。ただし、このアイスとジュース全部買って下さい。総額二八九〇〇円也。出血大サービスです。」
言いよどんだキャシーを制止してナスターシャが言い放ち、着ていた地味なポロシャツと綿パンをぱっと脱ぎ捨てた。
「そうでなければ、ほかをあたって!」
銀髪短髪で美少年に見える、理知的中性的でどちらかというと地味なナスターシャの容姿とは裏腹に、激しく情熱的な、白い肌の局所をかろうじて隠す程度のチリズミヤラメンな真っ赤な超ビキニ水着を着ていた。
サクラはその大胆水着に感嘆の声を上げ、キャシーはオーマイガーと目を覆った。
「え〜本日は公益特殊法人『タシロ計画災害防衛隊 』秘密基地見学ツアーにお越しいただきありがとうございます。」
DG—TP司令・阿部震次郎はメガホンを手に大声を上げた。
梅雨明け間もない七月三一日の炎天下のタシロアイランド滑走路上は、じりじりと目玉焼きが焼けそうなほどの暑さだった。
そんな中、震次郎はといえば、サングラスに麦わら帽子、ちびたカーゴパンツにゴム草履、黒いTシャツには『二色餠』というロゴという出で立ちで、三〇〇年後の天変地異・最大級|地|《ion of》殻破壊から世界を救う公益特殊法人の代表には到底見えなかった。
「え〜皆さんが今立っていらっしゃるこのでっかい滑走路、全長四〇〇メートル、幅一〇〇メートルのこの巨大な滑走路は、決して空母ではありませんよ。ただ浮いてるだけ、TRU・曳航式滑走路と言いまして、あのでーーーーっかい黒い飛行機のための大変特別な滑走路なのです。」
震次郎が滑走路最北端に露天駐機した再突入輸送機改・ヤタガラスを指し示した。老若男女三〇人余りの見学者は一斉に「を〜っ」と歓声を上げた。
「元々は米軍が南西島嶼紛争当時にФНАとの戦闘に備え沖縄本島に配備していたもので、船齢は優に四〇〇年を越えています。でもそんなに古く見えないでしょう? ではここは暑いので涼しい日陰に参りましょう。今回初めて一般の方にご披露しますのが、当DG—TPの一番の武器であります、対TFP急降下突撃機アマノヌボコであります。あ、いや、アマノヌボコの撮影はNGでお願いします。あ、いやいやわたしでよければご一緒にパチリと……。」
震次郎は見学客を内部格納庫へ案内した。
三〇余人の見学者はてんでんばらばらにタラップを下り、銘々が勝手気ままにしゃべり、震次郎は全員が銀無垢のアマノヌボコの前に揃うまで少々苛つきながら待った。
見学料は一人当たり八〇〇円だったから、回転を良くしてできるだけ多くの見学客を捌きたいのだ。それもタシロアイランドとの往復の連絡艇の燃料代を計算すると、できるだけ多くの人数を少数回受け入れるに越したことはない。
ここしばらくビールも我慢させられている。発泡酒を三五〇CCだけの晩酌にはもう耐えられない。できるだけ小銭をかき集めなければならない。
震次郎は今夜のビールのことだけを考えながら、てんでんばらばらな見学者が揃うのをじっと待った。
「ご覧下さい。この銀無垢に鈍く光る金属柱、これが日本で唯一、TFPを無効化し、皆さんの生活を守る対TFP急降下突撃機アマノヌボコでございます。長さ約一二メートル、直径約二メートル、小さな垂直尾翼の前方、よくわかりませんがここにコクピットがございます。小さな丸窓がたくさんありますが、これは深海でのTFP処置も行います為、耐圧窓になっております。これまで和歌山沖二八〇〇メートルの深海での処置実績があり、設計上、深度七〇〇〇までは活動可能と三石崎重工の担当者から聞いております。筒表面には、最新式の表面推進・羽衣が装備されてございまして、これは気体液体を問わず触れている媒質に指向性のある量子力学的な運動を励起する画期的な推進機構でございます。前にももちろん進むのですが、主な使用方法はこの大きな四枚羽根と併用し、上空から地表のTFP中心に急降下突撃をする際のブレーキに使用いたします。そしてこの先端部、今日はお見せできませんが、この先端部からTFPに向かって飛び出すのが、TFPを無効化することが出来る古代の遺構の一つ、日本でただ一本、一七年前に兵庫圏淡路島近海で発見されました天沼矛なのでございます。」
「それはコジキにいうところのアマノヌボコですかいな?」 と見学者の中のご老人。
「お〜ご明察!」
震次郎が質問した老人を指さした。
「まさにそれ! イザナギ・イザナミがこのアマノヌボコで未完成の世界をこねくり回して、生まれたのが世界最初の島・オノゴロ島。オノゴロ島でイザナミ・イザナギは結婚してこの日本、いや世界の島々を生んだというのが、俗にいう国生みの神話ですな。」
アマノヌボコは世界を滅ぼすGDEDを止めるために、そのエネルギー供給源でもあるTFPを止める存在。
しかしこの日本神話をなぞるならば、混沌となってしまった後、そこから『新しいもの』を作り出す力を持っている、つまりGDEDは発現してしまうことが前提となってしまい、ネーミングが不適切なのかもしれない。
そのことに、誰もまだ気づいていなかった。
「田代島にお泊まりをご希望の方、民宿やキャンプ場のご予約承りまーす。キャンプ道具もレンタルできますよー。」
仁斗田港から田代学園の前を通り『猫神社』に至るメインストリート沿い、簡易郵便局の近くの消防団のポンプ車倉庫の横に、DG—TP事務所がある。しかしコールセンターとは名ばかりで、ここのところまったく機能していない。バイトのお母さんたちを雇う金銭的余裕がないためで、現在その仕事はキャシーがDCルームで兼務で行っている。
その名ばかりの事務所前に日傘を立て長机を出し、ゲルトルーデと、サクラの母である阿部しずえが並んで座っていた。
ゲルトルーデは金の髪を白いブラウスの肩まで垂らした蒼い目の美少女。五月に独国からやってきたばかりで、北欧製の椅子にしか見えないお洒落な車椅子に座ったまま、所在無げな様子だった。
その横、短めの褐色の髪を固く撫でつけた、宝塚OCの名男役を想像させる凛々しいサクラの母が、道行く観光客に次々と声をかけていた。
「田代島名物・猫神社の御守り、田代島の新名物・タシロ計画災害防衛隊 のグッズもこちらで扱っておりますよー。DG—TPの秘密基地見学も随時受付中です。今ならたったの八〇〇円ですよー。」
しずえは誰が見ても田代で一、二を争う美女だったが、サクラには少しも似ていない。
「すみませんジュースありますか?」
「お飲み物でしたら、この道をもう少し登ったところにスーパーまごやがございます。あ、この機会にDG—TPグッズいかがですかー? 今ならDGクルーの生サイン、握手、写真撮影もサービス中ですよー。」
しずえが勘亭流字体の『TFP処置中』や『天沼矛アリマス』、『DG—TP五人娘』などのロゴ入りオリジナルTシャツを見せながら言った。必ず Disaster Guard-Tashiro Program と併記されている。
「ほらゲルトルーデも笑顔笑顔……。」
「マイン ナム イス ゲルトルーデ。 DGクルーのゲルトルーデで〜す。」
車椅子のゲルトルーデは、引きつった笑いを観光客に振りまくので精一杯だった。
「この娘以外、DG—TPのクルーは一五歳から一七歳までの女子中高生なんですよー。ブロマイドも発売してます。いかがですかー。」
しずえは、娘たちの生写真を並べて見せた。
契約更新を渋る日本政府の『ケチさ加減』を世に知らしめ、世論を見方にするためにも、DG—TPはもっと世に知られなければならない。
しかしながら、東北州の小島、この田代島を拠点に地道にTFP処置に明け暮れるDG—TPは、どうやっても目立たない存在だった。
娘たちを歌って踊らせて、その動画を今流行のQVIEなどの量子通信の映像配信サービスで配信するくらいやらなければ、DG—TPをより広く広報できない、しずえはそこまで考えていた。
QCOMが運用されるようになっておよそ二三年。
それはどちらかというと『粒子通信』と言った方がわかりやすいが、この万能の粒子は量子力学の成果として誕生したので、QCOMで間違いはない。
空間=場に特殊な媒体粒子を散布し、その粒子に膨大な量の各種情報を記録し、個別かつ排他的、選択的同時共有的にそれらにアクセスできるこのシステムは、世界から距離と時間の概念を消し去った。
場を満たす媒体粒子に蓄えられた情報は、場に接している限り、どの点からも瞬時にアクセスできる。何の物理的な通信設備も無しで、グランドキャニオンの風景を即時、ストーンヘンジの真ん中で観察することも可能。
任意に情報通知態である量子環や、情報共有態である量子窓を呼び出し、情報の受発信が距離時間を問わずに行えるのだ。
特にQWについては、完全相互通信が可能だ。画像・音声の境目無く、送信機にも受信機にも、ビデオカメラにもスチルカメラにもなる。
それらの機能を利用し、DGクルーの少女たちを紹介するプロモーション動画を配信すれば、DG—TPの認知度が上がり、日本政府のケチさ加減も糾弾できるはず、そう思っていた。
しかしサクラ以外、DG—TPの少女たちのノリは思いの外悪く、生写真もサクラ以外は震次郎が趣味のSIGMA量子撮影サービスを用いて隠し撮りしたものばかりだった。
「ねぇそこのお兄さん、DG—TPって知ってる? 去年の暮れから日本はおろか露国やオセアニア、果ては米国まで股に掛けて……いえいえアイドルユニットじゃなくてね……。」
DG—TP広報の道は険しいようだった。
「なんでうちが……こんなことせなあかんの?」
アサミは流れる汗を拭ってぼやいた。荷物は二個まだカートに残っている。
【アサミさん、次の配達届いたんで早く事務所戻ってきて。】
QWが開いて、緑色の制服を着た男が呼びかけた。キャップにはYMTEXPのロゴ。今、アサミも同じ制服を着ている。
「あと二件で終わりやからもうちょっ待ってや。」
アサミはまた汗を拭い、白い床にYMTEXPのロゴの入った腰くらいの長さの棒を当て、前方に傾けた。カートごと、アサミの体はゆっくりと床を滑り始めた。
対TFP急降下突撃機アマノヌボコの主任整備員であるはずのアサミが、不本意ながらお中元など宅配便の配達で汗を流しているここは、黒崎複合居住区の広い通路構造体。
五〇〇年前のあの震災以後、長く辛い復興と電力飢饉を経て、牡鹿半島の住民は、これまで人が住まなかった半島の峰々、山林にモジュール式の居住区を敷設し、これを有機的につなぎ合わせて新しい街を作った。
牡鹿半島の最南端、そして牡鹿半島最大の複合居住区であるこの黒崎RCは、木の葉の葉脈のように広がる通路構造体を核に、個々の居住モジュールが有機的重層的に繋がり広がっている。
人口は五千人を数え、震災後に深刻化した世界的食糧難から始まった漁業|資源安全保障体制・新漁業改革により雇用が創出され、かつて遠洋捕鯨産業で賑わっていた二〇世紀中葉の人口を超えた。
RCの北側に見下ろせる鮎川港に浮かぶ浮きドック型巨大捕鯨基地がその就業人口の受け皿となり、国軍の退役可潜対潜駆逐艇を改修した高速捕鯨艇・第24、32安住丸の二隻を共同使用し、三陸沖のミンククジラの養殖海域の警備を含めた養殖事業を行っている。
広大なRCを形成するモジュールは、六角柱を横にしたフォルムを有し、内外壁面は外光のうち、白色の光のみを通しかつ素材自体が蓄光する機能を持っているので、特に照明が無くとも明るい。夜はむしろ遮光機能をONにして暗くする必要がある。
樹脂製の外壁自体が微細な気泡層を合わせ持ち、温度差による結露も最小限度、内外表層は光触媒コーティングが施され、自己清浄機能により衛生品位を保てる。
RC全体で、日照や室温の格差を是正するバランシングエアコンデショニング機能も有している。見た目の安っぽさからは想像できない快適さである。
しかしながら、たくさんの荷物を配達して回れば、いくら外より快適と言っても、汗は止まらなくなる。
各モジュールは個々に細い耐震ポールで繋ぎ合わされ、引き・押し両方のストレスを相殺する構造となっているが、大規模な造成を前提としない、いや自然の地形を変えずに構築されているため、地形に合わせてモジュール毎の上下関係がずれているのが特徴。
段差が大きい構造上の問題から、バリアフリー化のために、チューブモジュールの床面自体に動力式介助機能がある。
特殊な杖を床に触れさせ、任意の方向に倒すことで、床材に内包されたナノサイズの粒子モーターが圧力の掛かっている部分を検知し、一定方向に回転し、要介助者を自動的に移動させてくれる。
高齢者は歩かずに高低差のあるRC内を移動することができ、お中元配達中のアサミもその恩恵を受けられるのだった。
アサミはそうやって白いチューブモジュールを数本伝い進んだ。
通路構造体には個々の居住モジュールの出入り口が接する。
RCモジュールは家族構成により複数個がその六角柱の基本構造を利用して立体的に結合される。
出入り口は共通位置で、その右方に中二階と半地下のモジュールが結合、これを基本形に家族数に合わせ二階部分、中三階部分、と拡張される。半地下と言っても、これが最下層であり、出入り口が中二階部分にあると言うのが正しい。
出入り口のある基本モジュールには、ダイニングキッチン、バスルームやトイレ。これに中二階の寝室と半地下の居間がつながる。
アサミはモジュールのドアに標記された部屋番号を確認しながらドーリーロッドを操り、やがて最後の一軒に辿り着いたが、どうにもおかしい。
入り口が半分開き、基本モジュール内が僅かに覗けるのだが、声をかけても返事がない。
汗を拭い、もう少し風通しが良ければいいのにとぼやいて待ったがやはり返事がない。おかしい。
不在通知を放り込んでしまえばそれで終わりだったが、不安が募り、ついつい入り口からそっと中に身体を入れ込んでまた声をかけた。
「どなたかいてはりますか? YMTEXPです。お届け物をお届けに……。」
声をかけ、荷物を手にさらにダイニングキッチンに入る。
荷物の伝票には女性の名前。差出人は男性の名前。名字が同じ安住。字の感じは大人の男性。荷物の品名は、母と子の間柄でしかあり得ない物。
アサミはふいにこみ上げるものを感じた。同時に強い不安も感じた。
「どなたかいらっしゃいませんか?」
完全にキッチンに入り込んだ時、それは見えた。キッチン区画右下、半分開いたドアの向こうの半地下の居間に、足が二本。
「ど、どないしたん?」
アサミは荷物を放り出し、居間に下りた。白い光が満ちた居間に、老婆が一人うつ伏せに倒れていた。微かに唸っている。まだ生きている。
「救急車! 病院!」
アサミは動転しながらも、緊急QWを開き、石巻広域消防救助隊に救助を要請した。
(C)smcpせんだいみやぎコンテンツプロジェクト実行委員会




